手軽な一揆の起こし方

エセ評論家の生活と意見

E-P1、ついに限界か・・・!?

 

1.Olympus E-P1とは

ウチの一番古いカメラは、Olympus E-P1というマイクロフォーサーズ(MFT)センサーのミラーレス一眼だ。

発売はなんと2009年。

もう干支が一回りして二回り目ですな。

www.olympus.co.jp

比較的に小型のセンサーサイズで、かつレンズ交換式一眼として必要な性能を満たす規格として作られたのがMFTシステムで、OlympusPanasonic Lumixシリーズが共同で立ち上げた。

OlympusE-P1を初代とするデジタルカメラ"PEN"シリーズを売り出し、宮崎あおいをCMに起用して、若い女性世代にカメラを訴求し一世を風靡した。

ちなみに今でも、メーカー別デジカメ売上ランキングではOlympusが一位を獲っていたりする。

Olympusは、PENのようなEVF(Electronic View Finder、カメラの覗き穴)のない小型一眼を中心に据えた薄利多売方式らしい。

なお、同じMFT規格のLUMIXはあまり売れていない・・・。

 

2.んで、試写してみると

先週再び実家に帰った際に、重くて煩わしいNikonの一眼レフや、フルサイズミラーレスを持っていくことに嫌気がさして、Olympus E-p1を持って行った。

で、撮った写真がこちら。

試写例1モノクロ

黒から白までのレンジは、まぁこんなもんかな、という感じ。

それにしても驚いたのは、手振れのひどさだった。

25mmの焦点距離で、SS1/160で撮った。

にもかかわらず、手振れが出まくって歩留まりが約半分。

つまり、半分の写真は手振れで使い物にならない(手振れ判定はやや厳しめです。)

上記の写真のカラー版と、手振れ気味のカラー版を掲載する。

試写例1カラー版

試写例2手振れ気味?

試写例2の方では、拡大すると、ちょっと幹や葉にいい加減なところがある、ような気がする。

2枚ともいえることだが、近距離の植物などを撮ると、どうしてもフォーカシング自体がいい加減なところもある。

試写例3

これなど、SSを1/40まで遅くしたので、歩留まりは3分の1くらいになった。

結構キツイ。

入門機種らしく、色のりはこってり気味で(Olympus全体の傾向なのかどうかはわからん)、彩度調整などしなくても派手に現像される。

ここら辺は、Nikonの中級機種(Z6やD7500)とははっきりと違う印象。

 

3.物撮りはどうか?

物撮りは光源が命なので、ほとんどやったことがない(光源持ってない)。

とはいえせっかく、自身の旧家没落の大逆風(当主の死、戦争、農地改革・・・ヒキ強すぎやろ^_^;)の中でも陶芸家の道を突き進んだ曽祖父が遺した清水焼があるのだから、物撮り練習として使わないわけがない。

試写例4

羽衣?とかいう能?の一場面?か何かを描いた清水焼の人形である(←全く知らない)。

いや、でも焼き物でこれやるってすごいわね、確かに。

さすが、家つぶしかけただけのことはあるわ。

合掌。

よく見たら、能面と顔の間にきちんと色の塗分けがされていて、「これ顔面ちゃうで面でっせ」と主張しているのがわかる。

衣装の色も模様も手が込んでいる。

藤色と淡いピンクと水色がよく合っている、ような希ガス

躍動感などについては、是非「羽衣」本編を鑑賞してから検討してみたいと思う。

 

カメラの話に戻るならば、三脚を立てたため手振れとフォーカスアウトはかなり防げた。

他方、センサーが小さいこともあって、ノイズはかなりのる。Lightroomでノイズを簡単に除去できるため、これはさほど問題ではないが、それにしてもやはりノイズが大きいとオールド感は出る。

試写例5

こちらは高砂とかいう能の一場面らしい。

全くわからん。

無教養である。

でもこれらの人形って、要するにアニメキャラのフィギュアでアニメの名場面を再現しているようなものなわけで、そういう意味ではこれら清水焼の作品も現代のフィギュアの造型師の作品もやってることの根本は同じなんだなぁと思う。

曾祖父も現代に生まれていれば、「Fate/stay night」やら「涼宮ハルヒの憂鬱」やら、最新作なら「SPY×FAMILY」のヨルさんやアーニャちゃんやらの名場面を再現する造型師とか、あるいはよくわからん芸大出て謎のポップアートの立体作品創る作家か何かだったのかも知れない。

さらに、聞くところによると鼓や尺八、謡(うたい)までやったという御仁である。現代に在ったならば、ボカロPやりながら「歌ってみた」を配信する歌い手でもあり、MVのアニメは自分で描きつつ本業はフィギュア作家などという、設定盛り過ぎのニコニコ界隈の帝王・人気歌い手系YouTuberだったやもしれない。ニコニコ超会議など当たり前のように出ていただろう。

そんなイカれたヤツが親戚だったならば、私は歓喜したことだろう。

「明治」という頑迷な時代の、「山科」という閉鎖空間に生まれ、せいぜい都の没落貴族の分家筋程度の「家」に縛られた、その時代と場所が悪かったのかもしれない。

その中で好きなことをやって生きていくのは、相当な代償を伴うことだったのではないか。

世が世ならば、曽祖父もより自由を謳歌し多くの支持を集めたのかもしれない。

合掌。

 

緑の部分はシャドーが強かったので、明るさを引き上げた。

ダイナミックレンジもキツイ。

いずれにしても、このカメラ、撮っているうちは「こいつの限界を引き出すぜぇ」くらいに思っていたが、いざPCで現像してみると「もぉ限界や・・・(´;ω;`)」となる。

出張時に持っていけるような、比較的小さくて高性能なカメラねぇかなぁ・・・

 

花と庭の写真 その2

実家の庭とガーデンミュージアム比叡で撮った写真の中で、二線級のやつをあさっていたら、現像処理すればまぁそこそこになるか、というものがいくつかあったので、掲載していこう。

 

1.実家の庭

その1

名前がわからんww

花の奥に養生の糸が映り込んでいるのが惜しいが、まぁ仕方がない。

その2

フォーカスが手前にきすぎているきらいがある。

 

その3

花壇の切れ目を入れない方がより奥行き感が出たと思われる。

あと、写っている花の強さが、際立ったものがないため視線誘導ができていない。

 

その4

奥の納屋、ジューンベリーの木、セージの花などはいいが、手前の日が当たっている葉っぱが絵的に強すぎるのが難点か。

 

2.ガーデンミュージアム比叡

ガーデンミュージアム比叡は、京都アニメーションとタイアップしているようで、ミュージアムのコンセプトである印象派とともに、ヴァイオレット・エヴァーガーデンの作中に出てくる花をイメージしたガーデニングを展開しているらしい。

その1

しおれた花が混じっているのが難点だが、まぁ許容範囲か。

同系色だけでまとまらず、黄色と紫という補色関係の花を配するというところが、色彩として際立たせやすい。

デイジーか?

劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンで、50年前に一世を風靡した自動手記人形ヴァイオレット・エヴァーガーデンの足跡を追う1人旅に出たティーンの少女、作品の語り手は、デイジーマグノリアだった。

 

その2

蜂が蜜を吸いに来ている白い花がやや白飛び気味である。

手前から奥にかけて低い花~高い花となっており、全てがエグジビットされるように工夫されているのがわかる。

菫(ヴァイオレット)も下の方に顔をのぞかせている。

その3

よくわからんぼんぼんのような花。奥にベンチがあることで講演らしい雰囲気がわかる。

これは、高い花同士で高さにさらに行程がついており、さらにやはり青~紫系統の色と黄色系統の色の補色関係のものが配置されている。

その4

木蓮マグノリアだと思う。

モネの池のほとりに咲いている。

マグノリアは、作中でも重要な登場人物の一家の姓だ。

クラーラそのその娘のアン、さらにその孫デイジー

過去から未来へと受け継がれていった思いをつなぐ一家が、マグノリア家だった。

その5

ハンギングバスケットを広角で撮影した。

黄色、白、青、オレンジと配色もよい。また花弁の大きさを計算して小さい花と大きい花がペアになり、真ん中に大きい花、それを挟んで小さい花がたくさん、という配置になっていることもわかる。

その5

ネモフィラ畑。

遠景で撮ると何が何だかわかりにくいのが反省点だ。

その6

色合いのばらけさせ方が細かく計算されているのがわかる。

 

3.おまけ

琵琶湖遠景

曇っていたのでいい加減な写り(あと水平も怪しい)が、久々に見下ろした大津だ。

10年ほども住んでいたので、どこに何があってというのが、手に取るようにわかる。

京都遠景

さらに霞んでいていい加減な写真だ。

しかし洛中の大寺院の大屋根などは、見ればだいたいどれが何かわかる。

拡大して観察してみるのも面白い。

ちなみに、石清水八幡宮の山&大山崎くらいまでは判別できる。

 

アニメ「平家物語」視聴完了レビュー後編

heike-anime.asmik-ace.co.jp

 

小説家の古川日出男による現代語訳の平家物語を底本として、山田尚子監督、吉田玲子脚本、制作Science SARUで作られた本作のレビューの後編。

前半はこちら↓

 

maitreyakaruna.hatenablog.com

 

 

 

評価スコア

1.アニメーション技術面 53 60  
1)キャラクター造形(造形の独自性・キャラ間の描き分け) 8 10  
2)作り込みの精緻さ(髪の毛、目の虹彩、陰影など) 8 10  
3)表情のつけやすさ 9 10  
4)人物作画の安定性 10 10  
5)背景作画の精緻さ 8 10  
6)色彩 10 10  
       
2.演出・演技      
声優 161 170  
1)せりふ回し・テンポ 9 10  
2)主役の役者の芝居(表現が作品と調和的か・訴求力) 9 10  
3)脇役の役者の芝居(表現が作品と調和的か・訴求力) 9 10  
映像      
4)意義(寓意性やスリル)のある表現・コマ割り 10 10  
5)カメラアングル・画角・ボケ・カメラワーク 10 10  
6)人物表情 10 10  
7)オープニング映像 10 10  
8)エンディング映像 10 10  
音楽      
9)オープニング音楽      
作品世界観と調和的か 10 10  
メロディ 8 10  
サウンド(ヴォーカル含む) 8 10  
10)エンディング音楽      
作品世界観と調和的か 10 10  
メロディ 9 10  
サウンド(ヴォーカル含む) 9 10  
11)劇中曲      
作品世界観と調和的か 10 10  
メロディ 10 10  
サウンド(ヴォーカル含む) 10 10  
       
3.ストーリー構成面 68 70  
1)全体のストーリー進捗のバランス 10 10  
2)時間軸のコントロール 10 10  
3)ストーリーのテンションの保ち方のうまさ(ストーリーラインの本数等の工夫等) 10 10  
4)語り口や掛け合いによるテンポの良さの工夫 8 10  
5)各話脚本(起承転結、引き、つなぎ) 10 10  
6)全体のコンセプトの明確性 10 10  
7)各話エピソードと全体構造の相互作用 10 10  
       
  282 300 0.94

得点率94%でランクS

 

批評

5.重盛と死

作中、重盛には死者が見えるといった。重盛が死に至る病を得たのは、「熊野」である。以前の記事でも書いたが、熊野詣には死出の旅の意味がある(一度死んだことにして、人生をやり直すというような意味合いもある)。

 

maitreyakaruna.hatenablog.com

そんな「死の影」を背負った重盛に「死者を見る目」を与えたのは、やはり武将として、また賢明な指導者として、目の前の現実=死と隣り合わせの危うい現世を見つめざるをえなかった存在という彼の本質を、アニメ制作陣が汲み取った結果だろう。

こうした原作理解度の高さは、彼らのレベルであれば当然なのだが、改めて感服する。

 

6.色使い

山田尚子の最大個性は、色の使い方である。

本作では、様々な花が出てくる。椿、躑躅、梅、桜、蓮華、木蓮、などなど。

中でも椿は、花が丸ごとボトリと落ちる姿が不気味でもある。

彼女はこの花に、平家の運命を託した。

椿にはさらに、白椿や赤椿がある。

平家物語原作においても、紅白は物語を象徴する色である。

紅は、平家の旗印「紅の揚羽蝶」であり、白は源氏の旗印である。

ここから山田は、赤と白に象徴的な意味を持たせることにした。

赤には平家・現在・栄華・傲慢・鮮血を、白には源氏・未来・滅亡・儚さ・悲しみ・涙を。

赤い椿に雪が積もり、ボトリと池に落ちるカットは頻繁に描かれるが、あたかも源氏により滅ぼされる未来を負った平家を暗示するようである。

蝶が空を儚く舞いゆく姿は、あの世へと旅立った平家の公達を暗示するようである。

 

7-1.物語構成(登場人物)

石母田正氏の上記批評によると、平家物語には3人の主人公がいるという。

上巻では清盛、中巻では義仲、下巻では義経、というように。

本アニメは、そこをも換骨奪胎し、琵琶という少女を語り手として、前半は重盛、後半は徳子をその語り手の話し相手とするように進行する。

 

7-2.物語構成(時間軸)

本作で最も秀逸であったのが、時間軸の使い方である。

ここで絶賛されるべきは、脚本家の吉田玲子氏であろう。

 

maitreyakaruna.hatenablog.com

以前、東京芸術大学を目指す創作者の奮闘と成長を描いた「ブルーピリオド」のレビューでも触れた。これの脚本を手掛けたのと同じ、吉田玲子氏である。

アニメ「平家物語」の驚くべきところは、その時間配分である。

まず、本作はわずか1話30分(本編は正味21分ほど)×11話という、驚くべき少なさである。地上波民放ドラマであればわずか5話分くらい、1クールの前半で終わってしまう。

その中で、あの日本を代表する戦争文学を描き切ろうというのである。通常であれば無謀と呼ぶほかない。しかし、彼らはこれをやってのけた。そのやり方がまた、驚くべき奇策であった。

まず、前半5話ほどは丸々、平家物語上巻―もっとも地味なパートで、平家の横暴や祇王の悲運が描かれる巻―で占められる。

重盛と琵琶の邂逅から死別までを丁寧に描き切り、人の負う運命の理不尽さと儚さという、平家物語の核心とされるテーマ(最も山崎正和氏は、「諸行無常」は後付けのテーマではないかと指摘している。石母田氏は通説的見解で、諸行無常こそが大テーマであるとする)を時に朗々と時に悲しく歌い上げる。

清盛の死、義仲の進撃、そして義経による残忍な殲滅戦は、全て音楽家牛尾憲輔テクノサウンドを含んだオリジナルサウンドトラックの下で進んでいく。以前の記事で述べた徹底した「ディエーゲーシス」である。

一人一人の運命のはかなさを克明に描く(ミメーシス)と同時に、多くの人の命が散る戦場を身も蓋もない、抗しようもない巨大な運命として描くこの対比は極めて鮮やかで、この緩急の差が明確であることでより強く、双方(ミメーシスとディエーゲーシス)が説得力を持つに至った。

 

8.音楽

OPもEDも劇中曲も極めて現代的なポップスやテクノである。

これがなぜかマッチしている。

特に、オープニング曲とともに流れる映像(いわゆるOP映像)の中で優しい日差しの中で笑いあう人々の姿のかけがえのなさと、それが奪われると知って見せられる悲しさは、OP 曲が歌い上げる何気ない日常のかけがえのなさと相まって胸に迫るものがある。

https://youtu.be/qknDI1k39Ic

9.演者たち

制作はScience SARUであるが、監督が京都アニメーションの山田氏であるからか、役者たちの座組は「チーム京アニ」の面々である。

主人公の琵琶は悠木碧。彼女は山田監督の過去作「聲の形」でもヒロイン西宮硝子の妹・結弦を演じた。

realsound.jp

こうした興味深い関連性も指摘される。

平家物語の主だった合戦のシーンは、牛尾氏の音楽とともに、琵琶法師となった後の琵琶の声で詠われる。このシーンの琵琶の歌唱が、彼女が本当に琵琶法師なのだ、と思わせるように強い存在感を持つ。子役時代から芸歴があり、天才的な演技力を有する。「まどか☆マギカ」の主役・鹿目まどかな数々の大役を演じてきた役者ではあるが、こうした器用さも持ち合わせていることには驚いた。

平重盛を演じたのは櫻井孝宏。「コードギアス」のスザクから「PSYCHO-PASS」の槙島に至るまで、少年から壮年、英雄から悪人まで何をやっても様になる。京アニ作品では、山田がシリーズ演出を務めた「響け!ユーフォニアム」の吹奏楽部指導者・滝先生役が印象的だった。平家物語中で平家の唯一の希望として描かれた、英邁にして勇猛な指導者、小松殿平重盛を好演した。自らの賢さゆえに先が見えてしまう(未来を見る能力を持つ琵琶に惹かれた要因でもある)ゆえの、精神的な強さの中に見える脆さ、実直さゆえの弱さをうまく表現していた。

建礼門院徳子を演じたのは早見沙織。山田作品では、「聲の形」ヒロインの西宮硝子を演じた。「響け!ユーフォニアム」では吹奏楽部部長の小笠原を、他にも「無彩限のファントムワールド」など京アニ作品の常連である。徳子という役柄は、彼女の声が最も活きる分野の一つである聡明で芯の強い女性という役どころとして、ぴったりハマっていた。また安徳をもうけて母となって後、義経に追い詰められ落ち延びるなか、わが子の命一つ助かればよいと艱難辛苦に耐え続ける強さは印象的であった。これが彼女の役者としてのトップパフォーマンスならば、現在主演している大人気作「SPY×FAMILY」のヨル役も、今後どのように魅せるか楽しみだ。

 

10・最後に

ラストは、オリジナルの平家物語の通りに、建礼門院徳子を後白河法皇が訪れるところで終わる。数々の散りゆく運命を目にし、全てを投げ打ってでも守ろうとした自らの子(安徳天皇)すらも入水した渦の下において生きることを余儀なくされた徳子の、全ての悲しみを背負ってなお生き続けるその姿は、侵すことのできない慈悲と尊厳を湛えたもの~「聖性」~であった。

アニメ「平家物語」視聴完了レビュー前編

本作の正体は、「The Making of Feiqe Monogatari」だ!

 

heike-anime.asmik-ace.co.jp

 

小説家の古川日出男による現代語訳の平家物語を底本として、山田尚子監督、吉田玲子脚本、制作Science SARUで作られた本作のレビュー。

 

評価スコア

1.アニメーション技術面 53 60  
1)キャラクター造形(造形の独自性・キャラ間の描き分け) 8 10  
2)作り込みの精緻さ(髪の毛、目の虹彩、陰影など) 8 10  
3)表情のつけやすさ 9 10  
4)人物作画の安定性 10 10  
5)背景作画の精緻さ 8 10  
6)色彩 10 10  
       
2.演出・演技      
声優 161 170  
1)せりふ回し・テンポ 9 10  
2)主役の役者の芝居(表現が作品と調和的か・訴求力) 9 10  
3)脇役の役者の芝居(表現が作品と調和的か・訴求力) 9 10  
映像      
4)意義(寓意性やスリル)のある表現・コマ割り 10 10  
5)カメラアングル・画角・ボケ・カメラワーク 10 10  
6)人物表情 10 10  
7)オープニング映像 10 10  
8)エンディング映像 10 10  
音楽      
9)オープニング音楽      
作品世界観と調和的か 10 10  
メロディ 8 10  
サウンド(ヴォーカル含む) 8 10  
10)エンディング音楽      
作品世界観と調和的か 10 10  
メロディ 9 10  
サウンド(ヴォーカル含む) 9 10  
11)劇中曲      
作品世界観と調和的か 10 10  
メロディ 10 10  
サウンド(ヴォーカル含む) 10 10  
       
3.ストーリー構成面 68 70  
1)全体のストーリー進捗のバランス 10 10  
2)時間軸のコントロール 10 10  
3)ストーリーのテンションの保ち方のうまさ(ストーリーラインの本数等の工夫等) 10 10  
4)語り口や掛け合いによるテンポの良さの工夫 8 10  
5)各話脚本(起承転結、引き、つなぎ) 10 10  
6)全体のコンセプトの明確性 10 10  
7)各話エピソードと全体構造の相互作用 10 10  
       
  282 300 0.94

得点率94%でランクS

当然といえば当然の結果。

 

批評

1.基本情報

本作には、平家物語に存在しない者が登場する。

主人公の琵琶である。

主人公がオリジナルの登場人物という、驚くような内容だ。

しかし、あたかも本作は「初めからこうだった」かのように何の違和感もなく溶け込んでいる。

琵琶は、琵琶法師であった父とともに流浪の生活を送る中、都で平家のかぶろ(密偵)に父を惨殺される。

平家に恨みを抱いていたが、運命のいたずらにより小松殿平重盛に拾われる。

琵琶には自分が触れた者の行く末(未来)が見える異能があり、重盛には自らが死に至らせた人々の姿が見えるという異能があった(これもオリジナル設定。念のため)。

平家の世の行く末を憂う重盛と、死別した父・生き別れた母を追う琵琶は互いをなぐさめ、支えあいながらともに時を過ごす。

そんな中、殿下の乗り合いに端を発し、叡山強訴、鹿ケ谷事件を経て平家政権の将来に暗雲が垂れ始める。先を憂えた重盛は、熊野詣で得た病がもとで他界する。

琵琶は、重盛の死者を見る目を授かり、平家の悲惨な未来の行く末を知りながら、それでもなお見つめ続け、後代に語り継ごうと琵琶を手に取る。

 

2.「琵琶」という視点~The Making of 平家物語

平家物語は、信濃前司行長の作とされるが、語り物としての原作者は不明。多くの語り手の手を経て完成に至った名もなき多くの声のポリフォニーであろう。

今作の琵琶の語りは、そんな平家の運命の最初の語り手、いわばグラウンド・ゼロにいた者の声である。

平家の人々の中にありながら、彼らとは異なる第三者の視点で、彼らが見えない未来と過去(死者)を見る俯瞰的な視点を持つがゆえに、平家物語が生まれた=語られ始めたという、そのプロセスを描くように語られる。

面白い事に、ストーリーはまさに平家物語のままで、現在放映中の「鎌倉殿の13人」などの近年の中世史研究の成果を基にした新解釈などを投入することは一切ない。エポックや歴史事象の解釈は100%平家物語(=フィクション)のそれである。にもかかわらず、琵琶の視点から、つまり「こうして、平家物語は生まれた。」的視点から描くことで、あたかも平家物語が生まれるまでを描いたドキュメンタリー映画のような視点をも兼ね備えている。しかし、ドキュメンタリー映画的視点であるにもかかわらず、「平家」の生成プロセスには、未来を見通す異能と、死者を見る異能という「魔術的」な要素が深くかかわっている。

いくつものメタ的な視点が重ねられている=「歴史的事実」の上に「平家物語」というフィクションのレイヤーが被せられ、その上にさらに本作独自の「メイキングムービー」的視点からの語りが被せられる。こうした現実性と幻想性の混交が、まったく違和感なく成立しているところが本作の異例な点である。

なぜだろうか?

 

3.魔術的リアリズム

幻想的=魔術的な要素が、こうしたドキュメンタリー的視点と溶け込む理由は、一つには中世という時代背景があるように思われる。中世は、魔術の時代である。

平家が東大寺の焼き討ちを行った数か月後、高倉上皇と清盛は相次いで亡くなる。当時は、東大寺を焼いた仏罰であると強く信じられた。

南都北嶺を始めとした巨大寺社には、「呪詛」の力があると信じられていた。武士はおろか、天皇ですらも彼らの意に染まなければ、「調伏」「呪詛」の対象となった。そして彼らの大規模な護摩行などの後で対象が病を得でもすれば、それはすべて寺社の魔術的実力の成果として疑われなかった。

 

魔術に近い時代とは同時に死に近い時代でもある。

死が近いからこそ、魔術に頼ったともいえる。

こうした時代背景においであれば、運命を見通す魔眼、死者と交感する魔眼などは、当然あり得たかもしれない事象として、魔術的世界の中に落とし込むことができる。

魔術的リアリズム(あえて南米文学のそれと同じ言葉を用いよう)の世界として「メイキングムービー的視点」で描くー魔術的リアリズムの世界で、現実と幻想が混交するーことを考えた山田・吉田コンビは、やはり途方もない天才だと思う。

 

4.女性の視点、描かれ方

物語前半で特に印象深かったのが、つま先をさすり、あるいは日向で寝転がりながら猫のようにのんびりと琵琶と語らう入内前の徳子の姿である。山田が「けいおん!」のころから得意とする、「かけがえのない日常」の一風景である。彼女が今までこだわり続けて描いてきたこの日常が、その先を知るすべての視聴者の目に、これほどにも悲しくはかないものとして写ることがあろうとは思わなかった。我々後世の人間はここで、「先を見通す」主人公=語り手=琵琶と、この日常のはかなさと愛おしさを共有するのである。語り手と鑑賞者の間での、まるで純正律でのハモりのような美しさが生まれる。

もう一人象徴的な女性は、物語前半に登場する祇王である。

祇王」のエピソードは、元来平家物語においても出色の繊細なエピソードとしてファンが多く、戦が少なく地味な平家物語第一巻中では最も印象的な話である。

清盛に気に入られて屋敷に部屋を与えられた白拍子祇王が、仏御前に心が移った清盛から追い出されるも、仏御前が話し相手を求めたことから無神経な清盛により追い出された屋敷に呼びつけられる。自らの権力者に翻弄される運命を嘆いた祇王は、落飾(出家)して嵐山に庵を編み、そこに同じく出家した仏御前が加わり、ひっそりと仏道に帰依する静かな日々を送るに至る。

強き者に翻弄され、自身の好むと好まざるとによらず栄華と没落を味わわされたはかなき者たちの、声なき声を描く異色のエピソードであった。山田監督ならばたぶんこれは映像化するだろうと思っていたが、やはり映像化された。おそらく彼女が最も得意とするタイプのエピソードであろう。

ちなみに、祇王が庵を編んだ祇王寺は嵐山にある。

www.giouji.or.jp

祇王の出身地は近江の中主(現滋賀県野洲市中主)とされ、そこにもまた妓王寺(字が違う)がある。

genpei.sakura.ne.jp

 

長くなりそうなので、以下後半に続く。

庭の写真

庭の写真、晴れ

ゴールデンウィーク近畿地方に変えることが3シーズンほどなかったため、この間これほど晴れるものかと驚いた。

ヴィヴィッドレッド

コメントではなく写真のみを張っていく。

夕方4時ころ

陰翳

立体感は陰翳により出る。

実家の庭

ガーデンミュージアム比叡

コレだけは自宅ではなく、ガーデンミュージアム比叡に行った際の写真。

実家の庭は遜色ない。

八瀬の高野川

躑躅がヴィヴィッドな色で咲いている。

長秒露光にしようと絞りを絞り込んだため、回折現象で拡大画質が荒れている。

 

この季節が素直にここまで過ごしやすいのは、近畿地方でも珍しいのではないか。

だいたい何かといえば、毎年季節外れの暑さだの、早い梅雨だのと言って思うに任せぬ天気が、特に近年多かったように思う。

4シーズンぶりの近畿でのGWが過ごしやすかったのは、天祐だった。

熊野・新宮の絶景

再掲、丸山千枚田

1.まずは一泊

丸山千枚田を拝んで、熊野の海辺に下りてきて回転ずしを食い、尾鷲に投宿。

泊ったのはまたも、一関と同じくビジネス旅館。

www.mochizuki.co.jp

古い設備だが、まじめな印象。

宿の消毒

空気清浄機やエアコンなどはきちんと新しいものが入っている。

また、他のホテルでは意外と見たことがなく、非常に珍しかったのが消毒液を客室に常備している点だ。

他のホテルは、例えば札幌パークホテルや1年前の京都ホテルオークラですらも、こういったものは置かれていなかった。

何か理由があるのだろうか。

旅で外出をして人とあっていた人が帰ってくるのだから、消毒したいと思うこともあるだろう。

私など、家に帰るとスマホもアルコールで拭くので、こういったものがなぜ他のホテルにはないのかと常々疑問だった。

 

2.一晩明けて

翌日は、朝6時半から動き出した。

ゴールデンウィークである。

のたのた動いていると渋滞に巻き込まれる。

和歌山県新宮市に向けて、紀伊半島を南下する。

尾鷲から高架道路でしばらく行くと、まず初めに海が見えてくるのが、新鹿海岸だ。

この季節は釣りキャンプの家族連れが多く車中泊していた。

夏になれば海水浴でにぎわうだろう。g案だけの観光協会、新鹿観光協会というものがあるらしく、キャンプや海水浴の入場料で海浜を清掃するなど地元の住民が手入れしているようだ。

新鹿(あたしか)海岸

ちょっとした入り江の海水浴場で、桟橋の架橋を外した橋桁だけがあった。

続いて向かったのは鬼ヶ城

波田須(はたす)の集落

その途中に、ちょっとした水田のある谷筋があった。

海はもちろん太平洋熊野灘だ。

 

3.海賊・水軍の成立過程

鬼ヶ城には8時ころには着いた。

鬼ヶ城千畳敷

鬼ヶ城は海に面した天然の要害である。

古来、平安末期から中世初期には、熊野別当家が水軍を率いて強勢を誇った。

世に奇しくも数百年に一度、二大勢力が図らずもその最強の座をかけて戦う巡り合わせというものがある。

例えばローマ史における内乱の時代の、ゲルマニア軍団対ドナウ軍団などである(ネロ後の四帝乱立期と、セプティミウス・セウェルスによる内乱平定時だったか)。

日本史においては、熊野水軍対瀬戸内水軍である。

治承寿永の大乱(源平合戦)の壇ノ浦で源氏方で参戦したのは、熊野水軍を率いた熊野別当湛増(たんそう)である。

湛増はもともと平清盛の縁者でもあったが、河内源氏や王家とも縁戚を持つ複雑な姻戚関係を結んでいた。

平家方の瀬戸内の海賊衆を向こうに回して、源氏の勝利に貢献した。

時代が下って第二回戦は、石山本願寺決戦である。

石山本願寺方には瀬戸内の村上水軍、対する信長方には熊野の九鬼水軍。

これも、九鬼水軍率いた信長の勝利に終わった。

伊勢熊野勢の2戦2勝である。

ここで注目しておくべき事実がある。

なぜ熊野に水軍がいるのか、である。

水軍あるいは海賊が成立する要件は主に二つだ。

一つは、潮目を読むのが難しい海の難所であること。

二つ目は、その難所が交通の要衝であること(熊野灘は明治期に近代化した海軍の船も沈没している。紀伊半島南部で沈んだエルトゥールル号も有名だ)、だ。

通る必要のない難所なら、海賊事業など成り立たない。

難所だがどうしても通らざるを得ない。そんなところに、水先案内人のように、船に乗り込んで潮目を読む案内人が必要になる。

これを「中乗り」という。

こうした習慣が徐々に在地の「権力」となり、中乗りを乗せない船の通行罷りならず、となる。

こうして、船は通行税を払い、対価として中乗りを乗せて安全に船を導いてもらう。

これが海賊の概要である。

私が言いたいことは、熊野に水軍がいたということは、熊野灘は海運の要衝だったはずだ、ということである。

鬼ヶ城は、そうした水軍の根拠地であった。

 

4.熊野速玉大社

熊野速玉大社

熊野速玉大社のある新宮市は、熊野川の河口の街だ。

紀伊半島の山から切り出した材木の搬出港として栄えたそうだ。

江戸期には木材を尾張などに海運で輸送して富を得ていたようで、古来こうした産業が根付いていたといえる。

熊野速玉大社の楠

熊野三山は、大峰奥駆道に生じた役行者による修験道の本山といった位置づけである。

よって、本来神仏習合であって、熊野三山のいずれも神社ではなかった。

江戸中期から醸成された国学なる妄想の産物(日本古来の伝統をうたいながら、主張の要旨は近世中国伝来の朱子学という破綻ぶり、荒唐無稽ぶりは、涙なしには笑うことができない)に基づき、少なからぬ者が明晰な頭脳を妄想に費やしたその国学と自らの権力の権威付けになりふり構わなかった知性のかけらもない暴力による「少数派の勝利者薩長政権が結合し、国家神道なるグロテスクかつ空疎な「新興宗教」を捏造し、主に堕落しきって幕府の走狗兼葬式セレモニー屋そして時々キリシタン弾圧の手先と化した仏教を攻撃した。

廃仏毀釈である。

しかしその実、結果として残ったのは、神仏への両属性を持つ修験道を引き裂き、土着信仰としての産土神などを消滅させる愚行であった。

祇園社は八坂神社なる軽薄な名前に改めさせられ、伏見の稲荷大社は境内地の塔頭と経典の多くを失った。戸隠も寺と経典を失った。

熊野もそうである。

熊野青岸渡寺という本宮近くの寺以外、すべて神社に衣替えがさせられた。

それだけではない。もともとあった多くの神社を無理矢理併呑させ、多神教のキメラとした。

近代日本の愚行の痕跡

神罰も仏罰もすべて食らえばいいというほどの、その地の文化と歴史を軽んじた愚行である。

いま保守派などと自認している愚人どもは、せいぜい明治期のこうした従前の歴史的文脈を踏みにじったうえに捏造された「ご由緒」を伝統などと吹聴しているに過ぎない。いやそれすらも正確には理解していないだろう。捏造を正確に理解するというのも意味が分からんが。

本当に歴史を知るというのは、リアルに足を運んで一つ一つの事実の積み重ねを知ることである。

 

5.新宮城について

話を経済に変えよう。

日本の海運・物流の流れが少しづつ見えてくる。

南北朝期の南朝方武将の北畠顕家は、ここより北の伊勢を拠点として、奥州平泉などを勢力下においた。

平泉の頁でも述べたように、かの地にも熊野三山が勧請され、神社がまつられている。

遠く離れた東北岩手の内陸と、この地は海でつながっていたのである。

新宮城二の丸大手枡形虎口

新宮速玉大社の参道をまっすぐ下って500メートルのところに、新宮城址がある。

これは紀州徳川家和歌山藩支藩で、紀州田辺藩などと同格の扱いだった。

岩盤の上に石垣をかぶせて城郭にした、小規模な要塞のような平山城だが、石垣は織豊政権期末期、江戸初期の近世様のものだ。

いわゆる「切込みハギ」あるいは「切石整層積み」である。規模こそ小さいが、整形は江戸城金沢城大阪城の中核部分のそれに匹敵するほど端正だ。さすが御三家の城といったところか。

石垣

新宮市の資料館によると、木材搬出基地であった熊野川河口を抑える要衝だったとのことである。

こうして、平泉の発掘されゆく文物、熊野灘の水運、産業の断片から、おぼろげな全体像としての、材木搬出を中心とした海運業と、それをシーレーンの一部に組み込んだ太平洋交易路の存在が見えてきた。

熊野川河口を城から望む。手前は城壁の石垣。

 

6.最後に寄ったのは昼食の喫茶店

速足ではあったが、尾鷲から熊野新宮を廻ることができた。

一度来てしまえば勝手はわかる。

二回目以降は楽になるだろう。

今回はそのための「一回目」だった。

帰路で熊野市波田須まで戻り、谷筋の眺めの良い喫茶店「天女座」で昼食をとった。

www.tennyoza.net

オーナーは音楽家の方で、北海道から実家を経てここまで来たというと、感心してもらったようで一曲即興で演奏してくださった。

天女座の展望席から熊野灘を望む

12時半には店を発った。途中紀伊長島あたりでサービスエリアに寄った後はノンストップだ。

途中一度も渋滞につかまらず、紀勢道路、伊勢道、第二名神京滋バイパスを宇治東インターでおり、家に着いたのは3時過ぎ。

この日の渋滞予測では、3時を過ぎると上記全線で重体につかまる予測だったので、余裕をもってかいくぐることができた。

ゴールデンウィークとは不便なものだ。

熊野丸山千枚田の夕日

黄泉の国へいたる道は熊野にあったとされる。

熊野三山を象徴するの八咫烏は、かつての鳥葬の名残である。

熊野川の河口から、かつては遺体を船に乗せて浄土へと送る「補陀落渡海」という水葬もされたという。

 

熊野は、死出の旅への入り口であった。

 

明日香から熊野へは、国道169号で向かった。

途中吉野金峯山寺の山を右手に見ながら、山中ん分け入る。

route01.com

jp-cvs.com

169号線の概要である。

国道マニア向けの国道情報サイトによると、さほどひどい路線状況ではなく、いわゆる「酷道」ではないと書かれていた。

ので、安心して走っていた。

が。

goo.gl

は?!

いや、めっちゃ細いけど。

なんなら前見えへんけど。

なにこれ。

どこか快走路なん?(怒

国道マニア、いや、酷道マニアとは、いかれポンチの集団である。

この程度では酷くはないということか。

熊野詣は死出の旅である。

酷道で死ぬかと思た。

www.maruyamasenmaida.jp

 

熊野古道の途中に忽然とあらわれる、奇跡の千枚田

水が張られるのはまさにこの時期である。

 

鏡面の棚田

到着したのは夕方5時過ぎ。

日暮れにはまだ1時間以上ある。

カメラを持った観光客が何組もいた。

空が陰りはじめる。橙色を増していく光。

三脚を忘れるという致命的ミスにより、眺望露光撮影が極めて難しくなった。しかし、ガードレールにカメラを置いて固定することで、何とか黄昏ていく中での撮影をすることができた。

そして、得たのが次の一枚である。

丸山千枚田・水鏡・夕照

ようやく見ることができた。

北海道に移る前から、一度は見てみたいと思ってかなわず、水が張られるこの機を逃すことはできないと、ようやくたどり着いた風景だった。