手軽な一揆の起こし方

エセ評論家の生活と意見

劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン(ネタバレあり)

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劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンBD

予約していたBDが届いた。

初回限定生産版だ。

開封してみると、複製原画が豊富に含まれている。

おそらく劇中になかったであろう、イメージボードも含まれている。

ヴァイオレットが優しくお腹をさすっているカットなどは、ギルベルトとの再会後、穏やかな生活の中で授かった子を想起させる(このカットは、おそらく劇中になかった、ように思う)。

本編は、昨年なんとかコロナ禍をかいくぐって鑑賞した。

上映開始15秒で号泣させられたとんでもないシロモノ(褒め言葉)である。

最初に登場するのは、「デイジーマグノリア」。

テレビ版第10話で、病気で他界した母から、毎年誕生日に「未来のアンへの手紙」を受け取り続けて成長した、あのアン・マグノリアの孫だ。

天寿を全うしたアンの葬儀後のシーンから始まるのだから、泣かないはずがない。ズルい。

以下は、そんな1年前の強烈な記憶のみを頼りに綴る駄文である。

 

私が「泣かせの長井」と勝手に読んでいる、気鋭のアニメ監督長井龍雪らの制作ユニット、いわゆる「超平和バスターズ」の作品などは、最初から泣かせにくることがわかっている。涙腺に気合を入れれば(?)、なんとか堪えることができる。

そういった経験と実績(何の)もあって、私は油断していた。完全に浅はかであった。ティッシュを箱で持っていく必要性はおろか、ハンカチすら持っていく必要はなかろうと断じた(ハンカチは持つべきである。社会人のエティケットとして)。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、石立太一監督は、京都アニメーションは、そのような小手先の抵抗を許さない。赤子の手を捻るように、その傲岸さを突き崩す。

 

横道に外れよう。

超平和バスターズ作品は確かにうまい。秩父三部作と呼ばれる彼らの監督作品「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」(通称「あの花」)、「心が叫びたがってるんだ」(通称「ここさけ」)、「空の青さを知る人よ」は、作品を追うごとに成熟した大人の作品になっていった。個人的には、荒削りさが取れて、かつ熱量の大きさもあった「ここさけ」が最も気に入っている。「空の青さー」は、いい意味で洗練され成熟して、「泣かせ」のエンタメとしての熱量は少し下がった。しかし、本職声優ではない吉沢亮(いまをときめく大河主演俳優)は、素晴らしい一人二役の芝居を見せてくれた。役者としての彼の凄さを知ったきっかけでもあった。(もちろん、相手役の吉岡里帆も、声の芝居が本職でないとは思えぬほど素晴らしい芝居だったが、残念ながら吉沢に喰われた感がある。本職で新人声優だった初主演の若山詩音の存在感とナチュラルさは瞠目すべきだ)

 

超平和バスターズは、常に馬鹿力のフルスイングで300ヤードを飛ばすゴルフ、渾身のストレートでノックアウトを獲るボクシングのように、視聴者を泣かせにくる。ケレン味のある演出、ドラマティックな展開。持てるギミックの全てを駆使する。

しかし、ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、もはやそのようなモーションすら見せない。

リラックスしたスイングで300ヤードオーバーを楽々飛ばし、プレモーションなしのストレートでこめかみを打ち抜きKOを獲る。それに近い(たとえが荒い・・・)。ただただ淡々と、細やかにストーリーを積み重ね、しかしそれに心を揺さぶられずにはいられない。

さすが、2000年代半ばから、細やかな心情の機微を繊細に繊細に描き続けてきた京アニである。

ストーリーに少し戻ろう。この後も、全く予断を許さない涙腺決壊特別警報が鳴りっぱなしである。

メインストーリーは、ヴァイオレットとギルベルトの再会への話である。サブストーリーとして、重病で入院し、残された時間の少ない少年とヴァイオレットの交流がある。これらの挿話と、テレビ版の全ての物語を結える縦糸に、デイジーによるヴァイオレットの足跡を辿る一人旅が描かれる。

これほどまでに秀逸な物語構成があるだろうか?

画家のルーベンスは、壮大な物語絵巻を絵画にする、構図の天才だったと評される(後世のダヴィドによる「ナポレオン戴冠式」の構図など、ルーベンスの丸パクリとまで言われる)。

本劇場版は、例えるならばルーベンスの絵画に匹敵するほどの、喫驚すべき壮大さ、瞠目すべき繊細さの同居する奇跡である。

この作品は、一人の女性の、それも前半生(戦争が終わり、ギルベルトと再会するまでのほんの一時期)を描いたに過ぎないはずの作品である。

彼女は世界を救ったわけでもなく、カリスマでも英雄でもない。一生を描き切ったわけですらない。

しかし何だろうか。

この壮大な大河作品、あるいは叙事詩をすら見終えたような陶酔感は。

物語が閉じられた先の未来で、彼女に幸福な明日を迎えてほしいと、観る者に切に願わしめる余韻は。

ここにこそ、この物語の凄みがある。

アニメとは、人物画・風景画・作劇・演出・カメラワーク・声の芝居・音楽という、まさに「総合芸術」というべきものだ。その持てる潜在力を、全て最大限まで発揮したのがこの作品である。

アニメ作品として、間違いなく最高傑作に列せられるべき歴史的金字塔である。

そして、京都アニメーションが、このような作品を世に送り出してくれたことには、感謝しかない。

ヴァイオレットーー紫の菫の花言葉は「愛」だそうだ。

エヴァーガーデンは、さしづめ「永遠に咲き誇る花園」であろうか。

つまり彼女が体現するのは、決して失われることのない、「不滅の愛」である。

純粋な作品鑑賞を離れた感想になってしまうが、この作品の作り手たちが、このテーマを胸に筆を執り続けたかと思うと、胸が締め付けられないわけがない。

謹んで、哀悼の意を表します。