1.朗報中の朗報!
まずはこのニュースをいっとこう。
おめでとうございます!!
新作決定ですっ!
最初からやり直すリメイクか、単純に続編のアニメ化かまだ詳細は不明。
しかし、プロモーションビデオを見てると、おそらく素直に続編を制作するのではないか。
ヒントはホロの、「のう、またぬしとの旅がはじまるんじゃろう?」
「また」ってことは素直に続編と期待したい。
2.近年のアニメ作品に対する懸念
最近のアニメ作品は、「異世界転生」モノや中華製のゲーム原作ばかりになってきている。
「異世界転生」にも、「Re; ゼロから始める異世界生活」や「無職転生」など、ごく一握り秀作はあるが、多くはトレンドの後追いをした駄作(あえて言わせてもらう)ばかりだ。
中華系はというと、未視聴だが現在放映中の「時光代理人」は、日本に上陸した中華アニメの中では初めての秀作のようだが、それ以外は、見たことがあるものに限って言えば見るだけ時間の無駄である。
最近の日本のアニメ製作状況は、何となく悪い方向に行っているように思う。
かつてテレビ全盛だった時代の1990年代のいわゆるトレンディードラマと、その後を懲りずに延々と引きずった2000年代のような、メインストリームは「女性の仕事と恋愛」一本で押していく(あとは医療モノ、刑事モノ、弁護士モノという相変わらずの布陣)思考停止な作品作りと似ているのではないか。
「どうせコイツらこういうのが好きなんだからこんなの作っとけばいいよね」的な。
最近でいえば、「異世界転生モノとハーレムモノとイケメン動物園と美少女動物園つくっときゃぁいいんだろ?めんどくせぇ」というのが、製作(制作ではなく製作。つまり、スタジオでアニメ作ってる職人たちというより、企画立案するプロデューサーども)からありありと伝わってくる。
で、さらには制作(手を動かしてアニメ作ってる人たち)も、だいぶ質が劣化しているように思う。
作画の質、というよりも、演出の質である。
画面に映った画の表現に込められた意味、などというレベルでは到底ない。そこに達するはるか以前である。
単純に、あるコマと次のコマが動きとしてつながっていない、映像の初歩でだれでも習う「イマジナリーラインを越えている」などが起こる。
素人が見ても明確に違和感を感じることが、特に異世界転生モノで(今期であれば「失格紋の最強賢者」「賢者の弟子を名乗る賢者」など・・・)で頻発している。
異世界転生ではなく王道のロボットモノだったが、昨年、あの悪名高きレベルファイブ原作の「メガトン級ムサシ」なる駄作と表現するのもはばかられるほどの、もはや「思想又は感情を創作的に表現したもの」という著作権法上の著作物の要件すら満たすことを明確に否定されるべきゴミを誤つて目にしてしまったときには、コマ割り、セリフのつなぎのひどさに吐き気をもよおし、7分ほどで視聴をやめて即座にHDDからデータを消した。
自分でいうのもなんだが、よくもまぁこれほどスラスラと罵詈雑言が出てくるものである。タイピングをしていて自分自身で驚愕している。
3.で、話を元に戻すと
2000年代半ばの作品は、今と違ってかなり指向性がばらけて、意欲的・野心的な作品が多かった。
見るものがなくなってきたため、むかーしの作品を見るようになった。
1)「らき☆すた」(旧作)
2)「電脳コイル」(旧作)
3)「プラネテス」(旧作)
4)「ブラック・ラグーン」(旧作)
1)は京都アニメーションのヒット作だが、内容は延々と日常会話が続くだけにもかかわらず、なぜか見ていられる。会話劇としてのちょっとしたストーリーと展開・テンポなどだけでここまで見せる技術には恐れ入る。
2)はAR(拡張現実)デバイスである電脳メガネが使われる近未来の子供たちの、小さな冒険の話。今となってはこの未来はますます近づいてきており、予見した作品として戦慄すら覚える。
3)は地球外の衛星軌道上に人類がコロニーを建造して進出した近未来の話。スペースデブリを回収する業者のサラリーマンたちを軸とした「お仕事」ドラマだが、木星探査計画をめぐるスリルと陰謀をはらんだサスペンスの様相も見せる秀作。
4)は日本の重工系メーカーの社員が、ひょんなことから出張中の南シナ海で海賊に誘拐され会社に見捨てられ、海賊の一員となってズブズブと裏社会にはまっていく、ハードボイルドアクション。並みのハードボイルド小説などそこのけの、セリフと生き様がとにかくクールな作品。これを、「この世界の片隅で」の片渕須直監督が指揮していたことに改めて驚く。
このように、2000年代前後の作品がいかに多様性に富んでいたかがわかるだろう。そらヲタクも大喜びだったわけだ。そんな中に、かの「狼と香辛料」も、金字塔として列せられるのである。
ファンタジー作品では異色の、商取引と中世の経済を扱った本作は、すでに原作は完結している。いまのようにアニメの配信が一般化して、視聴者の絶対数も増えたからこそ、より広く知ってもらえる機会でもある。改めて完結したこの意欲作を、全て映像化してほしい。