手軽な一揆の起こし方

エセ評論家の生活と意見

中世荘園の実相(簡略版)

 


レビュー

 荘園(中公新書)は、一般向けの中世土地制度の理解に関する決定版と言うべき書籍である。

 特に、放射性炭素同位体の測定などから、数百年前の気候を年単位で精確に推測する最新技術なども駆使しながら当時の人口推移をシミュレーションし、考古学から荘園の遺構や貨幣経済の浸透具合を推測、さらに貴族の日記や各荘園の証文などから法律、経済のありようを浮かび上がらせる。

 政治、荘園の現場の有り様、マクロ・ミクロの経済、金融、気象、商工業など、かつてないほど多面的な観点から、かつ極めて実証的に検討した労作にして傑作である。

 これをまっていた、と言っても良い。

 本格的なレビューは、機会があれば次回に譲る。驚くべきその内容の一部だけを、備忘録的に書き留めておく。

 

金融技術の今昔

 ーーー土地の「キャッシュフロー」が売買の対象となり、「キャッシュフロー債券」を土地を有する「事業者」から「金融機関」が購入、あるいは担保にして融資を行い、金融機関が土地からの収益を事業者に代わって収取する。その過程で金融機関が、土地の生産力向上や、土地において生産される財を市場でより高値で売り抜けるためのコンサルティングを行うーーー

 現代の金融工学の話ではない。

 室町時代の話である。

 土地所有をする事業者は荘園領主。土地で行う事業は農業生産。土地収益権は、まさに「年貢」。金融機関は土倉・酒屋。

 荘園領主は、年貢の収益権「将来〇〇年分」を担保にして、当該年貢の総額から土倉・酒屋からリスクプレミアム分を割り引いた金額の融資を受ける。

 土倉・酒屋は、それと引き換えに荘園の現地経営に赴く。現地で農業生産の指揮をしたり、生産された農産物を市場で高く売り、融資した年貢分の収益を回収する。

 ここでポイントになるのは、「年貢の銭納化」。

 従来、年貢は作物で納める現物貢納だった。しかし鎌倉期以降徐々に銭納化が進み、南北朝期にはほぼ完成に至っていた。ここで何が起こるか。農業を行う現場生産者は、まず農作物を市場に売り捌きに行く。そこで農作物を換金して、金銭で荘園領主(=事業主)に納付する。

 ポイントは、「差額」である。通常、領主と農民の間で、「農作物=銭」のレートが一定額で協定されている。しかしこれは、いわば生産者から事業主への「卸値」である。

 他方、農作物を生産者が直接市場で売り捌くとどうなるか?市場での農作物価格は、「卸値」ではなくコンシューマー向けの「市場価格」である。当然卸値より高い。

 今で言えば、農家が農協に卸すよりも、直営店で売った方が高く売れて利鞘を稼げるのと同じ原理である。

 こうして室町以前から、銭納化によって、

農業生産者は作物の市場での売り捌き→卸値相当文の領主への貢納→市場価格と卸値の差額の生産者による収取

 という仕組みが出来上がっていた。

 こうして貢納が「金銭債権化」することは、それが「金融商品化」をはたすことをまたない。

 そうして出来上がった金融商品が、上記の土倉・酒屋による融資スキームである。

 土倉・酒屋は、今で言う投資銀行や証券会社のような役回りである。

 

 他方、現代はどうか?

 ホテル事業や商業施設などで言えば、不動産の所有者と、それを借りて施設を運営する「経営者」が違う、所有と経営の分離が行われている。

 例えば、最近プリンスホテルを売却するとした西武グループなども、一部のホテルは不動産としては所有して、ホテルの運営を外資系ブランドに任せるようだ。

 近鉄都ホテルグループなども同様の動きを見せている。

 経営側は、ヒルトンやマリオット、リッツなど世界中に顧客を持つ(=顧客リストを持つ)強力なホテルチェーンが行い、ホテル内でのインフォテインメントなどを常にアップデートしていく。

 所有側は、ホテル等の運営側との契約で、客室のテレビなどのハードウェアの更新を短いスパンで行なっていくことが求められる。さらに、所有者である法人は、不動産のみを会社から切り離し、「不動産だけので一つの法人」、いわゆる「特別目的会社」を作る。こうすることで、親会社の会計から不動産の収益・損失が分離される(これを「オフ・バランス」という)。不動産事業が不調をきたしても、その損失は有限責任化された「特別目的会社」限りで倒産処理され、親会社の本業への類焼は避けられる。逆に、親会社の本業が倒産しても、不動産事業だけは倒産隔離されるため安全である。

 こうして作られる特別目的会社の事業の収益から配当を受けたり、社債の支払いを受けたりする権利が、「証券」として市場に流通する。

 以上が、現代の不動産の流動化・投資のスキームである。

 室町時代と、言葉が違うだけで、やっていることの本質はほとんど変わらない。

 

縮退化と分散化

 科学技術があろうがなかろうが、金融工学があろうがなかろうが、やることの本質は一緒だし、おそらく破滅する時は破滅する。

 近代国家が成立し中世が終焉したが、これを進歩と呼べるのかには疑義がある。

 蓋し、人類の社会は権力の集約化と分散化を繰り返すのではないか。

 かつて権力が集約化されてあった古代が、制度疲労や地球環境などの外的要因により分散化して崩壊し中世となり、その制度が複雑化し再び崩壊を迎えて、秩序の集約化=縮退化に進む、というダイナミズムなのではないか。

 「経済学の直観的方法」において長沼伸一郎氏が指摘する「縮退化」と言う観点から見ると、興味深いように思う。

 中世とは、暴力装置が集約されず分散した世界である。

 近代とは、暴力装置の国家権力への一元化の動きである。「暴力装置の縮退化」と言える。

 他方、中世は常に縮退化=エントロピーの増大に対する反対方向の運動かというと、どうもそうとも言えない。

 室町期よりはるか以前を見ても、平安末期の源平内乱の時代は、「領域型荘園」という新しい支配の論理が成立し、院庁(院政の本体)、平家により荘園が極度に集約された時代である。

 鎌倉後期は、荘園支配権の中間階層から上位階層を、北条氏とその他貴族・寺社勢力が寡占する状態であった。

 先に見たように、中世も完成期、あるいはその崩壊の前奏曲である応仁・文明の乱前後を迎えると、すでに土倉・酒屋といった経済的なプレーヤーの集約化という「縮退化」が起こり、さらにこの時代は、軍事的支配権も室町時代の大名に集約されてきていた。

 こうして、中世においては経済的寡占状況という縮退化が生じ、それが崩壊すると別の経済的寡占勢力・政治的な寡占化の秩序が発生する。

 つまり、単純な分散・集中の運動ではなく、ある部分で集中化の秩序が生じると、それが外的要因により崩壊し、従来分散化していた別の秩序の集中化=縮退化が生じる、という政治・経済・文化・武力等の各クラスター間の相互作用・干渉により、互いの秩序にインパクトを与え合い、縮退化と分散化の運動を繰り返してきているのではないか。

 より明確に言語化できれば良いのだが、現時点で、冒頭紹介の良書を読むにつけ行きつくに至ったのは、以上のような理解である。