先週は土曜日から富山入りだったため、ここ2週間近くずっと動いていた。
あー疲れた。
行った先の写真を順に載せていこうと思う。
まずは富山から。
1.富山城
富山城は昔小学生の頃に行ったことがあるはずである。
確か小6くらいで、金沢、富山とお城巡りをした時だ。
しかし、まったく記憶に残っていない。
なぜか。
再び行ったらわかった。
ショボすぎたからである。
元・城マニアで現・城評論家の私に言わせれば、城としての公園化の仕方が、全国的に見てもかなりずさんな部類である。
まず、天守閣「風」のなにかは、完全にでたらめなただの資料館である。
いわゆる「模造店主」、あ違った「模造天守」である。
石垣は一応往時のものらしい。
ここに大問題がある。
するってぇと何かい、古い時代の価値ある石垣の上に天守閣こと出鱈目なReinfoeced Concreteの模造品を建てたってぇのかい?
ご覧いただけばわかるが、築城時の普請で嵌め込まれた、普請した大名の権威を見せつけるための鏡石がある。
ただの復元石垣でこのような無駄なことはしない。実際この石垣は、江戸初期の築城時のものと、天守閣こと出鱈目なReinfoeced Concreteの資料館に書いてあった。
河村たかしチャンが名古屋城の天守閣を木造完全復元すると言ったら、今の出鱈目な復興天守を壊すだけで石垣が痛むからダメと専門家からおしかりを受けていらっしゃった。
当時は無神経にも天守閣こと出鱈目なReinfoeced Concreteを立てておきながら、オリジナルに忠実に建て直すと言った途端デリケートだから取り壊しすらもするなという世の中になっている。時代は変わるものである。
ちゅうことは、今の基準でいえば、そもそも貴重な石垣の上に天守閣こと出鱈目なReinfoeced Concreteのそそり立つクソ*1を建てるなど、およそ市中引き回しの上打ち首獄門となること必定の蛮行である。まぁ実際そんなことにはならない。刑法上規定されていないからである。
開発主義の時代の軽佻浮薄でテキトーなことをやると、結局後世顰蹙を買うか、よくて城評論家を鼻白ましめる程度のゴミが聳え立つだけである。
変態である。
見ると妙な石垣である。
笑い積みか?
大きい石の隙間にこうした小石を入れる整形は、あま目にしない。
江戸初期に金沢前田家の支藩「高岡藩」を廃止し、高岡城を破却した後、10万石をもって前田家の分家として独立した富山藩が成立した。
築城年代は江戸初期である。
よって築城技術は絶頂期にあったはずである。
通常であれば、打ち込みハギなどの整然とした石垣が、城主の威光を示すために採用されることが多い。
本事案でこうした石積みが採用された理由がいかなものであったのか、理由がわからぬ。
こうした疑問に、天守閣こと出鱈目なReinfoeced Concreteの資料館は無論答えをもたない。
2.富山県美術館
打って変わって富山県美術館は予想にたがわず立派である。
北陸には、金沢21世紀美術館がある。
この強大な存在感の陰に(富山全体が)隠れている感がないではない気がしないでもないように気がそこはかとなくするかもしれないのだが、この美術館はもっと世に知られるべき存在である。豊橋でいうのんほいパークみたいなもんである*2。
特別展は絵本原画展で、「ぐりとぐら」やら諸々のヒット作の原画が並んでいた。
特筆すべきは施設そのもので、幾何学的かつ木材を多用したインテリアは美術館そのものが鑑賞の対象という、美術館のトレンドをきちんと踏まえている。
最近はこのほかにも、青森県立美術館など、府県立美術館が改修等を経て、いいものが増えている。あえて「道」を入れなかったのは、道立美術館は美術館のハコも特別展の中身も驚吃すべきほどにつまらんからである。都立は知らん。なお、滋賀県立近代美術館のように、金沢21世紀美術館をデザインした建築家ユニットSANAAにデザインまでしてもらいながら、鋼材価格の高騰で工事入札不調、結局現行の建物を継続使用することとした残念な例もある。頼むよ三日月ちゃーん。
屋上には遊歩道と遊具があり、子供が遊べる公園になっている。
ここが市民に人気の場所である。
この美術館は、「富岩運河環水公園」なる公園に隣接している。
ご覧の通り曇天である。
この環水公園は、世界一景色のいいスタバがあることで10年程前に一世を風靡しない程には話題になったあのスタバがある公園である。
なぜ不味いコーヒーを高い金を出して買わねばならぬのか。私は反スタバ民である。
Brook'sのコーヒーを家で淹れる方がよほど効率的ではないか。家に引きこもって何が悪いか。
だんだんリア充の巣窟であるスタバに近づいてきた。
リア充の波動に抗いつつ懸命に前進を敢行する。
あれ、この写真二つ前のとあんまり変わんねぇな。
手前端の立ち入り禁止の立て札が心地よい(錯乱)
近くに運河があり、そことの間の閘門である。
明治期くらいの貴重なものらしい。
イイ感じにガリガリの写真が撮れた。曇っているからこその質感でもある。
3.文苑堂
富山は本屋の街でもある。
明文堂書店は、金沢でも旗艦店Beans*3を運営する富山の書店界の雄だ。
双璧をなすもう一角が文苑堂だ。
せっかくなので、金沢在住時によく行ったこの文苑堂の、富山の店に立ち寄った。
いい。
かなりいい。
点数高いよこれ。
書店評論家である私からすると、低くはない評価となる。
「高い評価となる」と言わない理由は一階に「無知の殿堂」の誉れ高いTSUTAYAが蟠踞しているためである。
文庫書棚の陳列が秀逸であった。
ご覧いただこう。
小説の棚である。
最近はやりの、完全五十音順である。つまり、出版社ごとに分けず、著者名五十音で完全に統一陳列している。
これは、来店客が本を探す手間が省けるため、最近一部の大型書店等でも採用がされ始めている。しかし、このシステムには重大な欠陥がある。それは、同じ文庫は文庫でも、「講談社学術文庫」や「岩波文庫」「ちくま学芸文庫」「角川ソフィア文庫」などのような、学術系文庫の取り扱いに困るからである。
学術系文庫は、著者名で買う、という性質とは少し違う。本を著者名で売るのではなく、「テーマ」で売るのである。つまり本のテーマの企画があり、それを核にふさわしい学者等が書いている、といった具合で、どちらかというと性質が新書などに近い。
そうなると、来店客は著者名で本を探さないわけで、タイトルを探すことになる。さらに中公文庫などにある「日本の歴史」シリーズのような叢書の文庫版ともなると、共同執筆や編者がいる作品も多い。
これらの本には、作者別五十音順はすこぶる相性が悪いのである。
私がかつて住んでいた滋賀県も大きな書店が多かったが、その中で地場資本の「SUN MUSIC」というTSUTAYAの地元版のような書店が、例外的に書籍に力を入れた店舗を草津市に持っていた。SUN MUSICは先述の五十音陳列を徹底している店であったが、悲しいかな、上記「角ソフィ」やら「講学」、「ちく学」果ては「岩波」まで、全て五十音で並べる暴挙に出て、結局どこに何があるのか壊滅的にわからぬという状況が出来していた。
こういう時に、普段からどの程度の書籍を扱っているのか、その書店の知性のほどが見えるのである。
翻って、文苑堂はどうであったか。
素晴らしいの一言に尽きた。
ご覧いただこう。
いやぁ、小躍りしたね。これ見て。
文苑堂さん、わかってらっしゃる!
ッコレやで橋本クーン、わかるかぁ??(誰)
「作者買い」しない本のレーベルは、全て摘出して彼らの安住の地を与えるのである。
そのためには、書店員自身が「作者買いじゃないレーベルは何か」をきちんと理解していないといけない。
残念ながら、本屋ならば本好きの店員がいるだろうというのは幻想で、事実SUN MUSICの陳列を見れば、書店員が本を「分かっていない」のは一目瞭然であった。
各レーベルの存在(早川ならば早川ミステリ、早川SF、早川ノンフィクション、など)とその意味を理解し、「キュレーション」のできる店員に恵まれた書店は少ない。
しかし、文苑堂にはそれができた。
ライバルの明文堂とともに、ここまでのハイレベルな書店が富山に存在することに、改めて感服した。
ついでに、せっかくなので町田康の小説を買っていった。
表紙がすでにだいぶヤバい。
目がイっとる。
帰りの飛行機で引き笑いしながら読んでいたら、近くの席のオバハンに怪訝な顔をされた。