手軽な一揆の起こし方

エセ評論家の生活と意見

試写2022.06.25

 

1.小樽

小樽の本屋に行ったら日本海側は晴れでした。

毛無峠

霞んでるけど、街の方は結構カリカリに映ってますな。

AF-S NIKKOR 85mm F1.8Gで遠景に焦点を当ててみたら、あれ、こんなにカリカリだったっけか?というような感じに写った。

写りが硬いとは言われているが、たしかになかなか。

Zレンズのような高精細な「サラサラ」感ではなく、ちょっとカリカリした前世代的な写りなのかしらん。

 

2.喜久屋書店

www.wingbay-otaru.co.jp

行ってきたのは、いつものココ。

小樽に行くのはここに行く以外大抵用がない(失礼

ここは蔵書数はそこそこ(大津の一里山フォレオ大垣書店くらいか)で、言って目当ての本がある確率は5割くらい。

本のキュレーションもそれなりにできていて、札幌にいくつかある自称「書店」で半分以上文具売り場の北海道版無知の殿堂たるコーチャンフォーよりはずっといい。

 

3.お目当ての本

で、複数候補の中から最終的に手に取った2冊のうち一冊がこれ。

重っ(苦笑

見開きでさらさらっと読んでみたら、やはり上手い。文章がうまいだけでなく、情景描写や比喩の表現が怒涛の如く流れ込んでくる。中国文学の専門家だけあって、非常に繊細でしかし硬質でもある。

高橋文学を手にするのは「悲の器」以来二作目で、あの時も硬質、というか厳格な印象の文章と、極めて繊細な文学的比喩表現に驚いた。

邪宗門は、大学時代に憲法学の先生が講義で薦めていたのを聞いて以来、いずれ買おうと思ってはいたが、分厚いしなかなか順番が回ってこなかった。

最近は東山彰良などの現代の作家をいくつか読んではいたが、どうもややピンと来ていなかった(先日買ったマチダは別)。

そこにきて高橋の文章の見開き1ページ目を見たら、やはりこれだ、この稠密さ、端正さこそが言語のみによって時間と空間を作り出す技芸だ、と思わされる。

現代の作家が悪いと言っているのではない。

流行り廃りもあるのだろうが、辻邦夫や高橋和巳のような稠密さというか「圧倒的な比重の大きさ」を見せられると、こちらに魅入られる。現在存命の作家でいえば、円熟味が増してからの池澤夏樹マシアス・ギリの失脚)あたりは同じくらいのマッシヴさを感じるが。

こうした圧倒的なMassivenessを持った作家って、最近の若手中堅にはいるのだろうか?知らんけど。

 

次は見送った作品

 

高橋にするかエーコにするか迷ったが、エーコは見送りとなった。

問題は翻訳で、訳者河島英昭は以前マキアヴェッリ君主論が読むに堪えなかっただ。

同じ君主論でも、岩波の佐々木毅版でなければ読めない。

アマゾンでも、かなりイタリア文学やイタリア政治史に造詣の深い人が指摘しているようで、河島役は誤訳や文献理解のあ祭典が散見されるとされ、評価が低い。

エーコのように、ボルヘスナボコフ並みに膨大な教養に裏打ちされた仕掛けを無数に含むであろう作品ならば、こうした翻訳者の姿勢はなおさら致命的だ。

 

フーコーの振り子は以前読んだが、もう一つの代表作である「薔薇の名前」は、是非光文社古典新訳文庫などで、きちんとした翻訳者で再出版してほしい。

 

んでもって、もう一冊入手したのはこちら。

eighty six第6巻。

たぶん第二期アニメ化は難しいような気がする(ほかにもコンテンツが多すぎて製作費がまわってこない気が・・・)ので、とりあえず原作で読んじまうしかない。

映像化希望だがちょっと無理だろうという作品はほかにもある(後者は一部アニメ化済)。

 

 

 

どうも最近、文芸系は読むものがばらけているのに対して、論説系のものが歴史に偏りすぎていていかん。自然科学系などにもうちと寄せていきたいが・・・

 

85mm単焦点で撮った雲。結構硬い