手軽な一揆の起こし方

エセ評論家の生活と意見

特に書くこともないので

 

マスコミが病原ではないか。

立憲主義・民主主義という制度を壊疽させる犯人探しの話だ。

今回の安倍暗殺事件で、この疑念というより随分前から得ていた確信を思い出した。

 

1)暗殺事件のその後まとめ

まず、本事件の理解に関して、私が第一報を聞いて2−3分で感じた所感、そして予測が全くと言っていいほど間違っていなかったことがわかった。

慧眼などではなく、冷静に重要な情報を観察し、論理的推測をすれば簡単にわかることだ。

maitreyakaruna.hatenablog.com

民主主義は、冒涜される価値すらもなく、ただ私怨による殺人のために跨ぎ越されただけだった。

その後の言説の中で、珍しく2ちゃんねる創設者のひろゆきの言説が目をひいたので引用しておく。

president.jp

民主主義に失望していられるのはまだ暮らし向きがいい方で、本当に追い詰められていれば民主主義などハナから注意の埒外だろう。

ISに共感してフランスでテロを起こす若者なども、宗教的大義などは二の次だろう。

タリバーンとてイスラームの戦士ではなく、食い詰めたのらくら者の寄せ集めである。

もっと言えば、新撰組のような秘密警察的組織も、地方の食い詰め者の寄せ集めである。

暴力というプリミティブな結果をもたらす原因もまた、その多くはやはりプリミティブだ。

結論、本事件を民主主義に対する冒涜であるとか、あまっさえ安倍の保守思想に対する攻撃などと妄言することは、もはやそれ自体が陰謀論であり、語るに落ちると言うほかない。

単刀直入に言うと、アホである。

 

2)で、カスゴミ、あ間違えたマスゴミ、いや違うマスコミ

大きい事件が起こるたびに、必ず絶対に外さず共通してやらかす連中がいる。

報道機関である。

今回も、やった。

統一教会の名を伏せた件だ。

毎回やっているが、個人的に記憶に新しいのは京都アニメーション放火事件の際の、被害者報道についてである。

あれは、警察側が被害者側京都アニメーションの意向に基づき、報道発表の際に亡くなった方の氏名を非公表としたことが発端であった。

一部のマスコミが、その対応を批判、また亡くなったとされた方の親族に取材スクラムを組んで、やはり批判された。

こういうことをすることがわかっていたから、京都アニメーション側も公表を控えたのである。

つまり、報道機関のやることなすことに信頼性が全くないということだ。

マスコミは自分達の方が力が強いと認識できる対象の意向は、報道の自由を盾に無視して踏み躙る。

他方、安倍暗殺事件は被害者側の意向が働いたわけではなかろうが、警察発表なのか報道各社の勝手な談合の結果なのか、統一教会の名が伏せられた。

宗教団体側から無用なクレームが来るのを恐れたか?

また、参院選後に統一教会の名が(それも団体側から自ら記者会見をやるという、本来報道機関の調査報道能力からすれば最悪のだし抜かれ方という形で)出たのも、選挙に(特に自民党の有利不利に)影響を与えないようにという忖度が働いたと見られてもいる。

報道各社は、自分達が後で絡まれそうな面倒臭そうな相手については、勝手に忖度をして報道の自由(=報道すべき義務)を投げ捨てるのである。

彼らは、自分達がある情報を公表すべきか否かの判断基準を「公益的重要性」と「プライバシー権(これは京アニのような取材対象者による情報のコントロール権という意味である)」の衡量の中においていない。

ただ単に、「自分達が取材対象者より強いか弱いか」と「ネタとして盛り上がれるか否か」のみにおいているのではないか。

こうした、情報の公表基準の一貫した非常識さ、というよりもはや破廉恥さという一点において、報道機関が大事件の際に決まってやらかす醜態の全てが説明がつくように思う。

 

3)コイツらはなんなのか

日本人には、他人の足を引っ張るのが好きだという性質があるようだ。

jp.sputniknews.com

実に愉快だ。

他社にすっぱ抜かれる前に、記者クラブ連で情報を押さえ込んで互いに村八分的監視を行い、談合し、強い者には靡き、弱いものは徹底的に痛めつける。

吐き気がするほどおぞましい。

こういうことをしているから信頼を失うし、ちょうどいいところにYouTubeなどのプラットフォームが現れ、ProSumerと呼ばれる個人消費者たちが自ら情報発信の担い手となる、情報発信のフラット化が生じてきた。

マスコミが信頼を失う中で個人の発信者の一部に、厨二病を拗らせた「子ども大人」の集まりである参政党のような、トンデモ陰謀論者が沸いてくる。

ニートになって部屋に引きこもって中年にまで至った人のことを「子供部屋おじさん」などと揶揄する必要はない。参政党その他「なんちゃってニワカバカ右翼」連中の頭の中が、酸えた臭いのする子供部屋である。

こういうアホは常に沸いてくるものだが、こういったスキを作ったのは明らかに公共の議論の場をしっかりと形成してこなかったマスコミでもある。

マスコミの愚劣な自主規制が、最終的に報道の自由どころか表現の自由そのものの抑圧につながる第一歩であることを、よく思い返さねばなるまい。

 

早くNetFlixのような規模のサブスク業界の巨大報道機関が、何社も出て互いに競争する時代がきてくれれば、現状の日本の報道環境は変わるかもしれない。