1.国立西洋美術館
二日目に研修講義が昼からあったが、午前中は上野の国立西洋美術館にいた。
館内の作品は写真撮影可で、日本の美術館では珍しい。
しかし知らなかったためカメラはロッカーにおいてきた。
ティツィアーノやエル・グレコ、ムリーリョなどルネサンス~近世の画家のものや、ルーベンスの小品、フェルメールのものと思われる習作、クラーナハ、ブリューゲル、ファン・ダイクなど、さらにラファエル前派のミレイなど、各時代の有名どころの、代表作ではないが小品や秀作が多い。
川崎造船の松方幸次郎の個人コレクションを基にしているのだから、これが限界ともいえよう。しかし個人で、それも東洋人が西洋絵画を、ここまで集めたのは、十分驚異的である。
モネやルノワールが多かった。モネは、睡蓮と並び蓮の頻繁に描いた植物、柳の作品が多かった。
ルノワールは、私の印象では、かなり「萌え」要素のあるかわいい女の子を描く印象だが、まったくかわいくない肖像画が難点何点かあった。
よくわからないが、やはり各画家の完全な第一線のマスターピースではないものが多いということか。
2.ホテルは八重洲と上野の間=秋葉原
ホテルをここに取るのは初めてだったように思う。
まだできて日の浅い、新しいホテルである。内外装ともに気をあしらったビンテージ風のもので、おしゃれにできている。ビンテージ風は、古くなっても古びた感じがしにくいこともあって、アパート投資などでも注目される手法である。
アメニティはフロント横においてあるものを自分で部屋にもっていくセルフサービスで、星野リゾートや共立グループ(ラビスタやドーミー・イン)のリーズナブルグレードでも見られる手法だ。
ここを含めて最近のホテルは、アロマなどできちんとフロアを演出している。一泊目の宿は、結婚式場も兼ねているため、香水のようなフレーバーが強かった。しかし、近年のフレーバーのトレンドはリラクゼーションで、どちらかというと弱めのシトラス系とハーブを合わせたアロマが好まれる。
コーヒーやティーバッグなどフロントでもらい放題なのはありがたい。
部屋もシングルでクイーンサイズベッドのため、寝心地もよかった。
エアコンがセントラル空調ではなく、個別空調で家庭用エアコンがついているのも、部屋の快適性に大きく寄与している。
夜9時過ぎにアキバを歩いてみた。
ヲタクのための電気とアニメの街だったのだが、最近はどうもメイドコスで性的サービスを提供する店が増えているっぽい。看板を見る限り、だが。
なんか、街の雰囲気がちょっといかがわしくなったような、というか、治安が悪くなったような気がする。
アニメ自体がコンテンツとして成長し、特に近年の配信プラットフォームのおかげでサブカルチャーからポピュラーカルチャーになりつつある。
こうしたマンガ・アニメ・ゲーム(MAG)という文化の変化も、徐々にその聖地としての秋葉原の存在を必要としなくなってきた、あるいはMAGのウンカ的中心地としての求心力を相対的に低下させてきたのかもしれない。
特にゲーム系では、中国資本のスマホゲームの広告興行が拡大している。「原神」や「アズールレーン」などで、視聴率のボリュームゾーンの時間帯のテレビでもよくCMを出稿している。
安くこき使われる日本のアニメーターを高額でヘッドハントしていっているともいう。
マンガの分野では、スマホの縦長画面をスクロールしながら読める「ウェブトゥーン」の分野で韓国が先行している。日本でアニメ化された「神の塔」などが代表作だ。
日本の漫画と制作体制が全く違い、原作者の作家性に依存せず、原画、ストーリー、プロモーションなどを徹底的に分業して作るのが強みという。
潰しあう敵ではなく、マーケットを拡大させる互恵的な関係になることはできるだろう。パリがヨーロッパ中から芸術家を集めた(フィンセント・ファン・ゴッホも、アルフォンス・ミュシャも、パブロ・ピカソもみな異邦人である)ように、日本のMAG文化がそうした求心力を保てるかがカギだ。
そのためには、仕事の価値を適正に評価する市場システム(アニメーターの搾取はやめなければならない)、表現の自由、リスクをとれるプロモーター、多様な投資スキームが必要だろう。製作委員会方式はリスク分散にはよいが、リスクを恐れる玉虫色の投資をしがちである。配信プラットフォームという大口投資家を駆使した単独スポンサーによる大型投資や、倒産隔離など、知恵を絞る必要がある。
ディスク販売に依存する「負け筋」ビジネスモデルしか打ち出せなかった日本のアニメは近年、アマプラやネトフリといった配信プラットフォームに、「期せずして」救われた感がある。果たして、自分の足で歩く構想力があるかどうか。