- ヴィンランド・サガ第一期スコア
- 1.評価
- 2.時代背景
- 3.トールズとトルフィン
- 4.アシェラッド、あるいはルキウス・アルトゥリウス・カストゥスという男
- 5.もう一人の主人公、デンマーク王国第二王子・クヌート
- 6.3つのストーリーの連繋
ヴィンランド・サガ第一期スコア
1.アニメーション技術面 | 55.5 | 60 | |
1)キャラクター造形(造形の独自性・キャラ間の描き分け) | 10 | 10 | |
2)作り込みの精緻さ(髪の毛、目の虹彩、陰影など) | 10 | 10 | |
3)表情のつけやすさ | 10 | 10 | |
4)人物作画の安定性 | 8.5 | 10 | |
5)背景作画の精緻さ | 8.5 | 10 | |
6)色彩 | 8.5 | 10 | |
2.演出・演技 | |||
声優 | 155 | 170 | |
1)せりふ回し・テンポ | 10 | 10 | |
2)主役の役者の芝居(表現が作品と調和的か・訴求力) | 10 | 10 | |
3)脇役の役者の芝居(表現が作品と調和的か・訴求力) | 9 | 10 | |
映像 | |||
4)意義(寓意性やスリル)のある表現・コマ割り | 10 | 10 | |
5)カメラアングル・画角・ボケ・カメラワーク | 9 | 10 | |
6)人物表情 | 10 | 10 | |
7)オープニング映像 | 8 | 10 | |
8)エンディング映像 | 8 | 10 | |
音楽 | |||
9)オープニング音楽 | |||
作品世界観と調和的か | 8 | 10 | |
メロディ | 8 | 10 | |
サウンド(ヴォーカル含む) | 8 | 10 | |
10)エンディング音楽 | |||
作品世界観と調和的か | 10 | 10 | |
メロディ | 10 | 10 | |
サウンド(ヴォーカル含む) | 10 | 10 | |
11)劇中曲 | |||
作品世界観と調和的か | 9 | 10 | |
メロディ | 9 | 10 | |
サウンド(ヴォーカル含む) | 9 | 10 | |
3.ストーリー構成面 | 70 | 70 | |
1)全体のストーリー進捗のバランス | 10 | 10 | |
2)時間軸のコントロール | 10 | 10 | |
3)ストーリーのテンションの保ち方のうまさ(ストーリーラインの本数等の工夫等) | 10 | 10 | |
4)語り口や掛け合いによるテンポの良さの工夫 | 10 | 10 | |
5)各話脚本(起承転結、引き、つなぎ) | 10 | 10 | |
6)全体のコンセプトの明確性 | 10 | 10 | |
7)各話エピソードと全体構造の相互作用 | 10 | 10 | |
280.5 | 300 | 0.935 |
93.5%・・・Sランク
SSランク・・・95%以上
Sランク・・・90%以上95%未満
Aランク・・・75%以上90%未満
Bランク・・・60%以上75%未満
Cランク・・・45%以上60%未満
Dランク・・・30%以上45%未満
Fランク・・・30%未満
1.評価
アニメの評価基準としては、Sランクにならざるを得ない。
しかし、作品自体の内容の濃密さ、高度さ、スケールの大きさ、端正さ、などなどどの指標をとっても、そこらのアニメ作品とは比較にならない大傑作である。
おそらく、NHKのどの大河ドラマも、この作品の「真の歴史大河」としての完成度にかなうことはない。
それどころか、ノーベル文学賞受賞者のうちのいくつかの作品をすらも蹴散らすくらいのレベルである。
この作品の凄さは、キリスト教、ノルド神話、アルトゥリウス(アーサー王)の伝説という神話・宗教に仮託された思想と、ローマ文明、アングロサクソンとキリスト教、デーンのイングランド侵略という人の営み、戦争の歴史の重層性を見事に物語の基幹ストーリーとして昇華したことである。
これはすべて、原作者の漫画家・幸村誠がいかに天才的な作家かを示している。
2.時代背景
西暦1006年、11世紀初頭の、イングランドを中心とした北海地域である。デンマーク王スヴェン1世は、イングランドに侵攻し蹂躙していた。
このころのデンマークは完全にはキリスト教化されておらず、戦士と呼ばれる王の兵や傭兵、海賊のヴァイキングたちは、北欧神話の言い伝えのもと、果敢に戦って死に、ヴァルキリー(ドイツ語ではワルキューレ)に導かれて天井の楽園・ヴァルハラに過ごすことを目標とし、誇りとしていた。
ブリタニアは、カトリックに教化されたアングロ・サクソン人のイングランド、ローマの文化を受け継ぐケルト人のウェールズ、そしてそれらを蹂躙するデーン人が入り乱れていた。
3.トールズとトルフィン
アイスランドの寒村に住むトールズは、かつてはデンマーク最強の戦士団の将で、戦鬼=トロルとあだ名された戦士であった。
子を得てから戦いに意味を見出せなくなり、戦闘中に脱走、妻で戦士団の長の娘であるヘルガとアイスランドに逃れた。
アイスランドで生まれたのが、長男トルフィンである。
トールズは、かつて脱走した戦士団「ヨーム」の長・フローキに探し出され、アイスランドからイングランドの戦場を向かうよう指示される。徴兵である。イングランドへ向かう途中、フローキの差し金で送られたヴァイキング・アシェラッド兵団に襲撃され、村から連れてきた徴用兵と、案内役の船乗りレイフを守るため、自らの首を差し出す。フローキは、脱走したトールズへの私怨から、徴兵と偽っておびき出し、彼を殺させたのである。
生前、トールズは「本当の戦士に、剣は要らない」といった。
彼は、守りたい者のために自らを差し出し、自らの死をもって子を、他者を守った。
目の前で父を殺されたトルフィンは、憎悪に燃えてアシェラッド団の船に乗り込む。その後幾度も復讐のための決闘をアシェラッドに願い出つつ、兵団と行動を共にするようになる。
トルフィンは、トールズを殺したアシェラッドと、共依存関係になっていく。
レイフという男は、生前トールズの下に繁く寄港した船乗りだ。アメリカ大陸まで到達したことがあったという。実際に、この時代以前からノルド人がアメリカ大陸に到達していたと考えられている。
レイフは辿り着いた先で、厳寒の冬もなく、実り多く、奴隷もおらず、平和に暮らせる広大な土地を見つけた、とトールズやトルフィンに語って聞かせ、アメリカンインディアンからもらった羽飾りの冠も見せていた。
彼は、かの地をヴィンランドと呼び、逃れるべき恐怖も、圧政も、戦乱も貧困も、そこにはない、と語った。
トルフィン、生前のトールズに、いつかまたヴィンランドへと向かう旅に、今度はともに出ようと語った。
しかし、である。
トールズは殺され、復讐しか見えなくなったトルフィンはアシェラッド団とともに消えてしまった。
4.アシェラッド、あるいはルキウス・アルトゥリウス・カストゥスという男
登場人物のクレジットの順番からして、主人公はトルフィンである。幼くして海賊に偉大な戦士であった父・トールズを殺され、その後復讐のために海賊についていき、いつしか海賊の首領と共依存関係となる。
しかし、この大河作品第一章の主人公の一人は、トルフィンの父の敵・アシェラッドである。
このアシェラッドという男こそ、この物語を体現するといってもいい存在である。
彼は父をノルドの豪族の長、母を奴隷に持つ、ノルド豪族の庶子であった。
母は、父がウェールズを略奪した際に誘拐され奴隷とされた。出自はアルトゥリウス王の血統を引くウェールズの小王国の王族であった。
アシェラッドには、忌むべきデーンの蛮族の血と、高潔なるローマ文明の継承者・アルトゥリウス王の末裔の「青き血」が混ざっていた。
彼はデーンの海賊の首領として、イングランドで蛮行を繰り返す。62人の村を襲い、脱走者以外すべてを惨殺したこともあった。
彼の野蛮な血はしかし、その野蛮さへの憎悪ゆえにこそ、彼を蛮行に駆り立てた。
アシェラッドは、イングランド人を侮蔑していた。
イングランド人は、アングロ・サクソン人、つまりはゲルマン人である。
500年前、ゲルマン人の大攻勢を前にローマ軍の将軍アルトゥリウスが必死に守ったブリタニアの、敵であった。
そしてまた彼は、デーン人を憎悪していた。
母をウェールズから拉致し奴隷にして、自分を産ませ、病を得てからは厩で飼った。
その母の苦しみを、悲しみを見て、自ら奴隷の子として育ったのがアシェラッドである。
母は彼に言い聞かせた。アルトゥリウス公は、遠い西の果ての永遠の園・アヴァロンで、戦で得た傷を癒しておられる。必ずやこの世界を終末から救わんと、いま一度ブリタニアを救済しにまみえたもう、と。
アルトゥリウスは今、遠い地上の楽園にあり、いつか我々は彼に救われる、これが、この作品の支柱の一つである。
彼は、二人の人間に、アルトゥリウスの再来を幻視する。
一人は、トールズであった。
謀殺のための襲撃の最中、彼の「本当の戦士に、剣は要らない」という在り様に、真理への導き手、楽土への先導者の素養を見た。
しかし、彼が自らの命を差し出して他者を守る思いを知り、惜しみつつ彼を手にかけた。
いま一人は、クヌートである。
神の愛の無慈悲に憎悪し、地上にこそ楽園を築こうと決意する。そのために身命を賭ける王子を、真のブリタニアの王にすべく担ぐ。
そんなアシェラッドは、クヌートとともにデンマーク王本営・ヨークへと帰還して、王から古郷ウェールズの平和か、クヌートの命かどちらかを選べと迫られ(王は第二王子クヌートを謀殺しようとしていた)、自ら殺される覚悟で、王を惨殺した。
自らの命をなげうって、ウェールズと、そしてクヌートを守ったのである。
余談であるが、アシェラッドという男の描き方は、非常に細かい。
例えば、トールズ襲撃戦で、トールズと一対一の決闘をする際の口上の話である。
彼は正々堂々の決闘をノルドの神・トール神に誓う。
しかし、戦闘中にトルフィンを人質にとったり、谷の上から矢掛けするなどの違反行為をする。
しかし、トールズの死の間際に至って彼の真の戦士としての器量を知り、トールズの「自分の命と引き換えに、他の者を助けてほしい」という願いには「わが先祖アルトゥリウスに誓って」と宣誓する。
この物語前半の、アシェラッドの出自が明かされない段階ですでに、アシェラッドにとって本当に守るべきことの宣誓には、彼の誇るべき血統がものをいうのである。
また、彼の戦闘装束は、以下のとおりである。
ノルド人の服の上にまとっているのはローマ軍軽装歩兵や補助兵(属州兵)、近衛兵が身に着けたとされる革製胸甲、ローリーカ・ハーマータである。さらに彼が持つ剣も、少し長いがローマ軍正規兵が持ったグラディウス刀に似ている。
彼がクヌート王子を伴ってウェールズのモルガンクーグ王国に入国する際も、注目すべきシーンがある。モルガンクーグの将軍(おそらくインペラトール、又はマギステルなどの古式の職名であろう)グラティアヌスに書簡を送る際、渡し船の船頭は、彼の甲冑を一瞥して、書簡を届けることに了承するのである。
装束から、船頭がアシェラッドのことを、ローマにゆかりのあるものと悟ったシーンである。
さらに、アシェラッドが王を暗殺する際の、御前会議の場での姿を見てみる。
彼がまとっているのはトーガである。
ローマ人が公式の場で着用する正装である。
そしてこの後、彼はデンマーク王に対して自らの真名・ルキウス・アルトゥリウス・カストゥスを名乗り、自らをブリタニア王位の正統継承者と宣言して斬りかかるのである。
こうした考証の端々にまで、アシェラッドという男の出自と、彼の中にあるアイデンティティが描きこまれていることに、舌を巻かざるを得ない。
5.もう一人の主人公、デンマーク王国第二王子・クヌート
クヌートは実在のデンマーク王(当時は第二王子)で、後にイングランド・ノルウェー・デンマークにまたがる一代限りの大帝国・北海帝国を築く。
彼は王家の中でもキリスト教に教化された者で、神父を側に仕えさせていた。
この作品の中でも出色のエピソードは、アニメ第18話、「ゆりかごの外」である。
クヌートの指導者としての覚醒、というよりもはや「啓示」を受けた奇蹟の瞬間を描いたものである。
先述のように、彼を連れて軍団本営へと向かう途中、アシェラッドは村落を襲撃、口封じに全員を惨殺する。それでも追っ手を振り切れず、目の前で自らの身柄をめぐってヴァイキングどもが乱れ争い殺しあう。
これほどの惨劇が繰り広げられる中で、なぜ神は黙しておられるのか?
そう、彼に与えられた試練は「神の沈黙」であった。
争いの最中にあって彼は、神の「愛」の本当の意味を知る。
それは「与えること」である。
自らは望まず、ただ無償で人に自らの命を、肉を、与える。それこそが愛である。よって、人は死して屍を曝して、世界に自らのすべてを与えて、初めて愛を体現するのだ、と。生は死によって完成し、生ある限り愛には辿り着きえない、と。
その無情さに思い至った彼は、それによってこそ、王となる決意をする。
神は天上より人の行いを見ている。しかし、愛がただ与えることなれば、如何な無惨も、残酷も、悲劇も、もはや神はお救いにはならない。
迷妄に地上を這いまわり、生きることの意味すら持てず惨劇を繰り広げる地上の人に、もはや神は無益である。ならばこそ、自らが地上の王となり、地上に迷える者どもに生きる意味を与え、王道楽土をこそ在らしめよう。
見事なまでの、アンチ・クリストゥスの宣明である。
想像だが、この250年後の、同じくノルマンの血を引くシチリアの王にして神聖ローマ帝国皇帝・フェデリーコ2世(フリードリヒ2世)も、あるいはこうした感覚を持っていたのかもしれない。彼は教皇から反キリスト的と幾度も非難されている。
クヌートは、自ら地上に楽土を築く覚悟をする。
それこそ、トールズやレイフにとってのヴィンランドであり、アシェラッドにとってのアヴァロンである。
ちなみに、神の沈黙というテーマは、以前ヘンリク・シェンキェーヴィチの「クオ・ワディス」と遠藤周作の「沈黙」の比較レビューで言及した。
本作の、身も蓋もない言い方をすれば、「神に見切りをつけて自分で何とかする」宣言は、キリスト者ではできない発言であろうし、そういう意味で神の沈黙を前にした者の、本当に差し迫ったリアルの諸相の一例を描いていると思う。少なくとも、このどうしようもない神の沈黙に対するリアリズムに比べれば、「クオ・ワディス」がなんと牧歌的なことか。
6.3つのストーリーの連繋
トールズが残した「本当の戦士に、剣は要らない」という言葉は、彼が命を差し出して人を守ることで現実のものとなった。
アシェラッドは、最後に自らの誇りにかけて、真の王者たるべきクヌートと、そして古郷ウェールズを守るために、自らの命を差し出した。
クヌートは、愛はただ与えることであり、人はそれを死すことによって成し遂げると悟った。
何かのために、自らの命すら差し出す者を、真理を得た者として描き、かつそのような悲劇、不条理を見ない楽土をこそ人は欲するとして、未だ見ぬ楽園をーあるいはヴィンランド、あるいはアヴァロン、あるいは地上の王国-追い求めようとし始めた者たちを描いたのが、ヴィンランド・サガ第一章であった。
最終話のサブタイトルは"End of the Prologue"である。
この先に、楽園を求める人たちの、永く苦しい旅路が続くのであろう。
アニメでは現在、第二章が描かれ始めた。
地上の苦しみのその先へ、誰が追い求め、誰を導くのか。