手軽な一揆の起こし方

エセ評論家の生活と意見

越後湯沢とニセコの類似点と相違点、バブルのメカニズムと今後

 

1.二者はビジネスモデルにおいて決定的に違い、かつ根本的に似ている。

ともにスキーリゾートとしてバブル期に一世を風靡し、かつ現在それぞれのやり方で、方やインバウンドリゾートの最先端(ニセコ)となり、方やその需要を取り込もうと立地の良さを生かして復活しつつある(越後湯沢)。

両者の現時点での立ち位置は、圧倒的にニセコが目立っているが、そこには相違点と、相似あるいは合同な点を見ていく。

越後湯沢駅の賑わい。3月後半で雪解け間近だが、観光客でごった返していた

1)両者の相違点

雪質は圧倒的に羊蹄山麓が上である。

世界最高クラスの雪質といわれており(まぁ初心者の筆者が滑ってても楽しいわな)、雪質にうるさい外国のスキー客に注目された。

しかし、都心アクセスの良さでは、越後湯沢が日本一である。

スキーリゾート以外の観光を東京で楽しみ、ついでに雪遊びをしに行くには湯沢は格好の場所だ。

新幹線ガーラ湯沢駅。湯沢の強さの源泉、唯一の新幹線直結のスキー場駅

ガーラ湯沢駅のスキー場リフト券売り場

つまり、訴求する客層が違う。

次に、不動産のビジネスモデルが決定的に異なった。

越後湯沢のバブル期の「リゾートマンション」ビジネスは、単なる別荘需要である。

別荘とは、富裕層が自らの使用に供するために購入するものであり、人に貸し出したりはしないため、それ自体から運営収益は発生しない。利益が出ることがあるとすれば、転売時の値上がり益である。

つまり、インカムゲインが存在せず、キャピタルゲインが期待できるか否かがポイントということになる。

分かりやすく株に例えるならば、配当が出ない株式を、値上がり時の転売狙いで保有するようなものだ。

インカム収益が出ずキャピタル収益のみに依存するため、資産としてはリスクが高い。

ホテルや民泊として個々の区分建物を運用しようとすると、管理規約を変更する必要が出てくる。これが難物で、ハードルを越えた少数のリゾマンはようやく民泊ビジネスにかじを切り始めたようだが、その他大勢はいまだに別荘というオーナー実需に依存せざるを得ない資産のまま残されている。

リゾマンの空中の渡り廊下。東京のデベロッパーが現地の事情を考えずに作ったため、空中回廊からの落雪事故がよく起こり、昔は下に駐車してあったベンツがお釈迦になったことも・・・

ニセコの「コンドミニアム」はどうか?

湯沢のリゾマンと同じ分譲マンション型の不動産だが、こちらは管理規約の中で当初からホテルとして運営されることをうたっている。

ビジネスモデルが、決定的に違うのである。

創から、個々の分譲ユニットがインカム収益を得られるようなビジネスモデルで、いわば投資家からすれば期中の配当が期待できる株式と同じ、あるいは収益物件(賃貸マンションや賃貸オフィス)を所有するのと同じということである。

 

2)決定的に違うように見えて、根本的には金融資本主義市場経済という砂上に建つ楼閣であるという点は変わらない

以上のように、収益物件としてインカムが期待できる点で、ニセココンドミニアムの方が投資対象資産としては安全性が高い。

ではニセココンドミニアムが湯沢のようなバブル崩壊で打撃を受けないかというと、そうではないだろう。

単純に、インカム収益率が「極端に低くなる」あるいは「不動産投資利回りが低下する」と、それは「物件価格の相対的な高騰」を意味する(「国債の利回りが下がる」=「国債価格が上がる」というあの理屈と同じである)。

物件価格が高騰すると、以下の二つの現象が起こる。

1、キャピタルゲイン狙いのリスクオン(リスク選好)の投資家のみにプレイヤーが選別される

2、投資規模が大きくなるにつれ、プレイヤーの数が減る

これによって、物件価格は高騰するものの、それは市場への売り出し価格が見た目上上がっていくだけで、取引総量が減る=買い手がつかなくなる、という状況が生じうる。

これは、株式市場で起こるバブルと同じである。

株式の取引価格はグングン上昇するが、それは売り手が欲をかいているだけで、その実書いては私大に現れなくなる。

こうして需給バランスが崩れた瞬間に、バブルは崩壊するのである。

つまり、バブルが崩壊するか否かは、表面上の価格を見ていてもわからない。

まず第一の兆候として、インカム収益率=利回りの極端な低下が起こる。

これは、資産が持つパフォーマンスに対して過大な価格=評価がつけられていることを意味する。ここで、インカムゲイン狙いの投資家が脱落して、キャピタルゲイン狙いのリスクオンの投資家のみが選別される。

第二の兆候として、選別されたリスク選好投資家の中で、徐々に割高感が蔓延し、取引総量自体が減少する。

以上を経て、需給バランスが合わなくなり、いわゆる市場の「調整局面」あるいはrecessionが起こる。これがバブル崩壊である。

バブルははじけるまで分からない、という言葉があるが、けだしあれは嘘である。

カエサルは「人は自らの見たいと欲する事実しか見ようとしない」と喝破した。

バブルが崩壊するまでバブルか否かわからないとのたまっている人々は、自らの見たくない事実から目を背けているだけであろう。

 

2.今後どうすべきか

1)現在の収益構造

現在、ニセココンドミニアムは利回りが非常に低い状況である。

このままではバブルとして崩壊する恐れはあると、筆者はみている。

ではどうするか?

応えは非常に単純である。

インカム収益率を上げるのだ。

現在のニセココンドミニアムの問題点は、稼働収益の大半をウィンターシーズンに依存している点である。

つまり、低くなったとはいえきちんとした額のインカムを稼ぎ出しているのが、事実上「ほぼ冬」という状態なのである。

ちなみに、不動産が収益化されていないとはいえ、入り込み客数などの動態でいえば、越後湯沢も同じという。

越後湯沢、石打丸山スキー場

2)ほかの観光地はどうか

逆に言えば、ニセコ・湯沢両者とも冬だけで稼げているが、サマーシーズンの観光はほぼ手つかず、という非常にもったいない状態である。

富良野は、観光客の3分の2を夏に依存するという。

白馬も、近年成長著しい岩岳リゾートなどは、夏場の観光客誘致に成功したことで成功を収めている。いまや、入り込み客数は夏の方が多いという。

ニセコは、夏は富良野より涼しく、平地は白馬と同じくらいの冷涼さである(白馬は標高が高く、ニセコは緯度が高い)。そして景色は白馬よりも雄大である。

越後湯沢も冬に依存するといったが、実はニセコはおろか、白馬にも富良野にもまねできないキラーコンテンツが一つある。

苗場スキー場で開催される日本最大のロックフェス、FUJI ROCK FESTIVALである。

毎年のべ10数万人単位の観客を動員する。

3)夏場の観光が脆弱であることは産業構造自体をゆがめる

ニセコは、富良野のようなラベンダー畑や大型イベントなどのキラーコンテンツがない事、豪州人を中心としたニセコの観光産業従事者の多くが、冬シーズンしか営業をしたがらないことから、夏場の収益を回せる構造になっていない。

このことは、ニセコを「季節労働市場」にしてしまっており、通年で安定的な雇用を期待する優秀な人材の獲得、同じく安定収益を望む国内事業者のニセコへの進出を阻んでいる。

逆に、夏場の観光を起動できれば、それは不動産の収益率の改善のみならず、優秀な熟練労働者の獲得、多様な事業者の参入を促し、乗数効果的に発展を下支えすることが予想される。

外国人の経営者による尽力に依存してきた(彼らのスキーリゾートとしての発展への寄与は疑う余地がない)がゆえに、彼らが力を抜く夏場の観光に手を付けてこられなかった。

外国人を中心としたウィンターシーズン中心の経営者を非難すべきものではなく、むしろきつい言い方だが、彼ら以外の在所のプレイヤーの怠慢でもある。

雪解けの南魚沼郡。この時期以降のコンテンツをどうするかが課題

4)現在進められるニセコの夏場のコンテンツ開発とその盲点

現在、ニセコ花園地区でパークハイアットを運営する香港系の企業や、地元に住む豪州人がそれぞれ、夏場のアクティビティを作っていこうとしている。素晴らしいことだと思うが、やはりここでも在所の日本人は、また口を天に向けて開けて、何かが降ってくるのを待っているだけなのだろうか?

また、サマーシーズンの観光について、ニセコは冬の成功体験から、「体験型」コンテンツにこだわる傾向が強いように思う。

例えば、現在稼働中のものも、マウンテンバイクを利用したフロートレイルや、ワイヤーで山肌を滑走する超大型のジップラインなどだ。

しかし、こうした体験型施設は、あくまで五体満足な人を前提としていることを、厳粛に謙虚に受け止めねばなるまい。

つまり、発想がユニバーサルではないのである。

白馬岩岳は、かつてフロートレイルの聖地と呼ばれたが、一時落ち込んだという。理由は、コースを玄人向けにし過ぎて、だれも見向きをしなくなった、とのことだ。

しかし現在は、スキー場の上の方にあるカフェテラスやワーキングスペース(高速wifi完備)などを使った、滞在型の顧客にも訴求し、さらにフロートレイル自体も初心者から楽しめるようにした。

フジロックフェスも、音楽が好きな人という縛りにはなるが、ライブに参加して楽しむこと自体には障壁はない。

富良野の花畑はもはや言うまでもなく、ただそこに花があるだけで、人は楽しめるのである。

ニセコは、つい最近冬のスキー場でチェアスキー向けの施設整備が北米などより著しく遅れていることが一部で認識されるに至ったが、夏場の「体験型推し」にも共通するのは、こうした「健常者前提」の発想であろう。

5)金融経済などは小手先のテクニックであり、本質はリアルワールドにある

ただそこにいるだけ、ぼーっと山並みを眺めたいり、ぶらっと散歩をしたいだけの人が、いかに楽しめるようにするか?

そうした「ユニバーサルデザインされた観光地」という観点は、特に夏場の観光を起動するためには不可欠な視点と思われる。そしてそれが、ひいては金融資産ともいうべき不動産のマーケットの帰趨をも左右するのであろう。

結局、金融テクノロジーが発展しようが、それによる長期利子率が労働生産性を上回るなどという歪んだ社会構造ができてしまおうが、その根本を支えているのはこうした一つ一つの「リアルワールド」の積み重ねでしかないのである。

こうしたことを謙虚に厳粛に、理解し行動する知性が求められる。