長い話になる。
まずは、これからモータースポーツの歴史において永劫に語り継がれる伝説となった、以下の映像をご覧いただこう。
The Dramatic Climax To The Title Showdown | RADIO REWIND | 2021 Abu Dhabi Grand Prix - YouTube
ドライバーズタイトルのポイントランキングで、首位レッドブルホンダのマックス・フェルスタッペンと、不敗のメルセデス王朝の皇帝ルイス・ハミルトンは、全くの同点、396.5点でこの日を迎えた。
メルセデスは、現行のターボハイブリッド方式のレギュレーションになって以降、コンストラクターズタイトルを7連覇。擁するハミルトンはその間、実に6度玉座に就いた。
一方ホンダは、他のメーカーから1年遅れてハイブリッドレギュレーションのF1に参戦し、マクラーレンと苦渋をなめた3年、臥薪嘗胆の1年を経て、盟友レッドブルそしてアルファタウリを得て、ようやく王座への挑戦へとたどり着いた。
しかし、彼らに与えられた時間は、もはやなかった。
ホンダ本社は、2021年を最後にF1から身を引く決断をしたのである。
今まで7年間、フェラーリにも、ルノーにもなしえなかった、メルセデス・ハミルトン王朝打倒の革命は、このわずかの時間しか残されない彼らの手に委ねられた。
レースは序盤から、ハミルトンの優勢で展開する。フェルスタッペンはなかなか彼の尾を捕まえられない。
フェルスタッペンの僚友セルヒオ・ペレスが、そして盟友アルファタウリの我らが角田裕樹が、ハミルトンに決死のブロックを挑む。食い止め、引きずり下ろそうとする。
しかしなお、シーズン5基目のエンジンを投入して以来異様な速さを見せるメルセデス44号車の背中は、フェルスタッペンの駆る荒牛からは遠いままだ。
首位ハミルトン、2位フェルスタッペンのまま終盤に至る。
絶対王者ハミルトンが支配するレース。
ホンダが苦心惨憺の末ようやく光を見出し、歩んできた7年の道のりももはやこれまでか。
ラスト4周、事件が起こる。
ウィリアムズ・メルセデス、ニコラス・ラティフィのクラッシュだ。
セーフティーカーが出動する。これで、隊列を乱すことはできなくなった。
これを奇貨として、レッドブル、フェルスタッペンは勝負に出る。
タイヤを、新品のソフトタイヤに交換するのである。
セーフティカー出動中は、ピットインしても元の順位のままとみなされるからだ。
レッドブルを指揮する稀代の智将クリスチャン・ホーナーは、レースディレクター マイケル・マシに無線で詰め寄る。
「まさかセーフティカーのままレースを終わらせないよな?最後に『レース』をさせてくれ!」
マシは、残存物撤去完了を見届けて、ラスト一周のみ、レース再開を指示する。
セーフティーカーがコース外に出た時、隊列走行をしていたハミルトンとフェルスタッペンは、もはやテール・トゥ・ノーズの距離にあったーー
ラスト1周、奇跡が起こる。
コーションが解除され、新品ソフトタイヤのフェルスタッペンは、へたったハードタイヤのハミルトンに猛然と襲い掛かる。
1周あたり3秒以上のタイム差にあたるコンディションの差である。しかも残り一周ーーロングスティントの中での駆け引きなど不要。
予選一発勝負並みのスプリント合戦が始まる。
ホームストレートから猛攻を加えるフェルスタッペン、ついにコーナーのインを刺し、ハミルトンを抜き去る。この一周、終始テール・トゥ・ノーズ、サイド・バイ・サイドの攻防が繰り広げられるが、最終コーナーを立ち上がり、ホームストレートに凱旋したのはフェルスタッペンだった。
玉座は、ホンダの最後の心臓を宿す荒牛を駆った24歳に与えられた。
メルセデス以外のドライバーがドライバーズタイトルを獲得するのは、この8年間で初めてのことだった。
ホンダF1は、その命脈の最期において、30年来の悲願を、そして「おやじさん」から課せられた使命を、果たしたのだった。
最終周の直前、セーフティカー出走中にハミルトンとフェルスタッペンの間にいた周回遅れの車を整理して、両者をテール・トゥー・ノーズの関係に持ち込んだ裁定などに、メルセデスからはレース後異議も出た。フェルスタッペンに有利な恣意的な裁定ではないか、と。
しかしそうしたからと言って、必ずしもフェルスタッペンがハミルトンを抜きされたわけではない。事実、いくら新品ソフトタイヤとはいえ、絶対王者ハミルトンをわずか一周のうちに絶対に仕留めろ、という命題を課せられて、それを確実に遂行しきれる人間は、そうはいない。
神童フェルスタッペンには、それができたというだけだ。
レースディレクターは、ただただ、せめて最後一周だけでも、レースをさせたかったのだろう。実に47年ぶりに迎えた、チャンピオンシップ争い同点での最終戦である。その最後にふさわしい舞台を用意したかったという運営責任者の思いは、レースオーガナイザーとして正しい判断ではなかったか。
これほど劇的なシーズンはなかった。
最終戦だけ切り取れば、フェルスタッペンが幸運だったように見えよう。
しかし、シーズン中盤、英国グランプリでは、ポールポジションを獲得したフェルスタッペンをハミルトンが押し出してクラッシュさせ、当のハミルトンは優勝するという顛末もあった。
さらにこの次戦、ハンガリーグランプリでは、メルセデスのセカンドドライバー、バルテリ・ボッタスがブレーキングミスで多重クラッシュを誘発、フェルスタッペンも巻き込んだ。
この二戦で、ポイントランキングで圧倒的優勢にあったフェルスタッペンはハミルトンに一時逆転され、さらに年間3基までしか使用できない(4基目以降の使用にはグリッド降格ペナルティ)エンジンをひとつ失った。
このような、不可解な、ともいうべき不運の後であれば、今回の最終戦の展開ほどの報いがあっても恨みっこなし、というものであろう。
ホンダの話に変えよう。
彼らは、ほとんどのメーカーが参戦を躊躇した「ターボハイブリッドレギュレーション」が制定されたF1に、果敢に挑戦した。
2015年からのマクラーレンとの3年間は、まさに地獄だった。
当代最強のレーサーと言われたアロンソ(マクラーレンホンダ、当時)には、「GP2マシンのエンジンだ!!」と走行中の無線で酷評された。
ホンダのエンジンが脆弱だったことは紛れもない事実である。
しかし結局、マクラーレン内部の政治闘争に巻き込まれ、彼らの作るシャーシの劣悪な性能を隠すためのスケープゴートにもされ、同盟は解消された。
2018年、そのホンダをパートナーに選んだのは、弱小チームトロロッソ(後にアルファタウリに改名)だった。
「万年テールエンダー」と呼ばれた陽気で呑気なイタリアンチーム、「ミナルディ」を前身とするこのチームは、レッドブルグループが持つ二つ目のチームであり、兄貴分である強豪「レッドブルF1」にかしづく実験走行部隊、若手レーサーの修練場であった。
フェラーリやルノーからエンジン供給を受けてきたが、本家フェラーリやルノーチームに劣る物を供給され、飛躍を遂げることができなかった。
かつて日本でモーターレースに関わったこともある日本通のチーム代表、フランツ・トスト、さらに日本のフォーミュラーのトップカテゴリ、「スーパーフォーミュラー」でデビューイヤーにチャンピオンシップ争いを演じたフランスの新鋭、ピエール・ガスリーとともに、新たな旅が始まった。
2018年第3戦、バーレーングランプリ、ガスリーの駆る若牛が4位入賞を果たす。あのかつての名門マクラーレンとの3年間でつかみ取れた最高位に、わずか3戦で、しかも弱小チームがたどり着いた。
ホンダはこの年から、開発体制を大幅に変えていた。
栃木の研究所のトップは、アイルトン・セナを擁した黄金期、「第二期F1参戦」のメンバーで、オデッセイやN-BOXなどの大ヒット作の開発を主導した、浅木泰昭。
レース現場のトップは、田辺豊治。同じく第二期にゲルハルト・ベルガーの担当エンジニアを、その後もモータースポーツ畑を歩き続け、ホンダが常にトップ争いを繰り広げる、アメリカン・オープンホイールのトップカテゴリ、インディ・カーシリーズ戦ってきた百戦錬磨の猛者だ。
ホンダはこの頃から、ホンダジェットの技術者の知見なども入れて、強靭なターボパワーユニットを作り上げていく。まさに、オールホンダの戦いが始まったのだった。
この後も安定した成績を上げ続けたホンダに、2018年後半、ついに本家レッドブルF1からオファーが来る。
レッドブルは、長年ルノーエンジンを使用してきたが、その性能はメルセデスやフェラーリに劣り、ホンダとブービー争いを演じていた。さらに、性能の良いエンジンは優先的にルノーF1チームに回され、レッドブルは空力的には最高のシャーシを有しながらも、非力なエンジンにより勝利を阻まれていた。彼らがチャンピオンシップ争いから脱落して、早くも5年が経過していた。
既存のF1の支配秩序から排除された者同士が、反撃の狼煙を上げて戦いを始める時が、近づいていた。
2019年、もはやこれまでの、「ルノーとホンダはBクラス」などとは言わせない、「フェラーリと互角、メルセデスの下」といえるまでに強力なエンジンを手に入れたホンダは、レッドブルに翼を授けた。
初戦のオーストラリアグランプリ、早速マックス・フェルスタッペンは3位表彰台に上がる。
その後、ホンダエンジンがレッドブルの当初予想より強すぎたことから、空力バランスの再調整に苦労するも、コンスタントに表彰台に乗るようになる。
そしてついに、レッドブルグループの本拠地であるオーストリアでのホームグランプリで、「その時」が訪れる。
Verstappen's Stunning Fightback | 2019 Austrian Grand Prix - YouTube
予選3位だったフェルスタッペンは、スタートに失敗し出遅れる。しかしその後怒涛の追い上げを見せ、ベッテル(フェラーリ)、ハミルトン、ボッタス(共にメルセデス)とオーバーテイク。
最後にトップを走るフェラーリの若きエース、シャルル・ルクレールを視界に収める。
しかし残り3周。今のタイム差では攻略しきれない。
あらゆるテレメトリーを睨むホンダのエンジニア達が動く。
フェルスタッペンの無線にある言葉が伝えられる。
「エンジンモード11、ポジション5」
その途端、エンジンパワーが急速に盛り上がり始める。
そう、これは予選などで使うスプリント用のエンジンモードだ。
予選モードで猛然と襲いかかり、強引にルクレールを抜き去るフェルスタッペン。
彼がホンダに与えたのが、ホンダが長らく飢え続けた、実に13年ぶりの勝利だった。
この日は、本田宗一郎の命日でもあった。
13年前の勝利は、佐藤琢磨の活躍などもありながら浮沈を繰り返した、ホンダ第三期F1参戦期唯一の勝利、ジェンソン・バトンがもたらしたそれだった。
2020年、コロナ化の影響で大幅にF1スケジュールは乱れ、メルセデスが圧倒的優位を保ち年間王者となったが、このシーズンを通して、もはや次にメルセデスに挑戦できるのはレッドブルホンダとフェルスタッペンだけだ、と衆目一致するまでに、レッドブルホンダ同盟はその力を蓄えた。
そして迎えた2021年、熾烈なチャンピオンシップ争いの末最終戦、劇的な幕切れで、反逆者達は見事にその秩序を覆した。
ホンダドライバーがドライバーズタイトルを獲得したのは、アイルトン・セナが獲得した1991年以来、ちょうど30年ぶりであった。
さらに付け加えるならば、このような話もある。
ホンダが2001年に第三期F1参戦(BARとジョーダンにエンジン供給)を開始する前夜、彼らはシャーシも内製する「フルコンストラクター」としての参戦を目論んでいた。
車両開発の責任者は、古豪ティレルに所属しF1に本格的な空気力学の方法論を持ち込んだ流体力学者、ハーヴェイ・ポスルズウェイト。
彼の製作したマシンは、試作車両であるにもかかわらず、すでにF1参戦中の全チームと共に参加した合同テストで、いきなりミハエル・シューマッハのフェラーリを1秒以上引き離すトップタイムを、連日連発した。
しかし、この野心的な参戦プロジェクトは、ポスルズウェイト博士の急逝によって挫折する。
ホンダはエンジン供給のみに舵を切り、その後第三期の長い苦悩を経験することになる。
この、参戦前夜の幻のプロジェクトで、好タイムを連発したテストドライバーの名は、ヨス・フェルスタッペン。
誰あろう、現在最強のF1レーサー、マックス・フェルスタッペンの父である。
父がホンダと共に経験した挫折。
あの時から20年以上の時を経て、子のマックスは、最期の乾坤一擲を期したホンダと共に、最高の勝利を手にした。
このような、出来すぎたドラマがあるだろうか。
私は、2002年、佐藤琢磨がアイルトン・セナと同じ、イギリスF3チャンピオン、マールボロ・カップ優勝、F3マカオグランプリ優勝という好成績を引っ提げてF1デビューしたときに、ホンダF1レーシングの虜となった一人だ。
ジャック・ヴィルヌーヴ時代のBARホンダの苦闘、バトンと佐藤の時代のコンストラクターズランキング2位への大躍進、その後の浮沈と、バトンによる唯一の勝利・・・
結局、リーマンショックを機に突然の参戦停止。しかもその年に作っていたマシンを買い取ったブラウンGPが翌年大活躍しバトンが年間王者に、という、ファンとして実に悔しい思いをさせられてきた。
今回の第四期ーーおそらくこれが本当に、ホンダがF1に参戦する最後になるだろうがーーも序盤から苦いものを見せられた。
しかしこの最後のドラマで、今まで見てきた全てが報われたように思う。
ありがとう、ホンダF1
この経験を糧に、未来のモビリティを切り開いていって欲しい、切にそう願う。