小樽に本を買いに行った。
小樽のウィングベイというイオン系の巨大モール(旧マイカルで、あまりにもでかいモール過ぎて採算が取れずぶっ潰れた。マイカルをイオンが買収し、今に至る。)に、京都の喜久屋書店が入っている。
2000坪近くある巨大書店で、品ぞろえも悪くない。
小樽にある施設が札幌に勝るという、数少ない美点。
(札幌には丸善があるが、車では行きにくい。郊外にコーチャンフォーがあるが、品ぞろえがゴミである。本屋の何たるかがわかっていない。書店員には本来、キュレーション能力が求められるはずだ。あれは巨大本売り場を擁する安物の文具屋に過ぎない。)
倶知安から小樽に行く最短ルートは国道393号だが、この道は小樽市街に入る直前に「毛無峠」という九十九折り区間(字の通り9回急斜面ヘアピンカーブがある)を通らねばならない。通常この時期は雪が降って危なく、敬遠されるルートだ。遠回りをして国道5号線を通り、余市からぐるっと回ることのが定石となる。
しかし、今年は11月末に雪が降ったにも関わらず12月初旬に暖かい日が続き、結局根雪にならなかった。
奇跡的に、12月10日のタイミングで393号を快適に通ることができた。
本題は、本を買った後で小樽の花園商店街界隈で撮った写真である。
D7500とFマウントDX16-80の組み合わせを、スナップで、きちんと画角感を意識して使ってみよう、写真の練習をしよう、という趣旨だ。
前回東京にZ6を持って行ったが、最大望遠の70mmでは街撮りでは少し物足りないと感じた。
スナップに望遠、というのは、実は使いやすいし、むしろ望遠をこそ使いたくなるものらしい、ということにようやく気付いた。
そこで、D7500+16-80mm(フルサイズ換算で最大望遠120mm)を持ち出すことにした。
一枚目は、まずは換算50ミリクラスの標準画角である。
標準は、等間隔に並ぶものなどを、人間の視角に近い遠近感で表現するのに向く。だから「標準画角」といわれる。
話がそれるが、人影が少ない。シャッターの降りた商店も多い。
やはり商店街は活気を奪われているようだ。
80ミリで撮ったもの。
三分割構図にオブジェクトを落とし込んだだけの写真。
こちらは再度標準画角。
35ミリ(換算約50ミリ)で撮った。
小樽市内は、花園商店街に限らず、よくみると面白い建物が多い。
その多くが古びて、あるいはシャッターが降りている。
街そのものの日常が、レトロな風景になっている。
この町は散策すればするほど、風情のあるいい街だと感じられるのだが、残念なことに風情を感じさせる当の商店などが、経済活動をやめてしまっているのである。
「レトロ調」ではなく、実体がレトロであるということは、実は非常に苦しいことでもある。
この商店街は観光地ではなく、地元の人たちの生活の場として機能してきたところだ。だからこそ、良い風情を残すと同時に、観光化されず取り残されてしまってもいる。
小樽といえば、北海道新幹線の駅もできる予定だ。
しかし新幹線駅は既存在来線駅遠く離れ、山のふもと、谷あいに建設される可能性が高いらしい。JR在来線は、並行在来線として3セクに「落とされる」ことになる。
札幌小樽間の輸送密度はそれなりに高く、営業係数も低く抑えられているらしいが、問題は小樽から先、特に函館本線が山に分け入っていく手前にある余市までをどうするかである。
このYouTubeチャンネルを運営する鐵坊主氏は、かねてよりその分析力の高さと明快な説明から大変気に入っており、チャンネル登録をしている。
このチャンネルで頻繁に取り上げられるのが、小樽から余市町への在来線存廃問題だ。余市の斎藤町長には、仕事の関係で一度ご挨拶をしたことがあるが、外務省出身でコロナワクチンの手配も素早かった「辣腕」の町長だ。彼が鐵坊主氏にオファーをして、こうした企画が立ち上がったという。
小樽自体が札幌に人口や経済を吸引され、写真で見てきたように商店街からも賑わいが少なくなっている。
交通インフラを市場原理で切り捨てるだけならば、ますます周辺部を壊死させることになりかねない。都市集住だけではなく、人間の多様な生活形態を、可能な限り利便性を保ちながら保証することは、経済的な安全保障ですらある。
近代的な、ややオールドファッションな考えでもあろうが、鉄道インフラを公共財として維持することは、やはり必要だと思う。
小樽は坂が多い。
冬場に凍結するくせに、坂の急峻さは本州でもそうお目にかからないレベルという、非常に困った街でもある。
倶知安の比羅夫坂ならば、お金持ちなのでロードヒーターを仕込める。しかし、あちこち坂だらけの小樽でそれは無理だ。
ということで、こうしたものがあちこちに設置される。
平坦な札幌ではあまり見かけない。
こうした趣のある石造りの建物が、本当に多い。
利活用されていないようだ。
もったいない限りである。
こちらは昭和の鉄筋コンクリだ。
こうしたブラウンのタイル張りの外壁も、最近は見られない。
四角の合理主義的なデザインは平凡なようで、よく見ると決して悪くないデザインの昭和現代建築だ。
丘に並ぶ住宅も、やはり古さを感じる。
常に新しく更新されていく街というのも、大量消費社会の権化であってそれ自体は決して健全なものではない。
しかし、そうした更新が前提の社会で、それがなされないことからは、やはりこの地域の苦しさが見て取れる。
写真には納められなかったが、銭湯や大正時代の木造商店で営む和菓子屋、蕎麦屋など、昭和の時代の生活様式を残したものが多くみられる。
昔ながらの和菓子屋、貿易港であった名残か質の高いパン屋など、どれも店に入ればまじめにいいものを商っていることがよくわかる。
日常そのものにレトロが残っていて、これは実は非常に貴重なものだと思われる。
しかし、それが日常であるがゆえに、観光化はしにくいし、してしまっては日常が壊れてしまう。
小樽運河沿いの作られたレトロより、住民の普段使いの小樽の方が、はるかに魅力的に思えるのだが。
風情はあるにもかかわらず、それが評価されえないというジレンマが歯がゆい。
安直ではあるが、アニメの舞台にして聖地化をもくろむというのも手ではある。日常と観光の両立ということをプロモートできる、現時点で最も有効な手段ではある。他方、成功する確率は低い。
すでに、「それでも町は廻っている」などは小樽を舞台にした漫画・アニメだったが、やや時代の先を行き過ぎた。聖地巡礼ムーブメントが本格化する前にアニメ化されてしまったのである。
現在マンガ作品で注目されているものでいえば、「聖樹のパン」だろうか。
実はレベルが高い小樽のパンも振興できるかもしれない。
是非アニメ化してもらいたいと思うが、問題はそれなりのクオリティを担保できるスタジオが制作するか、である。
京アニ、P.A. Worksあたりならば望外だが、京アニは彼ら自身が本当に気に入った場合を除き、社外原作をアニメ化することはない。ここ10年間で、社外作品のアニメ化は「氷菓」(岐阜県高山市)、「日常」(特定の舞台なし)、「響け!ユーフォニアム」(京都府宇治市)、「聲の形」(岐阜県大垣市)、「小林さんちのメイドラゴン」(東京都江戸川区葛西近辺)だが、これはこの間に作ってきた全作品の半分にも満たない。
P.A.Worksも同様で、基本的に自社で原作を調達する。
となると、ハイレベルな作品を制作できるスタジオとして考えられるのは、これでも幾分高望みではあるが、東京大手のClover Works、Production I.G.、MAD House、White Foxなどだ。彼らが手掛けるのであれば御の字だが・・・。こういったプロモーションも、そう簡単にうまくいくはずがないだろうなぁ。