手軽な一揆の起こし方

エセ評論家の生活と意見

外資による土地取得の問題についての備忘録

 

以下は、今後検討している寄稿記事の内容に盛り込むパーツの備忘録である。

※本記事の前半、めっちゃ煽ります。当然、煽り部分は寄稿文には載せませんw

1.左右の意見

外国資本による土地取得の危機感を殊更に煽るのは、極右(自分たちが中道だと思っている方向音痴のあほ)の産経から極左(50年くらい前で時間が止まっているあほ)の朝日まで、全員共通しており、ことこの点に関して、わが大日本帝国のオピニオンは大政翼賛の達成を寿ぐべき状況にある。

これは論壇の極右から、共産党機関紙に至るまで足並みをそろえている。

極左と極右は一周廻って隣同士と以前言ったが、珍しく仲がよろしいようで結構。


2.共通点:森林売買の目的の実態は「分からない」

ほとばしる知性が爆発する知識人たちが読む必殺論壇紙「正論」も、泣く子も黙るどころかいまや我が日本公安の存在意義を守るため日本になくてははならない存在となった日本共産党が誇る機関紙「前衛」も、外資による山林売買について、自信満々に「実態がわからない!!」と、さもそこに重大な陰謀とクライムサスペンスが隠れているようなワクワク感をもって書き立てる。

自らの分析力のなさを逆手にとってドラマチックな演出に反転させる超絶技巧は、見事としかいいようがない。

そして次に来るのは、外資による森林売買が行われている!(らしい)、目的は水源地!!(に違いない)という極上の歯切れの悪さの論調である。

かまびすしく述べ立てているが、決定的な証拠が何一つつかめておらず、最後の肝心要の部分は、みなカッコ内のとおり本音が駄々洩れの伝聞か推測臆断の大見本市である。

こういうのを、「飛ばし記事」とか「こたつ記事」っていうんですよ?

知ってますか?

執筆者諸兄。

 

3.フェア・ディスカッション

1)「分からない」から導かれる結論

「分からない」から客観的に導かれるのは、「まずは知るべき」という事実のみである。
なすべきことは、危機感をあおることではない。

まずは事実探求をすること、現在の我々のたち位置を、客観的事実から正しく把握することである。
出発点を誤らず合理的な制度設計をする上で、必要なのはこの視点である。

2)外国人が土地を取得することにより生じる問題と、外国人か否かに関係なく起こりうる問題

外国人であるから起こりうる問題と外国人か日本人か関係なく起こる問題を分けるべきだ。
外資が水源地を占領すると無制限に揚水するおそれがあるという議論があるが、無制限の揚水をするか否かは所有者の悪質性によるのであり、日本人か外国人かの問題ではない。

外国人だから悪質な開発をするというのは偏見で、日本人自身が過去に開発でどのような過ちを犯したかもフェアに見るべきである。

ジョーブログの廃墟探訪シリーズなど見れば一目瞭然ではないか。

https://youtube.com/watch?v=kThGzuc_ids&si=JFu6U4dPcvbk-k9p

鬼怒川温泉も、愛知の定光寺温泉も、他にもゴルフ場、遊園地、ホテルなど、バブル期を中心に東京や大阪などの都市部の企業が無定見な開発をして残していった爪痕がいかに多い事か。

以上の点は外国人か日本人かの問題ではなく、それを殊更に煽るのは完全に本質を誤解しているし、理屈のすり替えである。

日本人外国人問わず、いかに問題が起こらぬよう一律に所有者をモニタリングするかの問題として捉えるべきものである。

そもそも、山林を外資が取得することを問題視している論者などは、山林を日本人が持ったまま、外資に対してでたらめに水源の水を揚水して売り、山林を伐採して売ることは絶対にないとでも思っているのだろうか?なぜそう思えるのか、根拠が知りたい。

現に、日本中の山林ブローカーが、あちこちの山の木を切り倒してソーラーパネルを置きまくっているが、あれは問題ないと?

3)問題の本質-外資が不動産所有すること特有の問題-

他方、非在住外国人特有の問題はトレーサビリティである。
通知が届かないことで、将来的かつ潜在的な差押えや競売などの法執行手続きが滞るおそれがある。
また相続不明化するおそれもある。
まずは登記簿に住所氏名をアルファベット登記させることを早急に認めるべきである
ついで、法人であれば法人番号など不変性の高い情報を登記できるようにすべきである。

法務省民事局は、登記簿にアパート名などのアルファベットは登記させるくせに、外国個人・法人の住所氏名をアルファベット登記することは頑なに認めない。

全く理解しがたい非合理性である。本省の担当者は錯乱でもしているのか?

つまり、外国人の権利者の氏名住所を、全てカタカナ表記にして登記せよというのである。

カタカナで登記してしまった後で、その公簿上の宛先に行政上の通知や裁判上の送達をしようと思ったら、どうやってアルファベットに起こし直せるというのか?

わざわざ訴状送達ゲームをハードモードにして何が楽しいのだろうか?

バカか?

いや、訊くまでもなくバカだ。

例えば、ジェフ・スティーブンスという人が登記されていたとする。

ジェフには、Geoff, Jeff, Jefなどのスペルがあり得る。

ティーブンスには、Stevens, Stephensその他のスペルがあり得る。

これ、名前ちょっとでも違うと本人に届かないよね?

4)国内の制度がガチガチに出来上がりすぎていて逆にイレギュラーに対応できない件

商号・本店変更されても、国内法人は登記簿から容易にトレースできるが、外国法人はトレースが困難な場合があることを想定すべきである。

尤も、国内法人でも、引越しや夜逃げをして本店移転登記をせずにほったらかしにすると、一発で行方不明になるけどね。
また、課税手続き上の通知や訴訟手続き上の送達などについても、送達に困難を伴う外国人には、一定の手続きの合理化を図り、手続きが停滞しにくくなるような法改正も視野に入れるべきかもしれない。
到達困難な住所等を公簿に登記した者には、その対価あるいは伴う自己責任として、送達を簡略化されるリスクを甘受させることは合理的であろう。

既存の制度は、商業登記・不動産登記・戸籍・住民票というデータベースと、それを駆使した訴訟手続きという強固なシステムの中でうまく機能するものではある。

が、それゆえに外国などの国内データベースの埒外にあるイレギュラーな存在を想定しておらず、ここで脆弱性が露見する。
外国からの投資が拡大することでようやくこうした脆弱性が認識されるならば、制度改良のよい機会ともなる。

 

4.何が大事かって、したたかさでしょ

上述の「分からない」ことから虚心坦懐に事実探求に向かうのではなく、いたずらに恐怖を煽ることは、日本にとって損失にもなりうる。
ポイントは、いかに外資の力を取り込み、この国のルールのコントロールの下でプレイヤーとして利用し、互いに利益を生み出すか、というしたたかな視点である。
孝明天皇は極端な外国人嫌いであったとされ、桜田門外に変につながる井伊直弼を中心とする幕府側と朝廷側(あるいは攘夷派)の軋轢の一因ともなったと見られる。しかし結局、「攘夷」といいながらも次第に実態は西洋の軍事技術の導入競争となり、言葉は概念化形骸化していった。
同様に、感情的な議論ではなく、我々になにが必要か、何が利になるのかという観点から、主体的に外資と向き合うことが必要である。

極右も極左も、勇敢な、というより蛮勇な、というかもはや野蛮な物言いをすることにはたけているが、それはしたたかな戦略的思考が皆無の、思考停止に陥った人間の、脊髄反射的嫌悪でしかない。

進撃の巨人で、主人公のエレンが巨人化する能力を持つことが判明し、彼が壁内を守ったにもかかわらず断罪し処刑しようとした憲兵団や駐屯兵団の連中と同じである。

巨人化する能力を持つことがわかり、裁判にかけられるエレン

巨人化する能力を持つエレンを断罪し即刻処刑しようとする者たち(思考停止の図)

求められるのは、エレンを自らのためにコントロールしようとする、調査兵団のリヴァイ兵長のような強さと、エルヴィン団長のようなしたたかさである。

エレンを制圧・制御する絶対的暴力、リヴァイ

たとえば、バブル期の開発のお手本のような越後湯沢の実需ビジネスに対して、インカムゲインを生み出せたニセコのビジネスモデルは、外資の知見と発想あってこそである。

こうした発想をいかに取り入れられるか?

外国資本の投資意欲をそぐことなく、同時にいかに日本サイドにとって都合がいいように彼らをコントロールできるか。
求められるのはこうした主体的にものを考えていかに主導権を握るか、という発想である。

まぁ、考えることをやめた葦どもには、穂先にとまる雀を支えるのが限度のひ弱なただの葦どもには、どだい荷が重すぎるだろうが。