- 1.ニセコにルイヴィトンのポップアップストアができた件についてのForbesの記事
- 2.日本人はアホなのか?
- 3.日本の正社員の実態
- 4.追い打ちをかけるように「低度外国人材」を呼び込もうとする政府
- 5.何事も場当たり的に「済ませてきた」日本人
1.ニセコにルイヴィトンのポップアップストアができた件についてのForbesの記事
久々によくまとまった記事を読んだ。
この記事は誰か記者が書いたものではなく、識者の対談を文字起こししただけなので、残念ながらよくまとまっているのはForbesの記者が優秀だからではない。対談した識者が、特に後半の安西氏が、非常にフェアな見識をお持ちであったことによる。
繰り返すが、文屋が誉められているわけではない。
まぁ、連中の実力はあいも変わらずだね、といったとこか。
凋落著しい文屋(凋落する前の栄華があったかは知らん)へのとばっちりはさておき、記事の内容に戻る。
指摘されているのは、
外資が、
日本で、
外国人富裕層相手に商売すると、
結局日本に富は残らないんじゃね?、場所貸して搾取されてるだけなんじゃね?、
という話である。
実はこの論点、過去記事で私も指摘している。
外資が外人相手に日本で商売するのは結構だが、問題はそこで生まれた付加価値のどの程度が日本に残るのか、である。
この点中国は改革開放以降伝統的に、自国に富を残すために、外資系メーカーに合弁事業を要件として求めてきたわけである。
2.日本人はアホなのか?
付加価値を日本国内に残すために、政策によらずに取れる方策といえば、せいぜい労働分配率を上げることだし、まず初めにこれをやるべきである。
しかしここで問題が生じる。
日本人が、労働条件闘争をやらないのである。
実際、私の周りを見ても外国人経営者やセールス担当者がサラリーを持っていき、日本人は下働きという外資系企業は非常に多い。
宅建業者における宅建取引士のように、法令上の資格者として必要とされている職種も、相対的に安く使われている印象である。
アホなのか?と思ってしまう。
雇用するは外資系企業で、欧米のスタイルで転職していくのが前提で雇っている。であれば、雇われる側は条件交渉をして、安ければやめてよそに行けばいい。それで会社が困ろうが知ったことではなかろう、迷惑をかけてやればいいだけである。
しかし、それを日本人の被用者はやらない。
実直といえばそうだが、はっきり言ってナイーブ過ぎはしないか。
3.日本の正社員の実態
【社会学】小熊英二「日本社会に隠された 「二重構造」を見抜け」by LIBERARY(旧名称:リベラルアーツプログラム for Business) - YouTube
2000年前後のいわゆる就職氷河期から非正規雇用が爆発的に増えて以降も、実は正社員の総数自体は大きくは変わっていないというのである。
農業従事者や自営業者が減り、それとほぼ同数の非正規雇用者が増えたという。
尤も、世代別の正規・非正規の割合には触れていないため、就職氷河期の世代の正規採用が集中的に抑制されていたか否か、という点については、脇に置いている点は注意を要する。
ただ、以上からまず推測されるのは、特に大企業を中心とした正社員は、若年層が新しく正社員採用されるのを抑制することで、自らの地位を守ってきたであろうことである。
実際に、90年台の不況以降、労使は強調して賃金の抑制をしてきた。
運命共同体である正社員が自らの賃金の抑制に積極的になるのは、雇用に流動性がなく、正社員はその会社にしがみつく傾向が強いからであろう。
日本には労使間の対立というものは、特に大企業には実質的には存在せず、実態は「正社員」という運命共同体でしかなかった。
メーデーなどは、結局ただのセレモニーに過ぎない。
官公労や国鉄労組などはじめ、大企業労組なども伝統的に政治闘争うつつを抜かし、末には労働貴族なる謎の身分まで生まれ、多くはまともな条件闘争をしてこなかった。
こうしたことが労使協調、もとい正社員運命共同体の独断による賃下げ、非正規の劣悪な労働条件を生み、安値競争のアクセルをふかしてしまい、デフレを進行させてきたとの推測は成り立つ。
労使の条件闘争をしない「正社員運命共同体」ともいうべきぬるま湯の労使関係が続いたことが、「労使交渉などするものではない」という空気(=日本人が大好きな同調圧力)を産んできたのではないか。
近年は安値競争を産んだ「少ない需要と多い供給」というパワーバランスが崩れ、供給が細ってきた。
安値で働き付加価値を生まないことが常態化した日本企業の判断の鈍さ、品質の劣化、革新性の乏しさなども目につくようになってきた。
いい加減、労使で熾烈な交渉をしてでも賃金を上げられる状況を作らなければならないが、結局それを阻んでいるのはこうした諸々の日本の慣行や制度だということに行き当たる。
4.追い打ちをかけるように「低度外国人材」を呼び込もうとする政府
で、
人手不足になる→賃金上昇圧力がかかる→経団連の老害どもが嫌がる→安い外国人雇えばいんじゃね?となる→どうにもならん外国人の単純労働者を招き入れ始める(イマココ)
という状態である。
外国からの人材は迎えるべきだが、それは日本社会に今までなかった知見を入れて、活性化するためにこそあるべきであろう。
そもそも、今現在程度の外国人在留者数で拒否反応を示すような世間知らずな日本人ごとき(まぁ私も日本人なのだが。なんなら家系図によると清和天皇と藤原氏の両方の血を引くらしいが、まぁようはゴリゴリの日本人ですらある)に、今以上に労働者階級の外国人流入に耐えうる耐性も寛容性もなかろう。
そんなこんなで、低度外国人材(非熟練外国人労働者)の受け入れは、賃金上昇の阻害要因であるのみならず、社会的にもトラブルを(日本人のアレルギー反応などもね)招きかねず、悪手というほかない。
なお、この点についてはさほど心配に及ばないかもしれない。
というのは、現在の日本の物価は購買力平価ベースで比較すると1970年と同等、1ドル360円時代に戻った、とのことである。
大阪万博の夢よ、もう一度!である。
気になった人は↑でも見ればいい。
当時の栄光をもう一度と言うのがいかに馬鹿げた話かよくわかるというものである。
監督がアニメ界屈指の名監督、原恵一だけあって、クレヨンしんちゃんなのにめっちゃ泣ける。
話が横に逸れたが、言わんとするところは、1970年代の日本みたいな貧しい国に、誰が好き好んで出稼ぎにくんの?って話である。
逆の立場を考えればいい。
例えばカンボジアやミャンマーに日本人が出稼ぎに行って、「1000円持って帰ってきました」って、それもうただ人生詰んでるだけじゃん、という話である。
つまり、残念ながらというか安心なことにというか、どうせ外国人労働者の呼び込みには失敗する公算が大きい。
5.何事も場当たり的に「済ませてきた」日本人
基本的に日本人は、諸課題を解決するのではなく、なんとなく済んだことにしてきた、場当たり的に済ませてきた、というだけである。
本来、整理解雇の要件や最低賃金などは、労働政策であり、これはすなわちマクロ経済政策でもあるわけである。
同時に、外国人材の受け入れも、当然マクロ経済政策としての側面がある。
さらに上記に加えて、豪州などは積極的に外国から良質な労働者を受け入れるために、豪ドル高を意識的に許容する為替政策などすら取っている。
つまり、一見関係なさそうなバラバラな諸政策を、マクロ経済、社会政策などさまざまな切り口から総合的に見て判断している国が多い中、日本は、まぁお察しの通りだということである。
整理解雇要件など、経済政策の「け」の字もわからん最高裁判例が元になっているのだから、お話にならない。最高裁が悪いというよりも、最高裁判例の整理解雇4要件がマクロ経済政策的にまずいというなら、政治がそれを立法で是正すべきであったものを、そうはしなかったということである。ここに、正社員運命共同体の岩盤があるといえよう。
いまさら始まったことではないが、改めていろいろ非常に残念な日本社会である。
日本の昨今の閉塞状況の原因は、「非思考」「非決定」「結果追認」を繰り返してきた日本人自身に多く負っているといえよう。
そしてそれは奇しくも、太平洋戦争開戦の際も同じだったのである。