
帰省の途中で会津に寄り道した。
GW前日の28日夜に千歳空港から仙台に飛び、翌朝仙台から会津若松までの高速バスを利用した。
バスは2時間半かかったが、朝8時前に出たので会津についたのは10時半である。
途中東北道を通ったが、GW初日とあって普段は家に隠してあるであろう珍しいクルマや高そうな車の割合が高く、追い越し車線でイキッているバカも散見された。

バスを降りたのが鶴ヶ城の真ん前で、そこに早速よさげな地元の菓子屋があったため、いきなり土産を買ってしまった。
会津葵の「かすていあん」は美味しいのだが、箱がかさだかくて後悔した。


降りた鶴ヶ城前のバス停は、官庁街の中で、白の北側の大手口方面の区画である。
合同庁舎などの建物が並ぶ中を鶴ヶ城まで歩く途中、その二つに挟まれるように、なぜかラブホテルがあった。開いているのだろうか?そもそも風俗営業施設がなぜこんなお堅いところにあるのか?市役所、都市計画のゾーニングちゃんと考えた?
謎である。

まぁそんなことはどうでもいいので城に入っていく。


関ヶ原後の豊臣政権後期、江戸期のものと思われる。
城内にはこの後の年代とみられる切込みハギ(切石整層積み)の石垣と、天守台に見られるかなり前の年代の野面積みとが混在している。

鶴ヶ城の天守台は野面積みで古い年代のものであるが、これは最初の築城者・蒲生氏郷の時代のもののようである。
その上の天守はコンクリ製だが、外観は戊辰戦争前の姿をほぼ忠実に再現している。構造は層塔式で、関ヶ原後の築城技術のトレンドに沿っている。
上層に行くほど一定の割合で床面積が逓減していく安定した構造であり、これは関ヶ原後に入封した加藤嘉明の、子で二代目の加藤明成による。
明成は領内当地に失敗し改易され、その後徳川家光の弟であり幼少期に信州の名族高遠藩保科氏に養子に出された保科正之(松平正之)が入封。
幕末まで25万石前後の御三家以外の親藩大名家としては最大クラスの大藩として存続する。御三家以外で同規模の藩領を持ったのは越前福井の結城松平氏である。


城内ではお茶席などもあり、にぎわっていた。
和菓子屋や酒蔵、漆器、反物など、文化的なものが豊富なまちで、東北の文化的な都は仙台ではなく会津ではないのかとすら思える街である。
もともと蒲生氏郷が城下を開いた際に、京都から多くの職人・工人らを招いたとされる。蒲生氏郷自身近江商人の有力な郷の一つである蒲生町が出身であり、商工業の重要性を熟知していたのであろう。