手軽な一揆の起こし方

エセ評論家の生活と意見

スパーダ宮殿からアランチ公園を目指す

 

ちなみにI MEDICIの以下のようなデザインのダッフルバッグを買った。

ダッフルバッグ

日本で使うには防水スプレーなどで保護しておく必要がある。

先日出張時に着替えなどを入れていったが、容量は十分だった。

横に広く開く構造

ジッパーがぐるりと下まであるため、口が大きく開くのも特徴。

タンニンなめしの柔らかい革で、ダメージドっぽい加工のため、気にせず使いやすそう。

サイズ的には中型のボストンバッグで、これが45,000円程度なら安い方だと思われる。

買ったカバンに中身を詰め直して、カピトリーノの丘まで向かう。

 

1.アルジェンティーナ広場

スパーダ宮殿から真東の方向に進んでいく。

途中で、街の真ん中にドカッと遺跡が占拠している空間が広がる。

アルジェンティーナ広場で、ここもフォロ・ロマーノと同様に古代の遺跡が発掘され保存されている。

後述のマルチェッロ劇場(マルケッルス劇場)と同様、古代遺跡が街区を占拠しており、ローマの街自体が博物館といわれる由縁である。

ここはフォロ・ロマーノと違い、入場料はなく出入り自由である。

この広場の中にクリア・ポンペイア(ポンペイウスの会議場)があり、そこがカエサル殺害の現場であったとされる。具体的な犯行の現場は、いろいろと議論があるようだが。

アルジェンティーナ広場

現在は、野良猫の保護区になっているようで、猫が多くいた。しかし、望遠レンズがないのと荷物が多いので、猫の写真は撮ろうという気になれなかった。

ちなみに、イタリア全体がかどうかはわからないものの、少なくともローマ市内は圧倒的にイヌ派優位である。地下鉄に小型犬を抱いて乗っているばあさんなどもいた。

他方、猫はほとんど見ることがなく、岩合さんがイタリアで撮影している猫動画は、現実は一体どうなっているのかと首をかしげるレベルである(捏造という意味ではない。よく見つけたな、ということである)。

 

2.カピトリーノの丘

カピトリーノ美術館

祝日でタダなのをいいことに、カピトリーノ美術館のあるカピトリーノの丘を登っていく。

Capitolinusがラテン語の地名で、イタリア語ではCapitolino, あるいはそれがなまったCampidoglio(カンピドーリョ)と呼ばれる。首都を指す英単語Capitolとは、元来このカピトリーノの丘を指す。

しかし、タダゆえに激混みだったのでやめることにした。

各月の第一日曜日(本記事アップしている今日がそれ)や、私が行った解放記念日などの祝日は、国公立の美術館・博物館は無料になるが、無料ゆえにメジャーどころは混雑するため、じっくり見たければチケットを事前に買って入るべきである。

ちなみに、日本では前売り券が当日券より安いが、これは「混雑しないように買ってくださいお願いします」的な考えにもよると思われる。

他方、イタリアはオンラインの事前予約券の方が高い。「並びたくなければ先に買いなさい」という、テーマパークのエクスプレスパス的な発想である。

この二つを見比べると、相変わらず日本の売り手が「お客様は神様」な顧客優位の卑屈な奴隷根性で商売をしていることがわかる。

まぁここら辺の話はまた別の機会に。

 

3.カピトリーノからマルチェッロ劇場へ

カピトリーノの丘を降りて、フォロ・ロマーノを横切りながらテヴェレ川沿いに向かう。

途中、韓国からの団体客が多く歩いていた。

GW前だったからか、日本の観光客はほとんど見なかったものの、韓国からは多かった。特にヴァチカンでよく見たのは、カトリックの信徒が多い関係か。

カピトリーノの丘から降りていく

横目に、数日前に見たフォロ・ロマーノを見る。

フォロ・ロマーノ

手前はセプティミウス・セウェルスの凱旋門である。

凱旋門下の、シートがかけられた修繕箇所がなければ、写真としてもよい構図だったが、惜しい。

共和政時代の遺跡

丘を降りていくと、交差点に謎の遺跡。

Google Mapsによると、共和政時代の建造物の遺構らしい。

Porticus Octaviaeという施設で、ユノーの神殿、ユピテルの神殿や図書館を包含するものだったらしい。マルチェッロ劇場の建設とともに、界隈がアウグストゥスにより再開発されたらしい。

こういうものが、そこら辺の空き地に無数に転がっている街である。

転がっているものの古さと量でいえば、イスタンブールも、カイロも、パリもウィーンもかなわないだろう。いずれもローマよりはるかに若い町である。

アテネアレクサンドリアならあるいは、というところだろうが、果たしてかの地はどれくらい遺跡が残っているのだろうか。

 

4.マルチェッロ劇場

マルチェッロ劇場

これまた、街中に突然現れる古代の建物である。

公園になっていて、普段から見られる。建物の中には入れない。

アウグストゥスの時代に建設された劇場である。確か塩野七生の「ローマ人の物語」のアウグストゥスの巻で、ローマ市内初の常設の劇場だったと書かれていたように記憶している(もう20年以上前に読んだものなので記憶が曖昧である)。

それまでローマでは、ギリシャ悲喜劇の上演など演劇も盛んであったものの、劇場は木造仮設のものだったらしい。今でいう、サーカス団のテントみたいなものである。

そこで、本場のギリシャのような常設の半円形劇場(Theatro)を作ろうというのが、この地域一帯の再開発プロジェクトの中で実現された。

どうでもいいが、NHKすら、半円形劇場のことを円形劇場などと言っている。円形闘技場と混同してのことと思われるが、劇場は円形であるはずがなく、あくまで半円形である。円形だったら、舞台正面がなくなってしまう。

構造はローマン・コンクリート造で、表面の化粧板としてトラバーチンで覆っていたという。

近寄ると、大理石とは違う独特の質感

トラバーチンは温泉や洞窟などで形成されるもののようで、ローマ近郊のTivoli地方で主に採掘され、Travertinoと呼ばれたらしい。

現在は公開去れっていないが、それはこの遺跡の上階部分がアパートになっていて、人が住んでいるからである。

 

5.アランチ公園

マルチェッロ劇場から、真実の口をスルーしてテヴェレ川沿いを南西方向へ歩く。

アランチ公園を目指しつつ、途中でチルコ・マッシモ横のカフェテリアでサンドイッチを食べる。

maps.app.goo.gl

普通のサンドウィッチ(パニーニ)だったが、問題なくおいしかった。

豚肉とオレンジピールのサンドで、8ユーロくらいだったか。

アランチ公園は、テヴェレ川沿いの高台(ローマ市中心部でテヴェレ川東岸の高台は珍しいと思われる)にあり、西側の景色が一望できるらしい。

https://maps.app.goo.gl/AhyFEauJZme8u1ao7

アランチ公園からの景色

天気が悪かったのと、人が多すぎたのとで大した景色は望めなかった。

北西方向を望む

晴れた日の夕方などは、夕日がきれいらしい。しかし、人混みを考えると、ゆっくりできそうにはない。オフシーズンの冬場に来るのがいいかもしれない。

 

6.サンタ・サビーナ教会

アランチ公園の横に教会があったので、入ってみた。

サンタ・サビーナ教会といい、ここもローマ帝国末期からの歴史があるようである。

https://maps.app.goo.gl/MrZGdv8rZ52XjTRR6

サンタ・サビーナ教会

 

他の大教会よりも簡素で、少し暗めの堂内であった。

ちなみにここ、質素で小ぶりに見えるが、実はドミニコ修道会の本部教会である。

京都でいえば、まぁそこら辺のこじんまりした寺が実はどこぞの宗派の総本山でした、みたいなものだが、その宗派の規模が世界に広がっているのだから、規模が違う。

フランチェスコ会ドミニコ会、シトー会など修道会がさまざまあるが、ドミニコ会フランチェスコ会と同様、清貧質素を旨とし、併せて托鉢修道会と呼ばれるらしい。

他方、「ドミニコ」といえばやはり「異端審問」であり、レコンキスタをなしたスペインなどを中心に、イスラム教徒(Musulmanes)、ユダヤ教徒(Judaizantes)、キリスト教に宗旨替えした改宗ユダヤ教徒(Conversos)などを厳しく弾圧した。ドミニコ会士には教会法などに強い吏僚が多く、その彼らが異端審問に登用されることが多かったことから、こうなった。

結果、イタリア語でドミニコ会士を意味するDominicaniは、言葉をもじって、同じくイタリア語でDomini Cani(神の走狗)と揶揄されるに至ったらしい。

 

7.チルコ・マッシモ

最後に、チルコ・マッシモの地下鉄駅からホテルに戻った。

チルコ・マッシモ公園

ここも後援なので、入場はただである。

AC/DCか何かのライブがあるらしく、ステージ設営中だった。AC/DC人気あんのね、イタリアでは。

チルコ・マッシモから見るパラティーノの丘のティベリウス宮殿

古代ローマの娯楽といえば円形闘技場の見世物ばかりが取り上げられるが、それだけではない。先述の演劇もそうだし、チルコ・マッシモ(Circus Maximus)で行われた戦車レースもそうである。ベン・ハーの舞台ですな。

むしろ、後世でいえば東ローマ帝国には、円形闘技場での剣闘試合などはキリスト教との関係でなくなっても、戦車レースや競馬は続いたくらいである。こちらの方が息の長い娯楽であった。

現代の陸上のトラックと概ね同じ、アメリカのインディ500などで使われるオーバルリングと似た形状のサーキットである。

ストレート区間が約600メートルと、カーブ区間があるため1周1200メートル超はある。

これを、戦車で何周もするらしい。馬、疲れないのか、と思う。

ローマ時代には、レースチームがいくつもあり、東ローマ帝国期には、皇帝が支持するチーム(青チームだったか)が戦力的に圧倒的に強く、基本ここが勝っていたらしい。そういうレース、面白いか?

F1で散々、やれミハエル・シューマッハ常勝時代、ルイス・ハミルトン覇権時代、そして昨シーズンのマックス・フェルスタッペン圧勝時代を見せられて、見る前から結果の分かっているレースほど辟易するものはない。

ちなみに、戦車競技のレースチームのことをScuderia(厩舎)といい、今でもF1のフェラーリチームは自らをScuderia Ferrariと呼ぶ。Ferrari以外にも同じくイタリアが本拠の旧Toro Rosso(現VISA Cash App Racing Bullsという意味不明な名前のチーム)も同様にScuderia Toro Rossoと称した。イタリア語では、レースチームを特に指してScuderiaの語がつかわれる。

サッカーなどのチームには通常Squadraという別語が用いられる。こちらは、英語で飛行編隊などを指すSquadronの語源となっている。