手軽な一揆の起こし方

エセ評論家の生活と意見

下町のトラステヴェレに行ってみる

ローマ6日目の午後

ボルゲーゼ美術館を見終わって時間が空いたので、バスでテヴェレ川西岸のトラステヴェレ地区まで行く。

 

1.テヴェレ川を渡る

テヴェレ川西岸はもともとローマの中心部ではなかったが、古代の時点で拡張された市域(現代風に言えば「グレーター・ローマ」)の一部として発展していた。

現在は法王庁も西岸であり、サンピエトロ大聖堂などの大寺院の門前の下町的な風情がある。だいぶ違うが浅草的な?

西岸に渡る際の中の島、ティベリーナ島

東岸からティベリーナ島への橋、えらい混みよう

トレステヴェレ側からのティベリーナ島

島の面積としては、大阪の中の島の3分の1くらいのような雰囲気である。

ティベリーナ島は、島であるがゆえに隔離しやすく、昔から病院島であったが、現在も病院が島の半分を占めている。

しかし、東岸からは歩行者専用の橋しかないため、救急車は西岸からしか入れないっぽい。

 

2.お菓子屋を目指す

職場への土産に、焼き菓子を買うことにした。

イタリアであれば、カンノーロやマリトッツォ、ジェラートやパイなどお菓子は事欠かないが、全て日持ちしない。

よって、そういったものは残念ながら捨象して、日持ちのするビスコッティ、パスティッチェといった焼き菓子にした。

Googleで調べていて、素朴でよさそうなお菓子屋に行ってみた。

maps.app.goo.gl

屋号がArtigiano Innocenti、とのことで、素朴な味わいを活かすという趣旨のことらしい。食べてみたらその通りで、甘さ控えめで素朴な味わい、素材の良さが感じられた。不健康な感じが一切しないのが、意外と本場の味なのかも知れない。

私たちは、日ごろから大手の食品メーカーの毒の効いた食品に慣らされ過ぎているらしい。

Biscottificio Artigiano Innocentiの店の前

店の前は少し人が並んでいた。

中に入ると、フランス人の夫婦、アメリカ人の家族、ドイツ人の女子2人組などがオーダーを待っていた。

全員言葉が通じない(おかみさんはイタリア語のみ)ので、指差しで何となく注文していた。

途中で、アメリカ人の男とイタリア人(?)通訳の女の二人組が入って来た。

店主とおかみにイタリア語で話し始めて、どうやら過去にこの店に来たことがあるらしいと言っていた。さらに、アメリカ人の男性がリュックから旅行ガイドを取り出し、「昔自分が執筆したものだ」といい、そこにこの店を紹介したらしいことを話し始めた。

おかみも思い出し、10年かそこら前に来た時の写真が壁に貼ってあるのを見せて盛り上がっていた。

何となく入った店だったが、どうやらガイドブックに載るような店だったらしい。

ショーケース

 

3.近くの教会へ

トラステヴェレにも、大きな教会がいくつもある。サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂に向かった。

門前町の風情がある街並みが続き、どこも人でごった返していた。

トラステヴェレの街中

浅草でいえば、以前2月の土曜日に行った時の門前仲町や伝法院通りよりは混んでいる。

景観は、圧倒的にこちらの方が古いものをよく残している。

景観の残り方の良さでいえば、長野の善光寺仲見世通りなどの方が雰囲気的に近いかもしれない。

サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂

5世紀には教会がここにあったとされるが、その後ゲルマンの略奪などもあって何度か再築され、現存するのは12世紀の建物らしい。

ということは、頼朝の寄進によって再築された東大寺とだいたいタメ、ということになろうか。奈良の寺社は、この時期慶派の活躍などが見覚ましく、また武門の台頭による政治力学の変化もあって、この時期に再築され、現代に残っているものがある。

内部は、お約束通り豪華である。

聖堂の内部

ここにも大天蓋があり、金と大理石のの絢爛たる装飾が内部を彩っている。

どこかの国の一番大きな大聖堂クラスのものが、ローマ市内にはごろごろと転がっている。

壁面全体を金彫とモザイク画、フレスコ画が覆う

建設に当たっては、教会税である10分の1税(これもともとローマ帝国の基幹税だった)の他にも、貴族や商人の寄進が多くあったと思われる。

これだけの装飾を施すのにも、数百年の時間がかかっているという。日本と違い、一度建てた建物にどんどん加飾していくようなので、この絢爛さは富と時間を掛算したものの蓄積でもある。

 

4.日本における時間の蓄積を形にするという観念の欠如

考えてみれば、日本にはこの感覚、時間とともに蓄積されるものの価値に対する評価があまりないのかもしれない。

東大寺でも善光寺でもそうだし、城址の特に天守などでもそうだが、作られた原形のままで、そこに後世の人間が手を加えることをあまりしない。原型を墨守するか、ぶっ壊して作り直すかのどちらかである場合が多い。もっとも、近世の城郭のうち御殿の書院は、実用上の観点から増築されることはあったろうが。

神社の式年遷宮など、リセットしてしまうのが前提のものである。なお、あれはどの範囲の神社までそういう考えをとるのか、またそもそも明治以前はどの程度行われていたのかはよくわからん。ここら辺「国家神道」によって過去の伝統的経緯が破壊されているので。

史跡の建築物を見る限り、日本の場合、現状維持か断絶かの両極に振れることが多く見え、これは制度についてもいえる。明治新政移行で一度従前の体制・文化その他を完全に破壊し、第二次大戦に敗戦して再度体制が崩壊した。現在の状況は、「承前」が眼中にない連中による破壊の後の、なんだかよくわからん構築物の墨守という名の現状維持、というより現状放置である。

イタリアが政治的、経済的、文化的に過去をどのように引き継ぎ、手を加えているのかはわからない。リソルジメントは明治新政のような断絶のようにも見える。一方で第二次大戦に敗戦したイタリアは手のひらを返したように、「一時期ベニートに乗っ取られていただけで、実は前々からもう一つのイタリアがあるんです」とでも言わんばかりに連合国側についた。

その後イタリアが共和制に移行してから現在まで、フランスやドイツのように目立つほどあれこれと手を加えてきた(方やゴーリズムの後の第五共和制、方や東西統一)わけではないかもしれない。しかし、EUの前身であるECのころからのメンバーとして、欧州統一に向けて超国家プロジェクトを推進してきた中心であることは変わりない。破壊か放置の二択ではなく、トラブルを抱えつつも現状を漸進的に変化させていっている点では、他の欧州諸国と同様である。

建築の在り様にも社会の在り様にも何か似たような表徴が見出せる。

日本の中に、破壊か放置の二極に振れる傾向を見出すとすれば、それは積み木を積んでは気に入らず倒してバラバラにしたり、あるいはすぐに興味を失って片づけずにほったらかす子供と似たものがある。これが悪いとは敢えては言わないし、これも人間の本質の一側面なのだろうが、あるいは欧州人から見れば、これは「幼児性」と映るのかもしれない。