手軽な一揆の起こし方

エセ評論家の生活と意見

新潟から会津を経て日光へ(1)

いまだに、9月中旬の出張時の写真の整理中である。

今回は土曜日の新潟への出張と月曜日の東京への出張が近接してあったので、まとめて新潟→会津→日光→東京という経路で行ってきた。

 

1.新潟

新潟も会津も豪雨だった。

新潟市内の散策はこれで二回目だが、古町の旧豪商の邸宅に行った。

港町として栄えた新潟で、北前交易で財を成した豪商の家である。

斎藤家入口

雨の日の写真というのも撮りようはあるが、光源がないため陰影が少なく、かつ雨でぬれやすくポジションが作りにくいので、やはり非常に難儀である。

斎藤家邸宅内

今回はフルサイズミラーレスと24-70mm f4.0の軽量ズームレンズを携行していった。

雨の庭園

縁側にある欄干

帰り道に洋風の古い建築があった。

少ないが、新潟市内にもところどころこうした建築が残っている。

洋風建築の写真館

 

2.会津

会津も二回目で、去年のGWに行けなかったところ、主に会津藩保科家に関連のある寺社などをいくつか回った。

福満寺虚空蔵菩薩

雨が降るとやりにくいのは、絶対的な露光量が少ないため、露出が稼げないことである。

上の写真は雨を撮るためSSを1/800まで速くしたが、それに合わせてISO感度を上げねばならず、ノイジーな写真になる。

他方、LightroomのAI解析を使ったノイズリダクションで、かなりノイズ提言をすることができた。

日新館入口

続いて会津藩の藩校、日新館である。

建築様式から見て明らかなように中国風、教育内容も朱子学などを中心とした儒学だったようで、武士のテクノクラートの養成施設であれば当然といえば当然である。

大学時代にたまたま採った教育倫理学の講義によると、朱子学などは、もともと中国でも仏教勢力への対抗思想という性質を持っていたらしい。精緻に理論化された仏教の哲学体系に対抗すべく、実践倫理という性質の強かった儒学を体系化、理論武装していったという。しかしその理論化の過程で、理論体系が仏教のそれを一部借用したものになっていったのは皮肉というべきか。

日新館内部

江戸時代には、日本でも官僚の倫理・論理として輸入されて、陽明学などを排斥して大勢を占める。

江戸幕府は寺社勢力を宗旨人別改帳などの所管機関として、支配体制に組み入れていった。他方で、自社が村落に対して持つ影響力や既得権の強さは、武士支配階層と利害衝突する部分もあったのか、江戸幕府官僚には仏教嫌いが一定数いたようである。その代表が、まさに儒学者である新井白石だった。

日本の武士層の仏教への対抗原理は、こうした儒学か、あるいは水戸に生まれた異形の思想というべき 国学を背景とした復古的(あるいは一種のロマン主義的)ナショナリズムである。

こうした思想の相克や葛藤が江戸時代に存在し、その潮流の上に明治国家を下支えした 復古思想がある。廃仏毀釈や僧侶に復飾妻帯を認める措置(これにより仏教勢力の弱体化を図った)などは、その一端が表出した場面といえる。

明治の新政移行期は、佐幕派倒幕派かで色分けされることが多いが、こうした思想的な潮流はかなりねじれている。

実際、徳川慶喜は水戸徳川の出自であり水戸学の頭であったし、松平容保もまた水戸の血縁者であった。

9月頭に仙台出張に行った際の写真

 

もう11月下旬だが、いまだに8月末から9月頭の写真もポストで来ていない。

仙台に行った際の写真を掲載していく。

 

1.時期の悪さ

昨年仙台で講演に呼ばれ、今年も呼んでいただいた。

ともに8月末から9月頭だったため、台風が直撃したり線状降水帯が発生したりと大変な時期だった。

昨年赴いた際には、航空機でなく鉄道で行ったが、JR北海道は安定の天候不順による運転休止で、片道2.5時間かけて新函館北斗まで言って新幹線に乗る羽目になった。

今年は仙台空港まで飛行機を使ったのでましだったが、仙台市内が異常な湿度と暑さだった。

 

2.大崎八幡宮

仙台市内のやや北西部に大崎八幡宮がある。

公園前の午前中にバスで向かったが、駅前のバス乗り場がわかりにくすぎてまったくわからず、結局間違った路線に乗った。

運転手に聞くとたまに間違えて乗る人がいるという。

であればもう少し案内表示などどうにかすべきではないかと思う。

この半月後に訪れた新潟市は、駅前が大型再開発の最中であったが、リニューアルされたバス乗り場は非常にわかりやすかった。

で、行き過ぎて戻る形でようやくたどり着いたのが大崎八幡宮、社殿は国宝となっている。

表参道から

夏祭りか秋の祭りののシーズンだったのか、提灯が多く掲げられていた。

境内に入って

雨の中絵も壮観で、神社らしい光景だった。

社殿前

三枚とも同じような構図になった。

イデアを工夫する余裕がない。

雨だとなかなかカメラを持って動き回りにくいのが難点である。

 

3.瑞鳳殿

仙台でもっとも有名な史跡と思われるもので、伊達政宗の霊廟である。

歴代藩主の霊廟も近接して存在する。

瑞鳳殿正面

これも半月後に新潟の後で行った日光の東照宮と似た趣旨のものといえる。

ただ、この施設が民間に開放され参拝を受け入れていたのかはわからない。

のちに書くことになると思うが、日光東照宮のすごさは、徳川家康の、信長や秀吉をよく見て考えて、自らは違う方向へと向かった独自性・主体性のの発露である点だと考える。

公共事業として施設を作り、民間の旅行需要を満たし、エンターテインメントを提供し、もってプロパガンダにもする。

瑞鳳殿は、規模が圧倒的に日光東照宮よりも小さいが、果たしてその規模以前に、家康が仕掛けたほどの公共事業からプロパガンダにまで一気通貫につながる装置として機能し得ていたのだろうか。

細部の豪華さ

正面

 

 

8月の赤井川アリスファーム

赤井川村に、アリスファームというブルーベリーなどを生産する農場がある。

観光農園でもあり、園内でマフィンやジャムなどが買える。

農園のベリー畑

もともと個々のオーナーが岐阜の「有巣」というところで農場を営んでいたことから、アリスファームというらしい。

丘陵になっている

園内は農場だが、そのもの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のような世界で、どの季節に行っても美しい。

非公開の本邸

建物含め、ここまで手入れの行き届いた、別世界のような農園はなかなか目にかかることはない。

テラスから羊蹄山麓地域の山並みを望む

ジャムや名物のマフィンなども、方々の物産展などで人気だという。

友ヶ島散策

和歌山に出張に行ったついでに、以前から行ってみたかった友ヶ島に足を延ばした。

 

1.「サマータイムレンダ」の聖地

ジャンプの漫画、アニメ化された「サマータイムレンダ」の舞台となった土地である。

作中で出てくる場所は、友ヶ島自体と、そこに渡航する港である加太の街並みを用いている。

 

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この作品で話題になる前から、戦前の軍の砲兵陣地となっていたことから、「天空の城ラピュタ」の聖地といわれていた。

GWなどの期間中は、島への船が何時間待ちにもなるらしい。

幸い、7月の連休ではあったが、朝8時過ぎの第一便に問題なく乗れた。

 

2.砲台跡へ

砲兵陣地跡へ

島の中はほぼ山だが、北海道で山を歩こうとすると熊に怯えねばならない状況からすると、まったく平和なものである。

砲兵基地

レンガ造りの地下基地、コンクリート掩体壕がある。

気温は30度以上あるが、木々に覆われ地下に掘られた基地の中は5度くらい低いように感じた。

もともと、紀淡海峡の海風が入り、気温自体はそれほど高くはないが。

回転砲塔のあった砲台跡

砲台跡、引きの画角

 

3.展望台へ

10時過ぎから、上陸する観光客がかなり増えてきた。

山上の砲台を後にして、尾根筋を歩いて展望台に行く。

展望スペースから紀淡海峡紀伊半島を望む

紀伊半島と淡路島、さらに四国に近接するこの島からは、周辺の島々を望むことができる。

漁船がひしめいている。

展望台から下山すると、海沿いの砲台跡にたどり着く。

崩壊した海辺の砲台

潮風にやられやすいのか、波涛による物理的ダメージか、こちらの砲台は崩壊している。

奥に臨むのは淡路島の陸地と思われる。

船の着岸ポイントである港近くのブランコ

港から紀淡海峡の過密な航路を望む

港近くの茶店はのどかなもので、海には漁船が多く出て漁をしている。

そんな中に、忽然と巨大なコンテナ船が現れ、淡々と横切っていく。

のどかな漁場の中を全く不釣り合いな大きさの船が航行していく、日本の過密航路を実感できる。

 

7月和歌山出張時の写真

 

7月に和歌山に行ったが、その際の写真が棚晒しになっていた。

梅雨の終わりに行ったのに、気づけばもう秋である。

夏の写真を貼っていく。

 

1.紀三井寺

紀三井寺

そんなに高くない山?だが、ケーブルカーが設置されているらしい。

高齢の参拝客向けに、ケーブルやエレベーターなど複数の昇降機を用意している。

中腹からの眺め

和歌の浦?が遠く望める。

もともと、和歌の浦を中心とした港町で、そこに紀三井寺や少し離れた根来寺などの寺社などが集積し、戦国期には雑賀衆根来衆などの寺社勢力や土豪が割拠した。

武士支配層からすれば手を焼く相手で、それを平定して入ったのが豊臣秀長(秀吉の弟)であり、紀州徳川家初代の徳川頼宜であった。

縦構図

境内まで登りきると、夏特有の強い日差し。

境内

のどかな境内に、茶店が出ておりのぼりが立っている。

 

2.和歌山城

天守

和歌山城は8円ほど前に訪れたが、再訪である。

下から本丸の在る山の上まで登って行った。

外国人観光客もちらほらいた。

関空からアクセスのよいのどかな歴史ある町で、確かに穴場といえる。

天守閣反対側から

本丸の隅の櫓台から天守を望む。

 

3.雑賀崎和歌の浦

少し霧のかかった雑賀崎

夕方に訪れた雑賀崎

霧か霞のようなものがかかっていた。

和歌の浦

タイミングよく、和歌の浦に沈む夕日を見ることができた。

この近辺にはリゾートマンションが林立しているが、きちんとメンテナンスされているようで、景観も交配せず良好だった。

 

5月以降の写真その1

 

1.4月のイタリア滞在

4月末にローマに1週間ほど行って、その際の写真などで記事が20本ほど出来た。

だいぶ擦りたおしているが、まぁそれだけネタがあったということなので結構なことである。

ちなみに、滞在7日間のカメラのショット数は792ショットで、少なかった。

その中で、まぁ使い物になるのが80ショットなので、だいたい1割という歩留まりである。

1日100ショット少しである。

写真を撮っているときは、そちらに集中しているため他がおろそかになる。

スリなど周囲に警戒しながらの写真撮影のため、写真を撮ること自体に消極的になるという精神状態だったことが影響していそうである。

そもそも、カメラ自体だって腐ってもフルサイズなわけで、それ自体かっぱらわれる恐れだってある。

そんなことで、まだまだ海外旅行には慣れが必要と痛感した次第である。

ちなみに、ローマ市内では一眼などのカメラを持っている旅行者は極端に少なく、ほとんどスマホ写真だった。

先月初旬に行った浅草にいた外国人観光客は、なぜか一眼を持っている割合がローマより高かった。

同じ海外旅行客同士でも、東京に比べてローマの方がカメラ所持率が低かったのは興味深い。もしかして、ローマでは皆かっぱらいを警戒していたのだろうか?

 

2.5月の羊蹄山

さて、まずは日本に戻ってきて、5月のGWに近所で撮った写真からである。

羊蹄山と桜

羊蹄山麓は春が遅い。

エゾザクラが咲くのはGW頃である。

京極町の湧水の郷の公園で、満開になった桜と雪の残る羊蹄山が撮れた。

連休で公園は混雑していたが、それでも行列などに苛まれないのは田舎のいいところである。

行列・渋滞・無駄な会議を親の仇のように憎む私としては、ストレスの少ない環境ではある。

 

3.7月の小樽

今年の6月は、北海道は梅雨の影響も受けず過ごしやすかったが、何の記憶も残っていない。

この時期、所属する士業の全国組織なども総会の時期で予算執行が止まる。よって研修会の誘いなども来ず、特に出張に行くこともないからである。

7月からぼちぼち新年度予算で出張などが入り始めるが、まずその前に小樽に買い物に行った際に神社に寄った。

住吉神社の御手水

アジサイなどの花を御手水に浮かべて、涼しげに装飾されていた。

住吉神社は高台から海に向かって参道が伸びていて、海の航行の安全を守る大阪・住吉大社末社にふさわしいロケーションである。

千本鳥居のようなものは、おそらく境内地にある稲荷社のものか。

小樽は、札幌よりコンパクトにまとまっていて、車も停めやすく、買い物にも必要十分な店がそろっている。古くからやっている飲食店、喫茶店やパン屋、菓子屋も多いので、買い物に行くには都合の良い町である。

観光地として楽しいのかどうかは不明だが適度に文化的で、雪国にあるまじき急坂の住宅地を除けば、生活はしやすいと思われる。

「響け!ユーフォニアム3」総括 そして、次の曲が始まるのです

 

「この気持ちも、頑張って誇りにしたい」

1.これまでの振り返り~京アニという「人間性の再生」のプロジェクト~

つい先日、金曜ロードショーで「聲の形」が放映されたらしい。

 

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以前過去記事でこれの解釈について検討したことがある。

この作品は、京都アニメーションの作品の持つメッセージの点で、一つの転換点をもたらした作品だと思っている。

その京都アニメーションの、作品に込めるメッセージの変遷をたどった記事も、その後書いている。

maitreyakaruna.hatenablog.com

京アニの作品群は、そのメッセージ性の変遷から、20年以上をかけた壮大な「人間性の再生」のプロジェクト、ある意味でルネッサンスのプロジェクトである、と解釈してきた。

要約すると、2000年代初期の京アニは、悲しみと寄り添う作風(AirCLANNAD)、そこから「あったらいいな」という楽しい世界(ハルヒ)を描いてきた。

2000年代後半、無菌室のような優しい世界での永遠の日常(らき☆すたけいおん!)が描かれた。

涼宮ハルヒの憂鬱第二期と、けいおん!!(第二期)を経て、「日常」というコアなシュールギャグアニメを挟んだ後、作風に転換がもたらされる。これが「氷菓」だった。従来から繊細な心情描写を得意としてきた京アニだが、その技芸を用いて嫉妬や挫折といったネガティブな感情にも積極的にフォーカスしていく契機となった。

その後映画化されたのが「聲の形」である。聲の形に関する上掲記事にも見られるように、これは視聴者自体をコミュニケーションの罠に突き落とし、その困難性を否応なく味わわせ、4DXなどそこ退けの疑似体験をさせる作品であった。

その後、京アニの小説レーベル作品の金字塔として「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が世に送り出された。戦争によって心を失った少女が、手紙を書くことを通して人の心に触れ、取り戻し、やがて人を癒すまでに成長していく物語だった。

上述の記事「ヴァイオレット・エヴァーガーデン京都アニメーションの歩み」の中でも述べてきたが、これまでの京アニ作品群は「人間性再生・再獲得のプロジェクト」という切り口で整理することが可能であると考えている。

 

2.以前の記事で筆者が投げかけた問い

近年、京都アニメーション以外のスタジオから送り出された秀作が、特に「ぼっち・ざ・ろっく」などを筆頭に、「世界は思っているほど怖くない、ちゃんと関われるようになる」という、「人が再び社会/世界と関係を結んでいく」プロセスを後押しするメッセージ性を備え始めた点を指摘した。

これは京アニが「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」で描いたステージであり、さらにその先につながるものでもあった。

上述記事の最後に私が述べたのは、今後の展開についての問いかけだった。

京アニは果たして、人間性の再生のプロジェクトのその先に、この現実社会と切り結ぶ作品の受け手(鑑賞者)に、どのような人物像、物語を提示して来るのか?

時代は今や、大きく変わってきた。「進撃の巨人」という空前絶後の神話が完結を迎えた。「チェンソーマン」などの野心的な作品、さらに「推しの子」といったハードなミステリの要素を持ち込んだ作品や、「ゴールデンカムイ」、「ヴィンランド・サガ」など、この世界のゆがみを自らの眼で見据える、あるいはこの世界の欠落した何かを追い求める、積極的に世界と切り結ぶ人々を冒険譚として描くものが多く支持を得てきた。

こうした時代変化の中で、京アニは次のテーマをいかに提示するのか?

これが筆者の問いだった。

京アニはついにその答えを示した。

その答えが提示されたのは、ちょうど「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」と時期を前後してアニメ放映が開始された、足掛け9年に及ぶ大作「響け!ユーフォニアム」の完結編、第3期だった。

 

3.「響け!ユーフォニアム3」の何がすごかったか

京アニは、挑戦する人の気高さ、正しくあることの高潔さを、描くに至った。

1)「響け!ユーフォニアム」のストーリー

響け!ユーフォニアム」は、2015年に第一期放映が始まった作品である。

京都府宇治市の公立高校、北宇治高校の弱小吹奏楽部に入った主人公・黄前久美子が、若く野心的な指導者のもと、部内の様々な問題と直面しつつも、全国大会へと昇りつめるいわゆる「スポ根」ものに近い作品である。

しかし、その本質は大会優勝などの勝利を得ることのカタルシスではない。誰かの音が心に響いて、その音に魅せられ者がさらなる高みを目指すという、「共鳴し合う心」の物語が、この作品の本質だった。

主人公の久美子は、姉にあこがれて吹奏楽を始め、中学の大会で本気の悔し涙を流した麗奈(後の親友にして本作のもう一人の主役)に感化されて「特別」を目指し、同じユーフォニアムの先輩・田中あすかの音色を胸に、全国大会金賞を目指す。

だからこその「響け!ユーフォニアム」というタイトルなのである。

「久美子1年生編」でTVアニメ2クールを費やし、全国大会で涙の銅賞に終わるまでを描く。上述の通り、久美子には多くの宝になる出会いがあり、それが彼女の吹奏楽生活を支えていく。

「久美子2年生編」は、当時の3年生(久美子の1年先輩)の希美とみぞれの関係性に焦点を当てた「リズと青い鳥」編と、久美子が主人公のいわば本編に当たる「誓いのフィナーレ」編の二部があった。

ここで、久美子の下の世代が現れ、久美子の音や姿に心を動かされた(響いた)後輩たちとの関係性が描かれる。久美子は導かれる側から、導く側に変わっていく。残念ながら、部の成績は関西大会金賞、全国進出ならずで終わる。

2)完結編のあらすじ

「久美子3年生編」が、完結編となる「響け!ユーフォニアム3」であった。

久美子は部長となり、演奏指導のリーダーには盟友の麗奈、副部長には幼馴染の塚本。この布陣で、新たに加わった1年生も含めて、再びの全国を、悲願の金賞を目指す。

ここで、黒江真由が登場する。

ライバル・黒江真由

九州の吹奏楽の名門高校からの転入者で、久美子と同じユーフォニアム奏者である。

完結編テレビシリーズ第1話から不穏な空気を演出する。他方、久美子は部長として、部員のメンタルケア、オーディションの方法や部員のモチベーションの維持、部に渦巻く滝先生への不満など、様々な問題に直面し奔走する。

そして、第12話、最終話の一つ手前で、事は起こる。

全国大会出場を決めた吹奏楽部は、全国メンバーを決定するためのオーディションを開く。部のエースでアメリカの音大留学を決めた麗奈の吹くトランペットとともにソリ(ソロ二人のデュエットのため、ソロの複数形でソリ)を吹くユーフォニアムを決める、最後のオーディションが難航する。これまでのステージでは、オーディションの結果、京都府大会では久美子が、関西大会では真由がソリパートに選ばれていた

久美子と真由の実力は互角だった。

部長で3年間部に貢献し続け、多くの後輩に慕われる久美子。名門吹奏楽部で過去2度とも全国金賞を手にしてきた実力者の真由。どちらがソリにふさわしいのか。

指導者の滝は、実力が伯仲していて判断しかねると考え、全部員の前での再オーディションを提案する。

そこで久美子は、ある提案をする。

奏者がわからないようにする、ブラインド・オーディションである。

ブラインド・オーディション

実際に大阪の名門、淀川工科高校などで似たような方式が古くから行われているらしい。

結果、部員投票では全くの五分、最後に一票を投じて決めるのは、トランペット奏者麗奈だった。

音楽に絶対に嘘をつかない麗奈が選んだのは、真由だった。

麗奈は真由を選んだ

麗奈の選考理由はおそらく、トランペットにより寄り添ってバイプレーヤーに徹する表現ができているのが真由だった、ということになろう(たぶん)。

3)第12話の衝撃

この展開は、原作小説とも異なるもので、アニメ版での大改変だったらしい。

「セクシー田中さん」のドラマ化で原作者自殺という悲劇が起こり、さらに現在放映中の「推しの子」第二期では、まったく同じシチュエーションで原作者と脚本家が対立する状況が描かれるという、このテーマが非常にホットな時期に、やってくれた。

本作では、原作者の武田綾乃氏自身もこの展開をどうするか相当悩んだ末、原作では久美子選出ルートとなったらしい。

しかし、アニメ版では監督の石原立也、脚本家花田十輝花田清輝の孫らしい)と原作者で協議の末、黒江真由という登場人物の存在意義などをより深く表現できるものとして、別ルートを選んだという。

4)「久美子落選」ルートでこそ達成できたこと

死ぬほど悔しい

「死ぬほど悔しい」

この作品の第一期の第一話冒頭シーンで、麗奈が泣きながら言った言葉である。

この感情を、今まで久美子が歩んできた道のりを共有してきた受け手(視聴者)は、否応なく追体験させられる。

死ぬほどの悔しさという挫折は、その人の考え方、世界観すらも変え、世界が今まで見てきたものと違って見えることすらある。その後の人生の分かれ道になるほどのものである。

筆者も大学受験時に医学部に落ちて法学の道に進んだ経緯があるため、世界の根幹から見かたが変わるような挫折、というのはわかる。

しかしこの作品は、その挫折を以って伝えたいメッセージがあるからこそ、このルートを選んだのである。それは何か?

1/ この悔しさも宝物になる

新たな誓い

オーディションに敗れた日の夜、自らの手で引導を渡した麗奈は、久美子と同じくらい悔しく、彼女以上に自責の念を感じていた。

その場で久美子が彼女に言ったのが、冒頭のセリフ「この気持ちも、頑張って誇りにしたい」。

挫折や悔しさは、その時点では目標を達成できなかったというネガティブな事実でしかない。しかし後になってみれば、それがかけがえのない宝になることだってあるし、宝になるか傷としてのみ遺り続けるかは、本人の歩む道次第である。

おそらく自分ならば、負けた直後にここまでの達観したことは言えないだろうし、一高校生が本心からこれをいうのは相当難しいだろう。

このセリフは、きっとこの作品の作り手の思いだ。

この作品を通して、このストーリーラインを通してこそ伝えたかった事、それは、

「挑戦すればうまくいかないことは必ずある。でもそれはきっと掛けがえのない宝にできる」

という、ひたむきに生き続ける者への応援歌であり、賛歌だったのではないか。

京アニは、人間性の再生というプロジェクトの先に、やはり「次の曲」を用意していた。

物語の中で、癒すことに始まり、優しい世界を提示し、繊細な感情表現を育んできた彼らは、挑む者を励まし、その人にとって本当に大切なものを誇り高く掲げよ、と言っている。

2/ 正しくあることの高潔さ

オーディション後の回想シーンで、久美子と滝先生の会話が差し込まれる。

久美子は滝に問う

久美子「先生にとって理想の人ってどういう人ですか」

滝「そうですね。正しい人でしょうか。本当の意味での正しさは皆に平等ですから」

滝の言葉が久美子に「響いた」瞬間

滝「黄前さんはどんな大人になりたいですか?」

久美子「私もそんな人になりたいです」

 

どこまでも公平に、正しく。

オーディションで奏者を決める。北宇治は実力主義

だからこそ、部長か否か、3年間の貢献が云々、など関係なく、実力ある者が奏者となるべき。

自らの課したこのルールで、自らが敗れることの悔しさ。

しかし久美子は、ここで己に打ち勝つ。

オーディション結果が出た刹那「これが、北宇治のベストメンバーです!」

その言葉に救われる真由

真由は、高い実力を持つゆえに、オーディションで自らと競い合い落選した者が音楽をやめてしまうなどの苦い過去を持ち、オーディション自体に消極的だった。

久美子の敗れてなお公正で堂々とした姿は、真由のオーディションに対して、競い合う音楽に対して抱えてきたわだかまりを和らげるものだった。

久美子が敗れたことによってあらわされた第二点は、この「正しくあることの気高さ」である。

オーディションというルールは「真の実力主義」という理想のために作られた。そのルールは平等で、作った自らに対しても公正に適用される。

それを曲げるわけにはいかない。

音楽に嘘をつかず真由を選んだ麗奈。

実力主義という原理を曲げずに真由の勝利を讃えた久美子。

実力主義を貫く」という1年生の時の約束

久美子の敗北があってこそ、この高潔さが描けた。

そして、滝との会話の瞬間、久美子はその言葉に共鳴し、彼女が後に教師の道へと進む、新たな道が開けたのだった。

再び、主人公には「響いた」のである。

姉、麗奈、あすかと来て、最後に彼女の心に音色を響かせたのは、教師・滝昇だった。

物語構成としても非常に美しい共鳴のリフレインだった。

5)この作品は本当の意味で「正しさとは何か」を投げかけた

余計な話だが、これは「法の支配」、あるいは正義の原理を端的に具現化した状況である。

これ自体にも、社会的な切り口から非常に重要な意義があると思う。

何せ、首相官邸は出鱈目な法律と予算措置を乱発しておきながら、自らに都合の悪いことは隠蔽し、法の支配の外にいるかのような昨今である。

さらに、日本の物語作品の多くに共通する問題点としての、「正義の本質的な空疎さ」に対する強力なカウンターですらある。

筆者は、「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」をあまり高く評価していない。

なぜか。

これらの作品では、相変わらず「正しさとは何か」は描かれないからである。これらの典型的なジャンプ作品群において、正しさとは、単に「人に迷惑をかける悪を懲らしめるというリアクション」に過ぎない。少なくともその程度の思考の深みしか、感じられない。そこに、積極的に達成されるべき正義の位置は存在せず、ただ悪を倒すことこそが正義となる。それは、一人の出る杭をたたく衆人の眼と、究極的には相似する。

しかし本作では、最後の最後に、黄前久美子という存在を通して、「正しくあるとは何か」を積極的に問うたのである。

 

4.「響け!ユーフォニアム3」は今後の京アニ作品の方向性を示す

9年前に始まったシリーズで、その完結編で大改変を行い、それを以って多くの力強いメッセージを伝えた。

それは、「その悔しさもきっと宝になる」というこの上ない激励であり、「正しくあることはつらく厳しいが、それゆえにこそ気高い」という美しさであった。

京アニの作品は、今やここまで、シビアでリアルな状況を描き、かつそういった状況でこそ人を激励し、そこにある人の美しさを描こうとしている。

これまでの人間性の再生のプロジェクトの先に、積極的に世界に関与し、挑戦する人々への応援歌が待っていた。

単なる美麗な作画、秀逸な表現力を超越した、ほとんどのアニメ作品が未だ到達していない高みである。

響け!ユーフォニアム」シリーズは堂々の完結を迎えた。

さて、京都アニメーションは、どのような進化を見せてくれるのか。

まずは、この言葉で結ばれるべきだろう。

「そして、次の曲が始まるのです」