手軽な一揆の起こし方

エセ評論家の生活と意見

サマータイム・レンダ視聴完了後総合評価

1.アニメーション技術面 54 60  
1)キャラクター造形(造形の独自性・キャラ間の描き分け) 9.5 10  
2)作り込みの精緻さ(髪の毛、目の虹彩、陰影など) 8 10  
3)表情のつけやすさ 9.5 10  
4)人物作画の安定性 9 10  
5)背景作画の精緻さ 10 10  
6)色彩 8 10  
       
2.演出・演技      
声優 156.5 170  
1)せりふ回し・テンポ 9 10  
2)主役の役者の芝居(表現が作品と調和的か・訴求力) 9 10  
3)脇役の役者の芝居(表現が作品と調和的か・訴求力) 8 10  
映像      
4)意義(寓意性やスリル)のある表現・コマ割り 9.5 10  
5)カメラアングル・画角・ボケ・カメラワーク 10 10  
6)人物表情 10 10  
7)オープニング映像 10 10  
8)エンディング映像 10 10  
音楽      
9)オープニング音楽      
作品世界観と調和的か 9 10  
メロディ 9 10  
サウンド(ヴォーカル含む) 9 10  
10)エンディング音楽      
作品世界観と調和的か 9 10  
メロディ 9 10  
サウンド(ヴォーカル含む) 9 10  
11)劇中曲      
作品世界観と調和的か 9 10  
メロディ 9 10  
サウンド(ヴォーカル含む) 9 10  
       
3.ストーリー構成面 67 70  
1)全体のストーリー進捗のバランス 9 10  
2)時間軸のコントロール 10 10  
3)ストーリーのテンションの保ち方のうまさ(ストーリーラインの本数等の工夫等) 9 10  
4)語り口や掛け合いによるテンポの良さの工夫 9 10  
5)各話脚本(起承転結、引き、つなぎ) 10 10  
6)全体のコンセプトの明確性 10 10  
7)各話エピソードと全体構造の相互作用 10 10  
       
  277.5 300 0.925

 

Sランク

 

SSランク・・・95%以上

Sランク・・・90%以上95%未満

AAAランク・・・85%以上90%未満

AAランク・・・80%以上85%未満

Aランク・・・75%以上80%未満

Bランク・・・60%以上75%未満

Cランク・・・45%以上60%未満

Dランク・・・30%以上45%未満

Fランク・・・30%未満

 

サマータイムレンダ



1.概要

夏の四日間を何度もやり直す作品を、半年かけて25話で描き切った。

タイムリープものは日本のSFの十八番で、筒井康隆の「時をかける少女」がその嚆矢だろう。

日本のSF小説である「オール・ユー・ニード・イズ・キル」は、トム・クルーズ主演で映画化もされている。

SFアニメとしても、筒井の同小説を原作とした映画版(細田守監督)の他、「魔法少女まどか☆マギカ」、「シュタインズ・ゲート」、「Re; ゼロから始める異世界生活」などがある。

 

2.裏と表、影と光

日本のSFの競合作品がひしめくこの分野にあって、本作品の異色といえる点は、やはり舞台設定とそれを活かした情景描写と、そこから匂いたつ物語の実在性だ。

友ヶ島(作中では「日都ヶ島」と称する)を舞台とした、夏の陰の濃い季節の物語である。

日の光がつよいゆえに、翳も濃くなる。その翳の濃さが、「影」の存在を強く印象付ける。

それぞれの登場人物について、裏と表、光と影の二面性を描いている。

主人公の慎平は、本人とハイネにコピーされたそれ。

ハイネは、人を食らう「ヒルコ」としてのハイネと、その在り方に耐えられず弾け飛んだ「右目」=観測者の眼であり、これが影・潮となる。

南方ひづるはその本人と、ハイネのスキャンにより精神だけ生き残り、ひづるの心の中に同居することとなった弟・龍之介。

澪は、本人自身と、本音の暗い部分を表に出す影・澪。

これらの中で、唯一裏表のない存在が、本人と影がともに手を取り合ったヒロイン・潮だった。彼女は、翳のないような、光の下の存在といえる。

彼女には物語上対立する登場人物として、翳のみの存在ともいうべき、雁切真砂人が置かれる。

オリジナルとコピーの差は大きな問題ではなく、「人の持つ二面性」こそが語るに値する、とでもいうような描き方であった。

夏の日照りの下の濃い影の存在を浮かび上がらせるには、その実在性を担保しなければならない。

そこで用いられるのが、舞台の細かい描きこみである。

実在の島の風景、温度や湿度が伝わるような、エアコンの結露、溶けたアイスクリーム、さらに登場人物の話す紀州弁。

演出上は、コストの関係からも全員共通語にしてしまうこともありえたかもしれない。しかし、渡辺監督含め制作者は、この和歌山弁こそ世界を立体的に、実在性を担保して描くために必要なものだと考えたのではないか。

プロモーションとしての聖地巡礼のための舞台設定ではなく、その舞台だからこそ成り立つ物語だった。

 

3.舞台

和歌山には、影が似合うように思う。

勝手な印象である。

暖かで光がさんさんと差す地域で、私が滋賀県に住んでいた時は、特に冬場など、うらやましく思ったものだ。北海道に住む今となっては、もはや別世界の楽天地といった観である。

和歌山には影が似合う。そう思うに至った原因は、中上健司だろう。

 

 

彼の作品の舞台は同じ和歌山でも新宮市であり、紀伊半島の反対側、熊野灘である。和歌山市からは、海岸線沿いに200キロ以上あるのではないか。

中上は、一部では「日本のフォークナー」とも評され、新宮サーガというべき作品群を残た。そこで生きる人々の逃れようのない血の宿命のような、陰惨な物語がある。

フォークナーは、ジョージアの田舎町で起こる殺人事件などを幾度も描く、「ヨクナパトウァ・サーガ」が有名だ。黒人差別が当然の社会の中で、黒人の血を引く主人公の何が突き動かすのか、彼が犯す強姦殺人事件などを、逃れようのない強い日照りの下で、淡々と描いていく。

 

おそらく、影→フォークナー→中上→和歌山となって、勝手に和歌山に翳が似合うという印象になったのだろう。

しかし、新宮であろうと和歌山であろうと問わず、実際に紀州に行くと、南の海に面した、遮るもののない向こうから差す太陽の光の強さは、やはり影を描くには格好の場所だと思わせられる。

新鹿(ここはギリギリ三重県

新宮近く

新宮

新宮城

ここまで計算したうえで、「和歌山」を舞台として「影」を描くことを決めたのだとすれば、和歌山出身の原作者・田中靖規氏の着想は素晴らしかったといえる。

友ヶ島は、ただでさえ旧砲台跡が有名なインスタ映えスポットで、今日のような三連休には加太からのフェリーが満席、何便か先まで1-2時間は待たされるという疲れる人気スポットである。

コロナ前は、アジア圏から観光客も来ていたらしい。

本作品は国内よりも海外人気が高い(配信がDisney+の独占配信のため、国内ではあまり視聴者取り込みができなかったらしい。他方海外では多くの契約者を抱える配信サイトのため、人気は上々のようだ)。今月から入国制限がさらに緩和され、外国人の日本国内旅行も可能となった。

また混み始める前に、友ヶ島には一度行ってみたい。

そう強く思わせる佳作だった。