手軽な一揆の起こし方

エセ評論家の生活と意見

活動家の限界

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彼女の言動では、これから徐々に人は動かなくなるだろう。
登場当初は、中学生くらいの少女が環境問題を鋭く指摘し訴える姿がセンセーショナルでもあった。
しかし、時は流れ、少女とて大人になる。「物珍しさ」だけならば、もはや彼女にはとうにないといっていい。かつてのインパクトの残滓でしかない。
そんなインパクトを失った彼女が、「痛烈な批判」という芸風でいつまでもやり続けたとて、それを受け止め、賛同し共に歩もうとする人が増えるとは思われない。ネガティブな予測で人を煽る(※)のは、利害対立は生じ得ても、ポジティブな行動誘因にならない。
現実的かつポジティブなビジョンを示して初めて、世界のルールや常識を変えるムーブメントとなるのではないか。

※彼女の指摘が根拠のないものだというつもりはない。私は、事実たり得ようが得まいが、それをネタにして社会にムーブメントを起こそうとすることを、こう表現しているに過ぎない。

危機を指摘するのは大いに結構だが、それだけで人は動かせない。特に経済活動、目の前の豊さを犠牲にしろと言われて、おいそれと捨てられはしまい。経済発展に希望を見出している途上国や新興国はなおさらだ。明日が良くなると信じることに、生きる意味を見出している人もいるのだから。

このままこの人物が手法(あるいは芸風という程度のものであろうか)を変えることがなければ、彼女はごく一部の人々のカリスマへと身をやつすことになろう。

天然痘撲滅をぶち上げて驚くべき短期間での達成に道筋をつけたケネディ、インドの独立と植民地帝国主義への終焉をもたらしたガンディー、改革開放を成し遂げた鄧小平らは、常に今より良い明日を人々に信じさせた。うまくいかねばペテンである。

しかしいずれにせよ、より良い未来を見せられたから、人々は動いた。

グレタ・トゥーンベリは、より良い明日を人々に見せることができるようになるだろうか?

ここまで書いておいて今更だが、私は彼女が今後どうなるかには何の関心もない。そう言ったビジョンを見せられる人間へと成長することも期待していない。

関心事は、環境問題により今後大きくルールが変わっていこうとする中で、どういったアプローチを人類が選ぶのか、である。

・誰か、ポジティブなビジョンを見せて市民を牽引する指導者が登場するか(期待はできないし、するべきでもない。英雄待望論は人類の足下を掬う)。

・漸進的に革新が進み、気付いたらそれなりに改善が進むのか(どうだろうか。そこまで賢明であればよいが)。

・的外れなのか信憑性があるのか不明な目標を掲げて、各国が主導権争いのための道具として弄ぶのか(←今ここ。もはや結果的にある程度的外れでないことを天に願うしかあるまい)

・環境に関するアジェンダデマゴーグ的に用いる、あるいはその逆のカリスマ的指導者が登場する可能性も大いにある(トランプなどのように、既に沸いた虫もいる)。

グレタなどはこう言った頭が痛くなるシミュレーションの中の端数、どれだけよく言っても時代のあだ花程度のものであろう。