手軽な一揆の起こし方

エセ評論家の生活と意見

F1レーサーという存在–2022年F1開幕に寄せて–

 

1.冒頭から余談。ホンダは結局F1参戦「継続」の模様・・・

昨年限りで、ホンダF1は参戦プロジェクトを終了し、公式にF1から撤退した。はずだった。

しかしどうやら、結局は今年も、本田技研工業の子会社であるHONDA RACING COMPANY (HRC)がエンジンを設計、製造しレッドブルとアルファタウリに供給している。

現場にも、去年までと同じスタッフがHONDAのエンブレムをつけたユニフォームで詰めている。車体にも堂々とHRCというロゴが入っている。

なんだこれ。撤退してねーじゃん。あの涙を返せ。泣いてないけど。

要するに、撤退したのではなく参戦枠組みを変えただけのようである。

なぜこうなったのか。理由は、いくつかあるらしい。

一つ目は、ホンダ本体で参戦し続けることについて株主の批判をかわすため(本当に株主というのは、社会にとって不利益なことしか言わない連中である)。

次に、F1統括団体のFIAからエンジン開発凍結を引き出すため。今のF1パワーユニットは極めて複雑で、開発に巨額の費用がかかる。誰もがこれを抑えたいというのが本音だった。そこでもし、ホンダ撤退によってエンジン供給元をレッドブルグループが失うと、彼ら自身ではエンジンの開発ができなくなる。レッドブルグループが不利になりすぎるため、エンジンレギュレーション改定予定の2026年まで現行れギュレーション下でのエンジン開発を凍結して戦力の均衡を保たせろ、という言い分だ。これを通すためには、ホンダの撤退という事実を作る必要があった。

結局、ホンダは表向きは撤退するもののF1には関与し続け、その虎の子の知的財産権ももちろんホンダが保有し続けることとなった。

ホンダとしては、名前が出る広告効果を失っても(元々うまく広告として活用できていなかったのだから、あってもなくても同じである。ホンダの広報能力は壊滅的だ。今や舌先三寸だけで車を売ろうとする軽佻浮薄に堕し落ちた日産から、この点だけは爪の垢でも賜って煎じて飲むがよかろう)、技術者育成と技術革新のための実験場としてF1に関与し続けられるならばそれでよし、と踏んだのだろう。

 

2.ここからが本題

早速話が逸れたが、今回書き留めておきたいのは、F1レーサーという極めて特殊な存在についてである。彼らは間違いなくアスリートではあるのだが、その競技に使う道具があまりにも文明的すぎるゆえ、それ以外の側面も持っている。そのような特殊な存在であるF1レーサーの、独断と偏見に満ちた「人物評」の基準を記しておきたい。

F1レーサーに求められる5つの資質

1)一発の速さ

これは予選一周で全てを出し切る、純粋かつ絶対的な速さの能力である。コースのギリギリを攻め、マシンの限界を使い切る能力。要は、純粋なレーサーとしての速さの能力だ。これが求められるのはごく当たり前だし、これ以外に何が必要なのか、と思われるかもしれない。

しかし、これ以外に少なくとも四つの素養が求められると思っている。それが、以下のものだ。

 

2)バトルの強さ

F1レーサーには2種類の人間がいる。速いだけのレーサーと、強いレーサーだ。金を積んでシートを買った一部のペイドライバーを除き、ほとんどのレーサーは速い。これは当たり前に求められる、sine qua nonの条件である。

F1で本当に生き残るために求められるのは、「強いこと」だ。

それを最も端的に表すのが、コース上でのバトルの能力だ。追い抜く能力、追い抜こうとする者を塞ぐ能力。

意外と、この能力がF1界では相対的にそれほど高くなくても、年間チャンピオンになったレーサーは何人かいる。レッドブルで四連覇を成し遂げたセバスチャン・ベッテルや、ブラウンGPで奇跡のチャンピオンとなったジェンソン・バトンなどがそう言えるかもしれない。

前者はとにかく予選一発が早い先行逃げ切り型。彼は、バトル能力を純粋な速さでカバーしたタイプといえる。

後者は、オーバーテイキングショーよりもピット戦術などでアンダーカット、オーバーカットというポジションアップをしていくレース巧者(天候の変化に合わせたタイヤ選択もうまい)。彼は、バトル能力を後述の「3」の能力でカバーするタイプだ。

 

3)レース戦術の遂行能力

これは、派手ではないが重要な能力だ。ピット戦術など、チームの戦術担当が組んだプログラムを遂行したり、想定外のハプニングが生じた際にその場で最適のドライビングをできる能力だ。

例えば、10秒先を走るライバルがいたとしよう。こちらのタイヤは摩耗してきていて、このままでは引き離されるばかり。ライバルは後10周はそのタイヤのままで走れる。そこで、一度トータル40秒かかるピットインをして先行を許し、新品タイヤに変える。ピットアウトした後で、ターゲットのライバルとの50秒差ができる。そこから、 新品タイヤで1周当たり 1秒ずつ縮めていき、10周重ねるとライバルは同じく40秒のピットインをハズだする。ライバルがピットアウトした時に、コース上で自分が横に並んでいれば、新品のタイヤよりさらに適度にタイヤが温まっている自分が勝てる。

これが、単純なレース戦術の例だ。この戦術に合わせて、正しくマシンをいたわり、攻めるところは攻めて、全体のペースをコントロールする。これが、レーサーには必須の戦術遂行能力だ。ルイス・ハミルトンマックス・フェルスタッペンは、同じF1レーサーの中でもこの能力が群を抜いている。驚異のハイペースで走る局面から、バッテリーにチャージをかけるモード、タイヤを労わるモードなど自在にレースを支配する。バトンも、この能力に長けていた。

 

4)マシン開発能力

F1レーサーは、マシンの最高のセンサーでもある。レーサーからの的確なフィードバックがあって、マシン開発は正しい方向に進む。いい開発能力を持つドライバーを持つチームは、それだけ開発が進みやすい。しかし近年、F1では実走テストが大幅に規制されているので、この能力の持つ影響度は限定的かもしれない。最近は風洞のみならず、空力シミュレーターなどあらゆるシミュレーション技術が進み、実走テストの不足を補っている。

だが見方によっては、実走行の機会が少ないからこそ、的確な指摘ができるレーサーの存在は貴重とも言える。フィードバックできるレーサーの声がマシン開発に反映されるため、マシンはそのレーサーにとって扱いやすい方向に進化を遂げていく。

フェルスタッペンは、間違いなくこの能力にも長けている。F1界では技術オタクとまで言われている男である。かつてのレーサーでは、佐藤琢磨もそうだった。彼の僚友だった前述のジェンソン・バトンは、どんな車でも速く乗りこなす一方、センシティブな技術的指摘は得意ではなかったとも言われる。

他にも、スロットルペダルの踏み込み幅がわずか2センチ(!)と言われた「精密機械」、1997年F1チャンピオンのジャック・ヴィルヌーヴなども、精密センサーのようなフィードバック能力だったとされる。対照的に、元フェラーリドライバーで年間チャンピオン寸前まで行ったフェリペ・マッサなどは、テスト走行時にタイヤの違いの判別も怪しかったなどという逸話もある。

アレクサンダー・ヴルツというドライバーは、レギュラーのF1レーサーとしては絶対的に速さが足りず(ライバルから 1秒落ちはザラ)、レーサーとしては大成しなかった。しかし、マクラーレンやウィリアムズなどの名門で、優勝マシン開発請負人として、レギュラードライバーより高いサラリーを得ていたという。同時期に皇帝ミハエル・シューマッハーのマシン開発を担ったフェラーリの名テストドライバー、ルカ・バドエルなど、2000年代のF1は個性的な能力が多かった。

 

5)リーダーシップ

意外かもしれないが、F1でチャンピオンになる、あるいはその地位を維持するために最も必要な能力は、これかもしれない。

F1とは、チームスポーツではない。行ってみれば、「エンジニアリング・スポーツ」である。数百人の技術者が、トラック上でコンマ 1秒の凌ぎを削るレーサーのために、全てを捧げる。その技術者たちが「この人のためにこそ」と思えるレーサーでなければ、チームはうまく回らないだろう。

その良い例が、ミハエル・シューマッハーと、フェルナンド・アロンソだろう。

ミハエルは、毀誉褒貶の激しい人物である。時として極めて危険な走行をして、ライバルをあわや大事故というところに追い詰める危険なドライバーでもあった(1997年には、ヴィルヌーヴへの危険行為で年間ポイント剥奪をされた)。しかし、フェラーリ内部で共通する彼の評価は、彼のカリスマ性だ。全ての技術者とフェアに接し、名前を呼び、談笑しあった。あたかも戦場で兵卒と寝食を共にする名将のようなものだ。そんなフレンドリーでフェアな、一人一人のエンジニアにまで名前で呼んで接してくれる史上最強のレーサーがいたら、技術者はどう思うだろうか。彼のために全てを尽くそうと、揺るがぬ「忠誠心」を持つだろう。

アロンソはどうか。端的に言って、彼には人望がなかった。確かにルノーで二連覇を果たし、ミハエルに引導を渡した。しかしその後、マクラーレンではルイス・ハミルトンと険悪な関係となり一年しか保たず、フェラーリではついぞ年間チャンピオンに返り咲くこと叶わなかった。その後、かのマクラーレン・ホンダに参画してホンダエンジンが思うに任せぬと見るや、わざわざ鈴鹿日本グランプリの走行中の無線通信で「GP2エンジン !」と酷評したのである(これは、タイムが出ない原因をマシンではなくホンダのみに押し付けて、ホンダからルノーにエンジンを乗り換えるためのF1村向け、およびマクラーレンのスポンサー向けの政治的行動と評価されている)。権謀術数を弄しすぎる嫌いがある。偏見に満ちた言い方だが、彼の言動はあたかも、日の沈まない帝国であった頃のスペインの国王のような傲慢さを感じさせる。朕が至高であり、朕にかしづくのは下々の義務である、と。(どうでもいいが、心なしかアロンソの面立ちは、歴代のハプスブルクの王たちが持っていた遺伝的特質–大きな目としゃくれた顎–と似ている)

逆に、レーサーを大切にしないチームもある。よく言われることだが、凋落した名門ウィリアムズなどはそうかもしれない。1996年デーモン・ヒル、1997年ジャック・ヴィルヌーヴと、年間チャンピオンを獲得してドライバーの発言力が上がるとみるや契約を切って放出し、代わりを補充しようとする。80年代後半以降のホンダ第二期F1参戦期の頃から、こうした使い捨てに定評のあるチームだった。技術者をも使い捨てにする傾向があった。ホンダ自身もそうした使い捨てにあった当事者である(捨てる神ウィリアムズと袂を分かった後で、拾う神マクラーレンと組んで、無敵の黄金時代を築いたのだ)。以上の不義理が祟ったか、近年はF1界に見限られたかのように凋落した。そしてもはや、誰も彼らを助けようとはしていないのである。

 

以上が、私が考えるF1レーサーに必要な素養である。

現在最強のレーサーは、間違いなくマックス・フェルスタッペンおよびルイス・ハミルトンだろう。彼らだけが、F1の中でもさらに上の「F0.5」ともいうべき異次元の存在だ。

そしてこの二人には、上記の全ての能力が備わっている。

さて、以上のような観点からレーサー一人一人を見ていくのも一興である。

今年は誰が活躍するのか。誰が化けるのか。

どうなるか見てみよう。