両脇にあるのは仏道に帰依した梵天と帝釈天であり、日本でよく見る釈迦三尊像(釈迦如来、普賢菩薩、勢至菩薩)と異なる。
地方と時代から、大乗仏教のものか。
如来が簡素な僧衣をまとうに対して、菩薩は王侯の衣装を着て表される。
弥勒菩薩と推定される。
フロアが変わって、15世紀ころのイランの食器である。
他にもトルコのものも見られる。
知らなかったが、イランなどではこうした人を描くことが許されていたようである。
アラブの文化圏では、肖像描写は偶像崇拝につながるとして忌避され、アラベスクなどの抽象的文様が大成した。
トルコも、ある程度具象的な表現が行われていたようである。実際に、スルタンの肖像画もある。
トルコやイランなどは、一般的に抱かれる政教一致体制などと違い、ある程度世俗と宗教の折り合いをつけて社会が営まれていたようで、非ムスリムでも政治や軍事に参画している。特にオスマントルコ帝国は、「たまたまスルタンがイスラームに帰依するトルコ系」というだけで、イェニチュリや後宮はキリスト教徒など雑多にいたようである。
再びフロアが変わって、東南アジアの文明である。
南伝仏教、総じてパーリ語で伝えられたことからパーリ仏教、においては、どうも釈迦三尊は、釈迦、観音菩薩、般若波羅蜜多菩薩というものらしい。
白毫がない。
カンボジアのものという。
タイのもので、これも白毫はない。
ガンダーラには螺髪ではないウェーブした髪をまとめたスタイルのものも多い。螺髪が表現されるようになったのは、インドでも2-3世紀以降とのことという。
日本の仏像が時代によって表現に幅があるといえども、ここまで大きな変化はなく、この国の文化が、受容したままの状態を相当程度墨守してきたといえる。換言すれば、非線型的なまでのレベルでのクリエイティビテイには乏しいといえるかもしれない。