手軽な一揆の起こし方

エセ評論家の生活と意見

東京国立博物館 本館

四天王像

東京国立博物館は、5棟ほどの建物があり、午前中の3時間ほどではごく一部しか廻ることができない。

今回は、ひとまず本館1階と、東洋館の一部だけを見た。

館内の収蔵品は、外部からの寄託品の一部を除いて撮影可で、そこは西洋美術館と同じだ。

欧州の美術館は撮影も模写も当然OKのため、こうした流れはもっと、特に国公立の美術館には広がらなければならない。

写真は、博物館収蔵の四天王の一角である。

仏像の収蔵に関しては、京都と奈良の博物館の方が圧倒的に豊富である。とはいえ、一つずつの寺に行くのではなく、いくつもの時代の仏像を並べて見られることで、時代ごとのトレンドの変遷がわかってありがたい。

写真のものは平安中期から後期の作とされる。同じ展示室内の撮影禁止であった鎌倉時代の四天王像と比べて、表情が穏やかである。鎌倉期に入ると、表情が激しく、よりエンターテインメント性が増した=ケレン味が増したような感じがある。

 

ヤコウガイ象嵌を施した鞍で、江戸期のものとされる。

漆塗に剥離が見られる。

精緻な手仕事で、鞍掛で見えなくなる部分にも装飾が施されている。

 

蒔絵文箱

これも江戸期のもの。蒔絵の装飾が金と銀の二色刷りとなっており、また引出しと枠の隙間、ズレなどもほとんどなく、精密で高品質なのがよくわかる。

 

山伏が修行時に、中に仏像を安置してこれを背負ったという。

頑丈にできているようだがそれゆえに重量もありそうにみえる。これを背負って、現代的な装備もなく、戸隠や熊野のナイフリッジのような馬の背を渡るのだから、安全性は全く担保されていない、命がけの修行とわかる。

 

小桜黄返威

平安末期の甲冑の昭和の復元品。

原品は12世紀のもののため、ちょうど保元・平治の乱から治承・寿永の大乱に到る動乱の時代のものらしい。

帷子をつなぐ紐を縅(威とも、おどし)という。この柄が、黄色地に小さい桜をかたどったもので、これをもって小桜黄返威(こざくらきがえしおどし)という。

平家物語など軍記物では、よく登場人物のまとった装束に言及し、人物描写のための小道具として用いられる。義経の甲冑はこれを真紅に染めた紅縅、義仲は萌黄色に白、深紫をあしらった唐綾縅をまとったとされる。

 

太刀 長船兼光

備前、相模、山城、大和、これに美濃を加えて、五つの名刀の生産拠点を五ヶ伝と呼ぶとのことである。

写真はその一角、備前長船の銘・兼光である。南北朝期の作とされる。

平安末期から南北朝期などの中世中期までは、騎兵は馬上での戦闘が中心であったとされる。

太刀は馬上からの斬撃を念頭に作られるもののため、刀より刀身が長い。

太刀は鞘に入れ、刃を下に向けて帯で吊るす。これを太刀を佩く(はく)という。

後世の中世末期から織豊政権期には、太刀より短い「刀」が主流となる。刀は、歩兵戦闘で敵のとどめを刺す(首級を切り取る、あるいは携帯品を略奪する)ため、他には槍が折れた際の予備の武器としての使用が主だったようである。

刀は、予備的武装のため、刃を上に向けて鞘に入れて腰帯に「差して」持つ。

少数兵力による馬上戦闘から、大規模兵力による歩兵戦闘に移っていく中で生じた変化である。

 

アイヌの装束

江戸期以降のアイヌ琉球の装束や生活用品もある。

樺太ウィルタチョウザメ皮の巾着

ここら辺の展示はかなり駆け足で、日本列島の北方南方の自然環境及び文化の多様性、それを勘案した歴史理解というには惜しい。

東京国立博物館本館

本館の展示を見るにつけ、東京という都市の、もはや江戸を継承する都市というよりも、大日本帝国の帝都であった都市としての側面を強く印象付けられる。

仏像彫刻なども、寄託品ではない収蔵品は、明治政変(よく言えば明治新政)の後の少数派の勝利者たちが、暴力的あるいは非暴力的に日本国内外から収奪したようなきらいがある。

山県、伊藤、大久保などの名も解説文の中にちらほらみられる。

こうしたストーリー、その博物館がなぜそれを収蔵し、陳列しているのか、という経緯をどう扱い、どう見せるのか。

これは、博物館の自己認識の問題でもあり、さらにはその博物館が存在する都市の性質をどう捉えるかに関するものでもある。

展示された客体を鑑賞させるにとどまらず、展示する主体である博物館が、その客体にいかに関与し、来場者にどのような文脈を見せるのか、という点は大事であろう。

展示物という単なる客体と鑑賞者の対話だけであれば、展示物は博物館における展示に到る経緯という文脈から切り離され、一個独立のものとして存在するに過ぎない。しかし、展示されているからには展示者の存在とその意図が働いているわけである。

なぜそこにそのものが収蔵され展示されるのかという、展示者、展示物、鑑賞者の三者の対話がなされることが、現代的な博物館の意義といえるのではないか。

展示者側の自己認識、自己規定は、唯一でなくともよいだろう。一人の展示者=博物館の中にも、様々な側面と性質がある。その一つに、かつての帝国主義の遺物としての19世紀的な博物陳列というものもあろう。同時に、それに対する批判的認識もあろう。

こうしたものをより前面に押し出して、博物館自身が自らをどう認識し、それの基づいていかに展示するのか、というストーリーを、より分かりやすく、詳しく見せるべきであろう。

それはすなわち、歴史全体を、博物館が置かれた都市自体を、どのように捉えるのかという、より高次元の問いに応じることである。

本館出口から見る上野公園、東京の遠景、曇り