1.江差町へ
羊蹄山麓から道南に行くのは難しい。
函館まででも3時間かかる。距離200キロ。
それが、同じ渡島半島西部の松前ともなると、行くのはさらに骨が折れる。
距離250キロ、直行しても4時間となる。
なかなか行く機会がなかったが、3連休があったので行ってみた。
まずは、太平洋側の長万部、八雲町と南下してから西へ、渡島半島を横断して日本海側へ。
朝7時過ぎに出て、江差町手前の乙部町、シラフラ海岸に着いたのは10時半。
イギリスの白い岩壁に似ている、と言われる。
この岩壁が連続するのはほんの数百メートルだが、ここら辺は断層が剥き出しになったところが多く、その全てが白い砂岩質である。
因みにイギリスの白い岩壁は、ギリシャ語でのブリテンを指すアルビオン、ラテン語のブリタニアの語源となり、共に白い土地とかいう意味だったように記憶している。
今回は、Z6, D7500の2台と、レンズ7本を持って行った。
普段出張だとMFT機ばかりで撮れる写真にも限界があるが、車移動の私用の旅行であれば制限がないのでいい。
上がうちのニコンシステムの中で唯一のサードパーティー製、かつ唯一のマニュアルフォーカスレンズであるVoigtlanderで、下がニコンの単焦点で撮ったもの。
こちらはニコンの20mmで撮った。
基本的に星景撮影用にしか使わないが、こうしたアオリ角のある撮影には超広角が相性がいい。
続いて江差町に着く。
ここは今回の目標地点ではなかったのでささっとみただけだが、松前藩時代の道南の三湊に数えられただけあり、商家や開陽丸の復元された博物館、古い街並みを再現した通りなどが整備され、見応えがある。
次回、出直そう。
大きな堂宇で、北海道ながら本州の古い街と同じ雰囲気が感じられるのが、道南の特徴である。
日本という国名の他に、文化圏を指す言葉としてあえて「和の国」というならば、奄美・琉球などの南西の島嶼とこの北海道を除いた地域をそう呼ぼう。
道南には、北海道でありながら「和の国」の気分がある。
祭りの日で、写真の門前に比べて市街地はより賑わっていた。門前はひっそりとしていたが、街の景観が統一されていた。
本州であれば旧街道筋の街並みとして、よくみられるものかもしれない。
しかし、それを北海道で見られるということは、衝撃的である。
登別の時代村のようなテーマパークなどより、こちらの方が値打ちがある。
2.上ノ国
中世の道南と本州北端の交易を支配した安藤氏の居城、上ノ国の勝山館に行った。
江差から6キロである。
安藤氏が南部氏に追われて衰退した。蝦夷に本拠を移したのち、さらに蠣崎氏に主導権を奪われた。中世が終わる頃に、蠣崎氏による日本海側の交易の中心も上ノ国から松前、江差に移った。
「アイヌと和人の戦い」とされるコシャマインの戦い、シャクシャインの戦いなど、日高の平取などと、道南の地域で若干表現が異なる。
ありていに言えば、道南の方が表現が和人寄りのニュアンスがある。
ここでは「シャクシャインの乱に辛くも勝つことができた」などと書かれている。しかし、おそらくこの地域以外であれば、蠣崎氏による騙し討ち、謀殺という点は必ず指摘されるはずの点である。
勝山館は中世末期まで機能していたようであるが、築造技術はおそらく、織豊政権以前のもの程度であろうか。
一乗谷(朝倉)、月山富田(尼子)、吉田郡山(毛利)、春日山(長尾)などの戦国初期の諸城と土木技術的には似ているか、それ以前のもののように見える。
城郭の大きさは上記比較対象とは比べ物にならぬほど小さい。
この地の生産力、人口支持力が、限界を画していたのであろう。
眺望は抜群で、それゆえに風も遮るものがなく、風力発電が盛んである。
江差などに限らず、北海道の西側日本海岸は、渡島半島から積丹半島の付け根まで、すべからく風車が並んでいる。
これだけ並べても発電量がまだ足らないのだろう。
再生可能エネルギーでは、余剰と不足の調整が困難と聞く。
いいかげんちゃんと蓄電することを考えたらどうか。
余剰電力など、電極を水に突っ込めば簡単に水素=電気エネルギーの運搬体が得られるわけで、いくらでも貯蔵できそうに思うが。
そんなことをやるよりも原発を動かしたいのだろうか?
昔は勝山館であった丘陵は、現在牧場であり、かつ風力発電施設である。
しかし厳密には、牧場区域と発電区域が分かれていた。
畑や牧場と牧場を一体化してしまえば、土地の利用効率も上がるように思うが、メンテナンスのうえで不便でもあるのだろうか?