翌日の会津若松市は雨だった。
宿は南会津町の芦ノ牧温泉だったので、そこから再び若松市内に向かう途中に社があったので撮った。
こういう田んぼの中の社と鎮守の森(というには小さいが)や、古墳の後の森などがあるのが本州である。
日本に帰ってきた感じがする。住んでるのも日本だけど。
武家屋敷を移築・保存している博物館があった。
それなりに面白いのだが、鶴ヶ城天守の資料館にしてもここにしても、どうも物足りない。
なぜか?
歴史ドラマ的な展示が多すぎるのである。
私は変態なので、その土地の古代中世近世にかけての経済交流の歴史、民俗、政治史などの玄人向けの歴史資料を見たいのである。
しかし、会津若松は特に戊辰戦争を始め、おためごかしとは言わんがお涙頂戴(というのも当事者には申し訳ないのだが)の脚色された歴史物語が多すぎる。
自然、そうしたドラマの展示が多くなる。
歴史は"history(物語)"ではなく「歴史(過去の記録)」であると考えている私からすると、食べる前から食傷する内容であった。
去年訪れた平泉の展示も、義経と松尾芭蕉が多かったが、きちんと考古や歴史の展示もあった。
会津若松では、福島県立歴史博物館が唯一、そうした展示を中心に見ることができる施設であった。
しかし、都市の形成過程や経済交流などについては、新潟市歴史博物館や小樽市歴史博物館などの方が力が入っていて面白かった。
酒蔵の喫茶店はよかった。
敷地内にクラッシックカメラ博物館という、当主の趣味としか思えない博物館もあったが、時間の関係上省略した。
会津若松は、末廣酒造の他に初日に行った菓子司會津葵もそうで、主人の趣味で作ったコレクションの博物館がいくつかある。
こういうのも文化人の嗜みなのだろう。
それをやる土壌があるというのは、文化都市としていいことだと思う。
帰りは、レンタカーで猪苗代湖畔を半周してから東に取り、郡山に至って新幹線で京都まで帰った。
ここの写真はない。
ファインダーをのぞくのもつかれたし、肉眼でよく見ておくのも必要だからである。
会津若松は、東北、あるいは日本でも有数の文化的な町であったことはわかった。歴史ドラマに傾倒しすぎるのはちょっとアレだったが、全体としてよい町であった。