1.トラピスト修道院
松前を出て、木古内の新幹線駅前のクラッセ・インというビジネスホテルで一泊した*1。
共同浴場があったのはよかった。
部屋のタオル類の数が少ないのは不便だった。
雰囲気は東横インなどと同じくらいである。
ホテルの布団は分厚いもので、夏には暑苦しすぎる。
今までエアコンの温度を下げて布団をかけて寝るなどし色々試したが、喉にも悪いので苦慮していた。
今回は試しにエアコンを切って布団をかけずに寝たら、割と寝やすかった。
館内空調が部屋とは別にあるため、部屋のエアコンをかけなくとも極端に暑くはならないようである。
新幹線駅の駅前に道の駅があり、しかも道の駅にしては駐車場がやけに少ないという絶妙の都市計画をしていた。
道の駅のレストランで食べた夏野菜の冷製パスタは美味しかったが。
翌日は曇り、というか海沿いゆえにシケであった。
数年前に函館に行った際に、遠くて行けなかったトラピスト修道院に行った。
函館市内のトラピスティヌ修道会(尼修道院)と対をなすもので、こちらは内部非公開である。しかし、外部の景観はこちらの方が良い。
フランスのシトー修道会系の修道院らしい。
シトー会といえば、フランチェスコ会やベネディクト会と並ぶ大会派で、特に戒律が厳しいと聞く。
トラピストとは、その中でも最も厳格な最右翼、ノルマンディーのラ・トラップ修道院の派閥を意味するらしい。
門前の展示室で解説を見ていたら、世界中に修道院があるらしいが、本山(?)のシトー修道院にしても、ラ・トラップ修道院にしても、設立が19世紀後半と記載されていた。
確か世界史の授業では、シトー修道会は十字軍遠征の時代に設立されたと聞いていたが、なぜそんなに新しいのか、謎だたった。
Wikipediaで調べたところ、フランス革命で一度潰されたらしい。
その後再興されたのが、現在のシトー会ということである。
フランス革命による歴史の断裂は、どうやら日本の明治期の神仏分離・廃仏毀釈など生易しいと思えるほど苛烈なものだったらしい。
2.蔦屋書店函館
次いで、函館市内に入り、以前から行ってみたかった蔦屋書店函館に行った。
開店がなんと9時と、非常に早い。
TSUTAYA発祥の地の枚方の蔦屋書店には、開店後まもない時期に行ったことがある。その際、すべての本がテーマ別で陳列され、どこに何があるかわからず幻滅したのを覚えている。書店員とは、本のキュレーターである。その書店員が本がどこに陳列されるべきかの意味も考えずに、上っ面のテーマ別で全く検索性のない陳列をしていたのが、非常に残念だった。つまり、検索性の悪さと同時に、テーマ別でやるならば一層研ぎ澄まされるべきキュレーション能力においても、通常陳列の他の大型書店にはるかに劣る状況であったことに幻滅したのである。
函館の蔦屋書店は、文庫、新書がオーソドックスな出版社別の陳列になっていて、検索性が高かった。
他のハードカバーやムック、雑誌などのみ、テーマ別陳列になっていた。
テーマ別にしたいなら、これが正解である。
文庫・新書のみをまとめて、出版社関係なく著者別で並べる店もある。一見便利なようで、著者が共著、編著の場合に行方不明になるなど問題がある。
結局は、文庫・新書に関しては、出版社別の陳列が長年の書店陳列の中で各社が到達した最適解なのだろうと思う。
書棚、出版社の数、レーベルともに、充実していた。
河出文庫は異様に多かった。
講談社学術は、数が少ない。
小樽の喜久屋書店のほうがいい。
筑摩は、学芸、プリマー、ちくま文庫など、各レーベルきちんと十分にあった。
枚方では幻滅したが、函館のは、「これはこれであり」と思えるものだった。
書店を中心にしたショッピングモールであり、中にはコスメ売り場、レンタルショップ、North Face、スタバ、カルディ、ファミリーマートなどが出店していた。文具も、ペリカンやモンブランなどの高級品や、数は多くはないが画材なども揃えられていた。
同じ複合書店として比較しやすいのが札幌のコーチャンフォーだが、これなどよりはるかに「本業」の書棚は充実していたように思う。
もしかしたら、数年前(もう5年以上前?)に行って以来、TSUTAYAお膝元の枚方店も陳列が変わっているかもしれない。
今度行ってみようか。
3.帰路の道中、蘭越の隠れたそば畑
帰路、黒松内で高速を降りて、蘭越のとある道から少し脇に入ると、別天地のような光景が広がる。
かつて牧場だった土地が、一面蕎麦畑になっている。
壮観である。
山に囲まれて外からは容易に見えないが、見渡す限りそばの花であった。
秘密の花園のようで、その外界から孤絶されたような位置が、より衝撃をもたらした。
雲間から陽光が射すのを待って30分ほど撮影してから、40分ほどかけて自宅に帰り着いた。
最後に見た光景が、最も近くの、最も印象深い絶景だった。