1.岡崎
いかにもインスタ映え狙いのスポットで、いかにもな感じが強い。
ここの蔦屋書店はアート系の本を中心に取り扱うとかで、函館のそれのようなフルスペックの書店ではない。そのせいか、陳列も10年近く前に行った時の枚方の蔦屋書店のようにテーマ別で並べられ、検索性が低くわかりにくい。書店員のキュレーション能力が問われるが、果たしてどの程度しっかりできていたのかは詳しくみていないので何とも言えない。
岡崎あたりに来るたびに、平安神宮には寄ろうかどうしようか迷って結局入らない。
素晴らしい庭園があるが、中に入ったのはもう15年以上も前のことだと思う。
2.哲学の道
2年ほど前にも行ったが、再び。
行きやすくて散歩がしやすいところとなるとここら辺になる。
以前は猫がいたが、今回は綺麗な音を奏でるアーティストがいた。
黒い金属製の打楽器で、カリブのスチールドラムみたいな感じのものである。
澄んだきれいな音で、木琴や鉄琴よりも柔らかい音がする。
高音のメロディも低音のリズムも一つのドラムで奏でていた。
ヒーリングミュージックのような感じで、平日の昼前で人が少ない哲学の道では雰囲気的に合っていた。
哲学の道の大豊神社の入り口の橋のあたりで、笹船を作って観光客に無料で振る舞っている人がいた。
他しか、以前ブラタモリでも写っていた人である。
自分で笹船をこしらえて、それを端から疎水に投げるように観光客に振る舞っている。
ただの趣味でやっているので無料で、危ないわけでは全くないが、外国人観光客はかなり警戒していた。
まぁ、日本以外でなら何かのぼったくりだわな、普通。ロスのサンタモニカビーチとベニスビーチの間にあるサンタモニカ・ピアにいる、勝手に人の写真撮っておいて高額で売りつける奴とかの方が、世界的には普通である。
で、世界標準からすれば怪しいが人畜無害なことを知っていた私は、写真を撮らせてもらった。
3.泉屋博古館
京都市内、特に岡崎から南禅寺、北白川にかけては、私立美術館が多い。
京都のこれは、古代中国の青銅器の博物館として有名である。
3000年以上前の青銅器などが多く収集されており、当時の制作技術の高さ、また殷周時代をピークに、春秋戦国を経て青銅器制作技術が低下し、当時のものに戻ることがなかったことなど、非常に興味深い。
2000年以上前に、既に中国は技術水準の衰退というものを経験しているのである。
現代科学文明が未だ経験していない未曽有の事態である。
4.禅林寺永観堂
紅葉のシーズン前の永観堂は、嵐の前の静けさのような状態だった。
永観堂自体いった記憶がなかった。
紅葉がなくとも、庭の手入れの細やかさや、基底にある立体的で視線誘導を計算しつくした均整の取れた美しさは、やはり数々見てきた諸地方の城址や寺社の庭園とは「次元」が違う。
大名庭園などとでは、まず草木の手入れが違う。永観堂などの大寺社の庭園は、明らかに無駄なものがない。
そして、「次元」が違う。
近世の回遊式庭園などでは築山などで立体的な造形をしてはいるが、その「立体感」が全くと言っていいほど違う。
背後に東山を背負っている地形を存分に生かして、深山の古刹という「雰囲気」の演出をしている。
本堂から阿弥陀堂に到る渡り廊下のあたりに、ガラス窓が嵌め込まれたところがある。
敢えて現代のきれいな板硝子ではなく、古く光が屈折するようなガラスが使われていて、これも視覚的な楽しみを提供している。
意匠の一つ一つが膨大な時間と手間のかかるものだと想像される。
仏教独特の極彩色で彩られていた。
他方でこれは演出ではないと思われるが、こうした湿度の高い質感が京都らしい。
これは雪の多い金沢にはない風情である。
東山の中腹まで境内のため、登っていくことに。
永観堂の最上部である仏塔の近くでは、モミジが色づいていた。
葉の間から除く建物は京大病院か?
遠くに西山が見える。
画面左側が蹴上方面、真ん中が京都市中心部である。
蓮がちょうど綺麗に咲いていた。
上越では花が落ちてハスの実ができていたが、こちらは満開である。
ぐるっと歩いて、平安神宮に戻って来た。
永観堂は、11月後半の紅葉のシーズンともなると、東福寺と並んで人の頭しか見えないの混みあいとなる。
浄土を思い描いた庭園が地獄絵図の混雑というのは何の冗談か。
ど真ん中のシーズンを外しても、十分にいいものが多い。
落ち着いて見られるだけ、むしろ時期を外した方がいいのではとさえ思う。
まぁ、京都の近くに足場がある人間だからこそ言えるのだろうが。