1.レッドブル完勝!
昨年の死闘を制したマックス・フェルスタッペンが、シリーズ残り四戦を残して早々に、二度目の年間総合王者を決めた。
全くといっていいほど危なげのないここまでの戦いぶりだ。
嵐のため28周で争われたレースにもかかわらず、マックスは2位以下に26秒差をつけた一人旅。2位と3位をフェラーリのルクレールとレッドブルのペレスが争う構図に。
ペレスに追い回されて辛抱しきれなくなったルクレールは、最終周の最終コーナー130R手前の名物シケインでミスをしてコースオフ、5秒加算ペナルティを受ける。これによって、3位で完走したオエれすが2位に昇格した。レッドブルワン・ツーフィニッシュの完全勝利だった。
18戦を経過して、なんとマックスが12勝、相棒のセルヒオ・ペレスが2勝、レッドブルとして18戦14勝の圧勝ペースだ。
レッドブル、そしてホンダのファン以外からすれば、面白くもなんともない経過だろうが、ホンダファンの多い日本ではさほどそうした論調は強くない。
むしろ、一昨年までのメルセデス一強のつまらなさに7年も苦痛を覚えながら(よく見てたな、と思う)F1をチェックしてきた日本の多くのファンにとっては、「安心しながら勝ちを眺める」という、セナ・プロ時代以来実に35年に及び体感したことのなかった現象に直面して困惑していることだろう。
勝てないチームにいつまでも期待を持ち続ける、あの阪神ファンの多くが陥っているという「共依存症」に飼い慣らされた側からすると、居心地の悪さすらある。
これまでメルセデスを応援していた、単に勝ち馬に乗って盛り上がれる人や、日本ではほぼ小金持ちしかいない少数のメルセデスファンは、今どんな気持ちなのだろうか。他チームが常勝軍団になって、どれほどつまらない思いをするか(しかも絶不調のメルセデスは、今年なんと未勝利だ)、わかったのではないだろうか。*1
ただ、敢えて言うとすれば、共依存症的な病的状態を経たファンにしか、レッドブル・フェルスタッペン・ホンダの三者の、2019年から始まり2021年に勝ち取り、そして今年それを盤石にするに至った、あのサクセスストーリーの麻薬のような溜飲の下がるカタルシスは、絶対に得られなかっただろう、ということだ。
メルセデスファンを煽りたいわけではない。要するに、常勝軍団が抜きん出るシリーズは、いずれにしてもツマラン、ということだ。
今年は、オーバーテイクを増やすために、マシンのフロア下の気流をより活用し、マシン全体を空力オブジェクトとする。テクニカルには正しい方向性だろうが、コンペティティブなシリーズにする、という目標からすると、所詮小手先のレギュレーション変更である。それが証拠に、こうした抜本的な規則変更をやったおかげで、新規則で目指すべき性能目標を見誤ったメルセデスは、マシン開発で盛大にスベッてレッドブルとフェラーリの後塵を拝する「F1.5」になった。
今までのレギュレーションが、もはや不当に、メルセデスに有利に働いていたのは傍から見ても明らかな一面の事実で、それをガラガラポンする、という政治的意味合いでは良い是正の機会ではあった、しかし、毎年複数のチームが熾烈に戦うことを目指す上では、全く意味がない。
2.他のシリーズでは
まず、F1でもようやく始まった開発予算の制限措置だが、これが良くない。
これでは、初めに同じ予算でいいものを作ったチームが独走して、ヒエラルキーが固定されるだけだからだ。
F1のオーガナイザーは金持ちクラブの連中なのだろうが、それゆえに格差是正のための経済政策や社会政策など学んだこともないのだろうか?目を覆うべき知性の高さを披露する米国共和党ならいざ知らず、英国保守党でももう少しマシな政策を提案するだろう。競争力の機会均等という観点からは最悪の施策だ。
例えば、二輪の世界選手権であるMoto GPでは、開発予算の上限を設けながら、下位チームの方が上限を高く設定し、マシンテストの回数も増やせるような規則になっている。こうすることで、ホンダ、ヤマハ、ドゥカーティ、スズキなどが角を突き合わせる戦いを繰り広げている。
予算制限をするなら、これくらいはやって当然だろう。
もっと直截なやり方で、我が日本が誇るスーパーGTでは、ウェイトハンデが有名だ。勝ったチームが次戦でバラストを積んで走る。
アメリカのインディカーシリーズは、こうした目立った平等化の規則はないようだが、マシンのサプライヤーがダラーラ、エンジンはシボレーかホンダと供給が限定されマシン性能差が少なく、さらにオーバルコースでは弱小チームの大逆転もありうることから、これはこれでありといえる。
モータースポーツではないが、NFLでは、シーズン終了後の順位が低いチームから順に有力選手を獲得できる制度などがあるという。
こうした、チームの強化策も含めて「ゲームのルール」にしていかないと、いつまで経っても一強体制が続き、その一強を崩すためのレギュレーション変更をやるという、ただの政治ゲームの繰り返しにしかならない。F1はそこを根本的にわかっていない。
そうした点で、空力レギュレーションの最後の年であり、かつエンジンレギュレーションの凍結の直前=自由開発が許された最後の年であった昨年に、つまりメルセデスの土俵の上で、メルセデスを倒したレッドブル・ホンダの勝利は、本当に意味のあるものだった。
3.ホンダの撤退とは結局なんだったのか
大見えを切って、という言い方は正しくないのだろうが、あれだけ大騒ぎして「F1撤退します。二度と帰ってきません!」といっていたホンダは、今年もフツーにレッドブルにエンジンを供給している。
ただし変わったことといえば、エンジンのブランド名は「レッドブル・パワートレインズ」という名前で、そのエンジンの設計製造管理を一手に引き受けるのが、ホンダの子会社「HRC」という名前になっただけだ。
おそらく、去年まではエンジンをレッドブルとアルファタウリに無償供給していたであろうものが、今年から彼らに「売る」形になったのだろう。
しかも、この日本グランプリからは、今までF1マシンの車体に控えめに「HRC」とだけ貼っていたステッカーすらも、「HONDA」に戻してしまった。
元の木阿弥ではないか。
以下は、あくまで結果論と、それに対する推測だ。
1)『撤退(?)」に至った経緯
これは株主がやいやいいったためである。
株主と言っても、聞き分けのない個人株主のじーさんなどではない。彼らの大多数はおそらく、むしろF1「継戦派」である。
聞き分けがないのは、もちろん機関投資家だ。どうせ大方、メインバンクだろう。
ホンダのIR情報を見るまでもなく、wikipediaを見ればすぐわかるが、筆頭株主は日本マスタートラスト銀行、次席が日本カストディ銀行で、それぞれUFJグループ、SMBC・りそなグループの盟主であるメガバンクの別働隊だ。
その下に米国系の投資ファンドが連なるが、大方この連中がF1撤退派の頭目だろう。
テスラや中国企業などが電気自動車で台頭してくることを考えると、リソース配分を見直すべきなのは確かだ。
しかし、当のF1自体が他の追随を許さぬ高難度のハイブリッド技術の試験場でもあるわけで、そこから2008年の撤退時よろしく、夜逃げ同然で抜けろ、というのはあまりに視野狭窄に失した考えだ。
2)ホンダ側の意図と条件交渉
おそらく、ホンダ経営陣が全てを意図していたとするならば、上記銀行団の圧力を口実にF1撤退をFIAに通告して、実際に外形上は撤退しつつも、その後にF1から得られるものは継続的に得続けるための条件交渉に入ったのではないか。
ホンダが撤退したら、エンジンサプライヤーはメルセデス・フェラーリ・ルノーの三者になってしまい、「世界最高峰のモータースポーツ」が、今でも既にそうだがますます、聞いて呆れる状態になる。
ホンダが撤退を主張して、引き留めようとするFIAから条件を引き出すことはできる。
一つは、2025年までのエンジン開発凍結である。
前々から議論されていた方針だったが、ホンダが撤退すると戦力的に不均衡が生じる、という予測が後押しし、去年雪崩を打って凍結が可決された。2022年の初めのホモロゲーション時点で出来上がったエンジン以上の性能開発を禁止した。
開発凍結が合意なった上で、結局の製造管理はホンダ子会社のHRCがやる、という後出しじゃんけんをして、ホンダがレッドブル勢をバックアップする体制が維持された。しかも、今までタダで供給していたものに、金まで払ってもらって。
ホンダとしては、ロゴが表に出なくなる分存在感は圧倒的に減るが、F1ファンなら皆が知っている公知の事実として、結局ホンダはF1に関与し続けた。
3)予想外の天佑
さらに、ホンダにとっても予想外の幸運が、レッドブルが2026年以降の新エンジンパートナー模索交渉で、ポルシェと交渉決裂したことだ。
ポルシェは、レッドブルチームの株を買収して、労せずしてチャンピオンシップを制覇する算段だった模様だ。
当然、レッドブルチームとしては面白くない。全く面白くない。いつもながら策士のクリスチャン・ホーナーと陰謀貴族ヘルムート・マルコの謀略大好きコンビが動き、ポルシェの傲慢な策動をぶち壊しにした。たとえヨーロッパ人同士といえど、シュトゥットガルトくんだりの田舎者には、F1の権謀術数の世界は荷が勝ったか。これによってレッドブルは、よりホンダに秋波を送るに至って、現在の状況がある。鈴鹿での「HONDA」ロゴ復活である。
ホンダとしては、よりコストをかけずにF1に関与し続け技術的練度を上げていくこと、エンジニアの経験と士気を上げるには、広告的なプレゼンスが下がるのはやむなし、との考えだったが、結局ホンダの名前すら復活してしまったのであれば、広告的にもあまりダメージがないのではないか。
こうして、元の木阿弥よろしく、ホンダが意図したか否かによらず、割と美味しい立場を得るに至っている。ヨーロッパの政治好きのアホが策に走って策士策に溺れ、結果意図していないホンダが自分の地位を高く売れる状況が生じているという、若干笑える状況ではある。