4月1日/北白川
3月末から4月頭にかけてである。
第三波と第四波の端境期(というべきなのか)の緊急事態宣言の間に、ヘビー級の案件対応三連発のため、4泊5日で東京→京都の強行スケジュールの出張があった。
一日目から、
倶知安→千歳→羽田→浜松町→赤坂→麹町→平河町と、ほぼ千代田区内を駆けずり回り、
二日目、
三日目、
四日目、
ここまでの行程で、ようやくすべての案件終了であった。
それにしても、北海道に住むようになってから東海道新幹線に乗ることは当面ないだろうと思っていたら、思いがけず乗ったものである。
幼いころから、住んでいた豊橋→両親の実家のある近畿には、たびたび新幹線で帰っていたし、大学時代の帰省でも使っていた。専らこだま号だったが。
感染防止のため早得割引を使ってグリーンにしたが、いつも以上にゆったりとした車窓から、住まなくなった「他者」の目で改めて見る東海道の景色は、旅情とかつて住んだ親しみのない混ざった不思議なものであった。
年を経るごとに「改良」され、どんどん味気なく、利益率の高いほうへとひた走っていく無機質な鉄塊からの車窓が、どうやら自分にとっての心の原風景のようである。
南の海からさす太陽の光に照葉樹の葉と川面が照らされる、少し乾燥して風の強い、埃っぽい青空と緑のきらきら光る風景が、東海の光の色のように思える。
この風景は、あくまで主観だが、関ヶ原を経て切り替わる。
太平洋からさす太陽が、いなくなるからかもしれない。
下り新幹線の右手車窓から琵琶湖を望むに至って、少しだけ温度の低い、少しくだけすんだ、少しだけ湿度の高い風景になる。
そうして訪れるのが、京都である。
人の少ない春の京都は、今まで見たことのないほど桜が咲き誇っていた。
私が大津に住んでいたころは、京都にもしばしば出ていた。しかし思えば、桜満開のシーズンはわざわざ混雑する街中への外出を憚っていた。桜咲き誇る京都、見たことがないのも不思議はない。
車でしか行けない北山や周山、あるいは滋賀県の山奥の古刹にも美しい桜が咲く。どちらかというと、そういった混雑しにくい場所ばかり選り好みしていた。
不思議なもので、京都や滋賀、あるいは近畿や東海が自分にとって他者になったとたんに、旅行者(=他者)が最も訪れたい京都に、それも人いきれに煩わされずに、出くわすことができたのは僥倖であった。
京都市内でも、北白川はほとんど知らない地域だった。
用がないからである。
琵琶湖疎水がこちらに伸びていることすら知らなかった。
今後掲載する予定の祇園界隈も然り。
学生時代からの友人と、冷やかしに数回ぶらついたことがある程度である。
それにしても、私にある程度土地勘があること、平坦で散歩に最適であることを差し引いても、この町ほど散策にうってつけの街は、なかなかない。金沢などより大きく多様性に富みながら、大阪よりはコンパクトで、さりながら交通網はそれなりに発達している。こうした客観的な根拠づけもできよう。
しかし、この町が散策をそそるのはやはり、ほぼ1000年かけて徐々に姿を変えながらも、ここ400年間戦火を経ずに積み重ねられた歴史が醸す薫りだろうか。
学生時代や昔の職場、あるいは司法書士同期の友人と、あてどなくぶらつき、よく行く古い喫茶店(何時間でもだべっていられるタナカコーヒや、器の美しさに惹かれる珈琲蔦屋、安定のパパジョンズなど)で茶でもしばき、本屋に立ち寄り、通りすがりの美術館で特別展でもあれば冷やかし(かなりいい展示でも不思議とあまり混雑しない)、またぶらついて少しばかり酒をなめ、飽きずに社会・政治から科学や文芸まで放談を重ねる。
暇な学生のような行動パターンだが、社会人になってからもたまに、京都にいればなぜかだかこうなってしまうし、ここだからこそ味わえるよさである。
早くまた、彷徨できる日を取り戻したいものである。