1.スコア
1.アニメーション技術面 | 56 | 60 | |
1)キャラクター造形(造形の独自性・キャラ間の描き分け) | 8 | 10 | |
2)作り込みの精緻さ(髪の毛、目の虹彩、陰影など) | 8 | 10 | |
3)表情のつけやすさ | 10 | 10 | |
4)人物作画の安定性 | 10 | 10 | |
5)背景作画の精緻さ | 10 | 10 | |
6)色彩 | 10 | 10 | |
2.演出・演技 | |||
声優 | 165 | 170 | |
1)せりふ回し・テンポ | 10 | 10 | |
2)主役の役者の芝居(表現が作品と調和的か・訴求力) | 10 | 10 | |
3)脇役の役者の芝居(表現が作品と調和的か・訴求力) | 9 | 10 | |
映像 | |||
4)意義(寓意性やスリル)のある表現・コマ割り | 9 | 10 | |
5)カメラアングル・画角・ボケ・カメラワーク | 10 | 10 | |
6)人物表情 | 10 | 10 | |
7)オープニング映像 | 8 | 10 | |
8)エンディング映像 | 9 | 10 | |
音楽 | |||
9)オープニング音楽 | |||
作品世界観と調和的か | 10 | 10 | |
メロディ | 10 | 10 | |
サウンド(ヴォーカル含む) | 10 | 10 | |
10)エンディング音楽 | |||
作品世界観と調和的か | 10 | 10 | |
メロディ | 10 | 10 | |
サウンド(ヴォーカル含む) | 10 | 10 | |
11)劇中曲 | |||
作品世界観と調和的か | 10 | 10 | |
メロディ | 10 | 10 | |
サウンド(ヴォーカル含む) | 10 | 10 | |
3.ストーリー構成面 | 70 | 70 | |
1)全体のストーリー進捗のバランス | 10 | 10 | |
2)時間軸のコントロール | 10 | 10 | |
3)ストーリーのテンションの保ち方のうまさ(ストーリーラインの本数等の工夫等) | 10 | 10 | |
4)語り口や掛け合いによるテンポの良さの工夫 | 10 | 10 | |
5)各話脚本(起承転結、引き、つなぎ) | 10 | 10 | |
6)全体のコンセプトの明確性 | 10 | 10 | |
7)各話エピソードと全体構造の相互作用 | 10 | 10 | |
291 | 300 | 0.97 |
得点率97% SSランク
SSランク・・・95%以上
Sランク・・・90%以上95%未満
Aランク・・・75%以上90%未満
Bランク・・・60%以上75%未満
Cランク・・・45%以上60%未満
Dランク・・・30%以上45%未満
Fランク・・・30%未満
2.総評
1)語りの視点
主人公・後藤ひとり(ぼっちちゃん)の視点からの語り。
2)ストーリーラインの本数
ぼっちの主観の一時系列で展開。
3)時間の流れ
各エピソードをピックアップしてミメーシスで描く。
3.感想
1)全世界のぼっちに刺さるエレジー(?)
個人的に刺さりまくる作品だった。
思えば、子供のころ、特に小学生時代はほぼ意識不明状態であった記憶しかなく(要は記憶がない)、高校生の頃もかなりあやふやである。
学校生活が楽しくなかった私のような陰キャにとって、主人公の「ぼっち」の在り様はほぼ我がことである。
ぼっちの、作中で頻繁に訪れる意識不明状態や錯乱状態を見るにつけ、きっと自分も精神状態的にはこういう感じだったんだろーなー、と痛く共感した次第である。
2)概略
この作品のあらすじとしては、コミュニケーションが苦手で学校になじめず友達ゼロの主人公・後藤ひとり(通称ぼっち)が、中学1年のときに見た音楽番組がきっかけで、「ちやほやされたいから」とギターを始め、猛練習の末高校一年生にしてプロ並みの演奏技術を手にするも相変わらず友達はできず、しかしある日下北沢のアマチュアバンドのリーダー・虹夏にギターを背負っていたところを呼び止められ、行きがかり上助っ人でライブ出演を果たして(しかし人前に出られないことから、全身完熟マンゴーの段ボールをかぶって出演)からそのバンドに参加するようになり、少しずつ世界が広がっていく、というような話である。
話としてはよくある成長譚・サクセスストーリーなのだが、この作品の特徴は、なんといってもぼっちのヤバさである。
3)後藤ひとり(ぼっち)というヒロインのヤバさ
見よ、この我々陰キャの心を抉るような生々しい描写を(笑
奇跡的にバンドに誘ってくれた子(虹夏)から、そのバンドのホームであるライブハウスStarryでのバイトに誘われた際も、気が弱いゆえに断り切れずうなずいてしまったぼっちは、バイトを休むため氷風呂に入って風邪を引こうとする。
また、バンド仲間からSNSを始めてみたら?と勧められたらそれだけで・・・
自分がインスタ(作中ではイソスタ)など始めようものなら、友達がいないがゆえにアップした写真にいいねをつけてもらえないことへの鬱屈で余計に沈み込み、末にとんでもない事件を起こしてしまうのではないかと過剰に心配し、そうした自分が恐ろしくなって発狂するのである。
とにかく、ぼっちは想像力が豊かである。
4)この作品の強さの源
そんなぼっちに手を差し伸べる人たちがいる。
彼女が加入した「結束バンド」のメンバーや、人気インディーズバンドのベーシスト・きくりさん達である。
ところで、この作品のポイントは、以下の点をきちんと押さえていることである。
1,ぼっち自身が、何年も一日六時間以上わき目もふらずギターを練習して、実力を獲得してきた
2,ぼっちが勇気を出して小さな一歩を踏み出すことが、人とかかわるきっかけになった
3,ぼっちに手を差し伸べる人たちも、ただ無根拠に優しいわけではなくて、彼女の才能を認めて、彼女の踏み出そうとする一歩を後押ししている
4,ぼっちを支える人たちは、それなりにぼっちに対して厳しい(笑
つまり、ぼっちには正当に評価されるべき実力があるし、少し大げさに言えば「幸せになる権利」があるのである。
引っ込み思案で怖がりのぼっちがなかなか踏み出せなかった「陽の当たる世界(明るい世界)」に、時にやさしく、時に厳しく導く人たちが描かれる。
5)「けいおん!」から「ぼっち・ざ・ろっく!」へ
ここに、14年近くも前の大ヒットバンドアニメ「けいおん!」が持っていた、ひたすら「優しい世界」のなかで癒しを求める作風とは全く異なった、あるいはその次のステージを明確に示す、アンサーとしての「ぼっち・ざ・ろっく!」の意義があるように思う。
(ちなみに、「けいおん!」も「ぼっち・ざ・ろっく!」も同じマンガ雑誌「きらら」の作品である)
以前の記事でも言及したが、「けいおん!」は京都アニメーションの人間性の再獲得(ある意味でルネサンス)のプロジェクトの途上の作品で、そこではひたすら無菌室のような緩やかな世界の中でゆっくりと時間を過ごすことが描かれた。
優勝劣敗の世に疲れたヲタクどもの避難シェルターのようなものであった。
京アニはその後、「氷菓」を経て「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」に到るまでの長いルネサンス運動の道のりを歩んだわけだが、「ぼっち・ざ・ろっく!」も期せずして、こうした運動と似たベクトルをもっているように思う。
「優しい世界」から「陽の当たる世界」へ、といったところである。
6)ぼっちを取り巻く、あまり優しくない世界
ぼっちを取り巻く人たちはみな優しいが、同時に彼女への愛ゆえに(笑)厳しくもある。
バンドリーダーの虹夏は、やれ店でバイトしろ、ライブやるためにチケット最低何枚売ってこい、などと、コミュ障陰キャにはしょせん無理な要求をさらりとする。
ベーシストのりょうは、喫茶店で一緒に飯を食った後で、金がないからと支払いをぼっちにたかる(既成事実)。
別の人気インディーズバンドのリーダーきくりは、チケットノルマに途方に暮れるぼっちに泥酔状態で絡んできて、その場のノリで無理矢理ぼっちと路上ライブをやりはじめようとする。
完全にアル中のやべぇ奴である。
しかし、皆とかかわる中で、ぼっちは少しずつ自分が恐れていた世界に足を踏み出し、少しずつ強くなっていく。世界には、自分を見てくれる、受け入れてくれる人たちがいることに気づく。
この作品は、「優しい世界」に安住する物語ではなく、「自分はこの世界にいても大丈夫だ」と知っていく物語である。
世界は無菌室ではないし、閉じた優しい世界にはいつまでもは居続けられない。
世の中は厳しいし、ぼっち自身も無条件に認められているわけではない。たゆまない努力に裏打ちされたギタープレイの技術と、毎回負の想像力を爆発させながらもアルバイトをしてみたり、ライブに出てみたりして、世界に関わっていこうと努力している。
だからこそこの作品は、予想外に多くの支持を獲得し、2022年秋アニメで最も国内再生回数が伸びたのであろう(あの大作「チェンソーマン」などを抜いてである)。
この作品は、間違いなく、「けいおん!」などの「麻酔系」から次のステップへと進んだ、面白くも愛おしいぼっちをコミカルに描きながら、見る人を奮い立たせる「覚醒系」コンテンツであるといえる。
漫画原作ストックは十分にある。
昨年夏の大ヒット作、リコリス・リコイルと並んで2022年を彩った代表作である今作も、次回作が期待される。