※注意:以下アニメ版のネタバレがあります。
1.アニメ「推しの子」
久しぶりにアニメの話題。
今季は良作が多いが、話題性や完成度などあらゆる面でブッちぎっているのが、「推しの子」だ。
主人公の一人である若手産婦人科医のもとに、16歳の人気上昇中アイドル「アイ」が診察に来る。妊娠していた。
彼女は極秘裏に子を産む決意をし、医師はそれを支えた。
出産当日、なぜか極秘出産の事実を探り当てたアイのストーカーに、医師は刺殺されてしまう。
いまわの際に朦朧とし、意識を失って次に見た光景は、アイの双子の子の一人として生まれ変わった自分を覗き込むアイだった・・・
共に生まれた双子の妹は、かつて医師自身が研修医の頃に担当し、治療の甲斐なく亡くなってしまった少女(アイの大ファン)の生まれ変わりだった。
アイは出産後も活躍を続け、20歳で自らの率いるアイドルグループの東京ドーム公演に漕ぎ着けるが、その直前、件のストーカーの凶刃に倒れ、命を落とす。
ここまでの衝撃的かつてんこ盛りな内容が、90分拡大放送がされた伝説の第一話のストーリーである。
第二話以降、アイの長男「アクアマリン」として再び生を受けた医師によるアイのための復讐劇と、同じく長女「ルビー」として生まれ変わった少女のアイドルになる夢を追う物語が始まる。
2.ポスト「進撃」の時代の大作
以前も述べたが、「進撃の巨人」の登場を境に、日本の漫画、アニメシーンは大きく様変わりしたと思う。
それ以前からも密度の高い社会派作品や愛憎劇などは多く編まれてきた(アニメではコードギアスなど、バトルものでは鋼の錬金術師など)。しかし進撃以降、ゴールデンカムイやPSYCHO-PASS、メイドインアビス、約束のネバーランドなど、社会の実相を明らかにし、それに抗う者たちの苦闘を描く作品がより多くの支持を得るようになってきたように思う。
尤も、呪術廻戦、チェンソーマン、鬼滅の刃などが、こうした文脈の中にどこまで位置付けられるかは若干の留保は要するが、いずれも概ね大きく外れない場所にはあると考えられる。
推しの子は、まさにそうした社会に、その後ろにある何かに殺された一人の遺したモノを頼りに、自らの手で犯人を探し、決着をつけようとする作品である。
この作品はいくつもの強力な要素を持っている。
一つ目は「アイドル」モノであるということだ。アイドルモノといえば、人気はピークアウトした感があるがラブライブ・シリーズやアイドルマスター、変化球のゾンビランド・サガなど、多くのコンテンツがビッグヒットを飛ばしてきた。
二つ目。本作は「アイドル」モノと見せかけて、実は復讐劇がもう一つの柱であり、このミステリ仕立てが見る者を引き付ける。犯人探しと復讐劇というのは、まさに進撃の巨人の前半戦と同じであり、強力な物語のドライバーである。
三つ目。いま流行の「転生」モノの要素も取り入れている。いわゆる「異世界転生」してご都合主義的活躍をするのではない。同じ世界の、死んだ直後の未来に、別人として生まれ変わる。
何故この展開が必要だったのか?
少なくとも現時点でわかっていることだけ考えてみよう。
ルビーは、転生前は先天性の病気だった。テレビの向こうのアイに憧れ、叶わぬ夢を見ながら世を去った。誰のせいでもなく、ただ運命に殺された前の人生から一転して、憧れのアイの子として生まれ、親譲りの美貌を手に入れた彼女は、絶対に後悔のない人生を送ると決める。何もできなかった前の人生=運命への、ある意味でリベンジを開始する。亡き母と同じアイドルユニット名「B小町」で、アイドルとして頂点を目指す。
アクアは、30代半ばの医師としてアイの出産を支え続けたが、目前で自身が殺され、さらに転生後にも同じストーカーに、今度は目の前で「母親」であるアイを殺された。
ストーカーはその後すぐに自殺するが、アクアはその背後に、アイの極秘妊娠や隠し子の存在をリークした黒幕があることに勘づく。自らの持てる知性と親譲りの相貌をフルに使って、芸能界に飛び込み、アイを陥れた犯人を探し始める。
あえて30代の医師に0歳から人生をやり直させたのには、復讐劇として大きな意味があると思う。
子供たちは、戦う術を知らない。社会やそれを作った大人に抗う術を知らないどころか、自らが虐げられていたことすら自覚できぬままに、いいように利用される。人生などというクソゲーは、1回目のプレイでは自分がゲームオーバーになったことすら知らずに退場させられるのである。
アクアには、一度目の人生で努力して医師になった経験と、30代半ばまでではあるが積んだ人生経験から、「おかしいこと」をおかしいと見極め、看破する力=ちゃんとした大人としての分別が備わっているのだ。
つまり、この物語の復讐劇の面白いところは、進撃の巨人の前半戦のような世代間闘争(若者が、自らを虐げた大人に反逆を開始する)ではなく、まともな大人が、暗い闇に生きる大人たちに、子供のフリをしながら戦いを挑むという、世代間闘争という枠組みを脱した構造を持っている点である。
原作の赤坂アカは私(管理人)より二つ年下の1988年生まれという。諫山創の二つ下、約束のネバーランドの出水ぽすか、鬼滅の刃の吾峠呼世晴、呪術廻戦の芥見下々と同年である。
今の全ての経験と知識を持ったまま生まれ直して、やり返してやりたい奴がいる、やり直したいことがある、という思いは、きっと誰もが持っているだろう。
この嘘だらけのおかしな世の中に、どうにかして一矢報いてやろうという思いは、上記の作家群の作品に通底するように見える。
3.芸能界を舞台にした嘘とタブーの物語
本作品は、芸能関係者にもかなり周到な取材をしたと見え、アイドルの所得水準(若いうちは驚くほど低い)、事務所やエージェントのロイヤリティ等のカネ周りから、映像作品制作の現場実務、興業のプロセスなど、非常に緻密に描かれている。
芸能ゴシップ・スキャンダルという、情報番組で一番注目を集め、かつ一番どうでもいい世界を舞台にしているのは、実はカムフラージュではないか?と思っている。
この作品が大きく取り上げている問題意識は、「嘘で隠されたタブー」である。
アイドルのアイは、ファンに対して純真無垢なマリアのように振る舞い、「愛してる」と笑みを振りまく。多くの人々を、「その笑顔で、愛してるで、誰も彼も虜にしていく」(推しの子OP「アイドル」歌詞)のである。
しかし、その裏の真実はというと、16歳という若年齢での極秘出産と隠し子の存在である。しかも子の父は不明。(アクアは、アイを妊娠させた男こそがアイ殺害の黒幕と見ている)
アイには父親がおらず、母も犯罪を犯し刑務所に収監されるなど、過酷な幼少期を経てきた。自らが子を産んだ後も、自分の愛された経験の乏しさから、子を愛せるのかずっと不安を抱えていた。ストーカーに刺され、血塗れになったその最期に、ルビーとアクアに初めて心から「愛してる」と言い遺して死んだ。後のストーリーで、若手天才舞台俳優でヒロインの一人である黒川あかねは、アイを真似る役作りの研究の中で、アイのことを「発達障害の傾向がある」と分析している。このことは、アイの生育環境や、彼女が若くから芸能界に身を置き、10代半ばで性交渉をもって妊娠したこととの関連を暗示してもいる。
以上の非常に緻密な人物設定から分かるのは、本作が打ち出す理想という名の嘘の裏側には、あまりにも生々しく重い真実、つまりはタブーが存在するということである。
本作OP曲で、J-POPの金字塔となることが約束されたYOASOBIの大ヒット曲「アイドル」には、「歌い踊り舞う私はマリア」という一節がある。
アイは聖母マリアであり、またマグダラのマリアでもあるのかもしれない。
聖母とて人間なわけで、処女受胎したはずはないだろう。しかし、それを語ることは宗教上はタブーになる。
芸能界のタブーも、もっと重い社会のタブーも、構造的には相似形であり、全ては延長線上にある。
本作品は、嘘に隠されタブーとされ、埋もれてしまった真実にこそ本当の愛があった(アイは隠し通した二人の子供を、心から愛することができたのだ)ことを、アクアは自分の目で確かめようとしている。不都合な真実として隠されたものの中にこそ、救われるものがあり、取り戻せる尊厳がある。
社会がタブーとして隠そうとすることで踏みにじられた尊厳があり、それらを回復するためにタブーを打ち破るという、「大きな物語」の問題意識が、この作品には横溢しているように見える。
ちなみに、この作品は嘘=悪、真実=善などという単純な二項対立ではない。
嘘と真実は、互いに寄りかかった表裏一体のもので、嘘によって守られる価値や尊厳もあるし、その嘘が、あるいは真実が人を傷つけることもあると、一つずつのエピソードが語っている。
嘘によって守られたアクアとルビー、自分という存在を晒し続け、それに少しの嘘(?)がスパイスのように振り掛けられて大炎上し、自ら命を絶とうとした黒川あかね・・・。
嘘というペルソナ、人を魅了する魔女のような異能、怪しく光るカリスマを宿した眼光。
問題意識の中には、ある種「コードギアス 叛逆のルルーシュ」にも通じるものがあるように感じた。
閑話休題。
かくなる大きな物語を、あえて芸能界のスキャンダルという、誰もが注目するような、極めてライトで、かつ極めてセンセーショナルなステージで描くことを決めた原作者・赤坂アカの卓抜した戦略眼に、ただただ舌を巻くばかりである。
さらに、「魔法少女まどか☆マギカ」と東日本大震災、「エヴァンゲリオン」と地下鉄サリン事件のような、「社会的符合」という偶然も、この作品の注目度を高めている点も指摘せねばなるまい。
そう、「ジャニーズ問題」である。
あれこそ、芸能界のタブーであり、そのタブーにより犠牲になってきた被害者の存在が、日本のメディアではないところから(英国メディア)白日の下に晒されたのである。
既存の権力構造の老朽化、腐敗、機能不全と、それを打ち壊すタブーの暴露、まさに「推しの子」のテーマとシンクロしていないだろうか?
4.そして「アイドル」
本作品を語る上で忘れてはならないのが、オープニングテーマソングの「アイドル」である。
https://youtube.com/watch?v=ZRtdQ81jPUQ&si=qt5gNSVpqS8p_mPq
発表後、日本の音楽ではYouTube史上最速で1億再生を突破。日本の楽曲で初めて、ビルボードチャートの米国を除く全世界版で1位を獲得した。米国含むチャートでも第7位にランクインする、世界的大ヒットソングとなっている。
アーティストは、コンポーザーのAyaseとボーカルのikuraの二人組ユニットYOASOBIである。
ここ数年は、管理人もYouTubeでヨルシカ、YOASOBI、Ado、Eve、ユアネス、ウォルピス社などの、いわゆるボカロPや歌い手、Youtube中心のバンドたちの楽曲を聞くことが少なくなかった。精細で叙情的なアニメーションと、ボカロPによる技巧的で高難度なメロディ、それをこともなげに歌いこなす歌い手(人間ではなくボカロ用に作ったと思われるメロディを人間が歌うなど、そもそも正気の沙汰ではない)という、いわゆる叩き上げの実力者たちのポップスが気に入っていた。
他方、日本のメジャーな音楽シーンは、やれジャニーズ(おっとっと)だの、ナンタラ47、8人だの、よくってハロプロ系がハイパフォーマンスでどうの、など、韓国や台湾その他のアジア勢から鼻で笑われる低レベルなパフォーマンスが定着していた。
3nmスケールの半導体よろしく、日本の音楽コンテンツ(少なくとも主流の)は、もはやどうあがいても世界に太刀打ちできないレベルまで凋落していたと言っていい。
そこに、である。それまであまり見てこなかった人からすれば突如として、彗星のように現れたのが、こうしたネット動画投稿世代の、雑草からのし上がってきた連中である。
2006年スタートしたニコニコ動画、そこに投稿された京都アニメーションが送り出したセカンドインパクト「涼宮ハルヒの憂鬱」のED曲「晴れ晴れユカイ」のパラパラダンスの「踊ってみた」動画に始まり、初音ミクというボカロソフトが加わって、アニメ・ゲームの世界はアニソン・ゲーソン、ボカロ曲で盛り上がった。アニソン歌手の中には、間違いなく高い実力を持つ歌手も多く輩出した。
そして、ボカロ曲を打ち込みで作曲するボカロPが作った曲を、実際に歌ってみるけったいな人間どもが現れた。「歌ってみた」動画である。
で、あろうことか歌えてしまう奴らがちらほら出てきたのである。人間が乗ったら死ぬレベルのマニューバを繰り出す無人戦闘機の軌道を、戦闘機パイロットがトレースするようなものだ。
そうして出てきた歌い手やアニソン歌手たちが、いま大作アニメのタイアップなどで、世界の音楽シーンに登場するようになってきたのである。鬼滅の刃の「紅蓮華」、「炎」で有名なLiSA、同作品の「残響讃歌」のAimer、One Piece FILM REDテーマソングのAdoなどである。
そこにきて、今回のYOASOBI「アイドル」である。
YOASOBIは、ユニット結成時のコンセプトからして、漫画などの創作物からインスピレーションを得て、その世界観を膨らませた音楽を作る、という二次創作的なポジションを出発点にしている。故に、アニメ作品とのタイアップとなると、抜群の原作理解力でもって、アニメと強く一体化した楽曲を提供してきた。
「アイドル」は、ボカロPらしく、相変わらず、というかいつにも増してはるかに、気違いじみた転調、メロディラインの転換、低音と高音の往還、それらの連続である。Ayaseがあらゆる音楽を渉猟する、尋常ではない努力を積んできた作曲者であることがよく分かる。歌い手のikuraも、よくこんな人間離れしたメロディを歌うなと思う。
わずか4分弱にもかかわらず、ヒップホップからアイドルソングまでありとあらゆる音楽が詰め込まれたミニ満漢全席である。
もともと、YOASOBIでは群青という曲が気に入っていた。
https://youtube.com/watch?v=Y4nEEZwckuU&si=0e5G4jDDtc_OFvlP
この作品は、以前アニメ時評で取り上げた、芸術大学受験を描いた「ブルーピリオド」にインスパイアされて生まれた曲である。
清涼感と焦燥や葛藤がないまぜになった、非常に技巧的でありつつなんとかバランスを保ってもいるような、不思議な曲である。
この時も、爽快で壮大な曲を描くものだと思ったが、「アイドル」はもはやこれと比べても別天地である。
https://youtube.com/watch?v=RkjSfZ30GM4&si=V7IIxCOAtqbRMb8L
彼らの強みは、発表した楽曲の英語版もリリースすることである。自分の作品を自分で翻訳する村上春樹戦術である。ボーカルのikuraは英語も堪能なようで、非常に綺麗に自然な英語で歌う。日本語の歌詞と頭韻や脚韻を踏ませる名翻訳で、それが多くの反響をよんでもいる。
いずれにしても、YOASOBIの「アイドル」は急に世界的大ヒットを飛ばしたのではなく、彼らのしたたかに世界を狙いに行く努力と戦略があってこそと言える。
さらに、彼らの他にも共に世界で評価を高めつつあるアニソンコンテンツ、歌い手たちが多くいる。
ここにも、世界と戦う前に凋落した日本の音楽シーンという、既存の権力構造、既得権益の機能不全がある。そんな腐ったメインストリームなどどこ吹く風で、自らの力を貯めてきたサブストリーム出身の実力者たちこそが、世界で評価を獲得し始めている。この痛快さは、やはりこれもまた、タブーや大人の都合を叩き潰して、実力で真実(アクア)を、頂点(ルビー)を掴み取りに行こうという、「推しの子」が率いるリアルとフィクションの物語群を、よりインパクトの強いものにしているように思う。