手軽な一揆の起こし方

エセ評論家の生活と意見

明日香~熊野 前編 明日香という内陸から見る通商と政治

1.ゴールデンウィークに動かざるをえないことへのボヤキ

今回は奈良・明日香を経由して熊野に向かう強行日程である。

実家から奈良に向かうにもルートがいくつかあるが、高速道路・幹線道路である限り必ず詰まる。

しかも今回は、慣れない初ルートを選択したからう回路もわからない。

第二京阪道で門真まで行き、近畿道に乗り換えたが渋滞。

下道に下りて、旧大和川が南から北に流れるのを渡って、富田林の太子から高架道路に乗り、奈良県内へ。

通常ならば1時間半弱で行く道のりが2時間半ほどかかった。

ゴールデンウィークの真ん中に動くというのは予測がつきにくい。

しかし、ゴールデンウィークくらいしかまとまった休みがとりにくい(ほかのタイミングで休もうとしても、仕事の顧客の動きは止まらないわけで、調整が難しい)。

日本は休暇の貧しい国である。

 

2.明日香へ

yamatoji.nara-kankou.or.jp

 

火野正平が自転車で手紙に読まれた場所をめぐる旅番組で出ていたのを目にして、行ってみたいと思ったのがここ。

本当は、他にも高取城など行きたかったが、それは次回。

甘樫丘その1

公園内にはマムシらしき蛇がのたうって歩いて(?)いた。

以前もここら辺に来たときに、畑の中で何かを加えて逃げるイタチを見た。

どうも野生動物が多い地域らしい。

畝傍山

 

3.ヤマト王権と通商・政治機能の分離

手前が畝傍山とのこと。

古墳が雑木林になった公園などが非常に多い。

ヤマト王権は、もともと大阪湾に面した海運を扱う豪族だったというう説がある。

高句麗新羅百済の三国があった朝鮮半島情勢の不安定化などが起因となって、海辺の摂津・和泉から、大和川を遡上した内陸の奈良盆地に引っ込んだともいう(諸説あり)。

 

www.kkr.mlit.go.jp

大和川が江戸時代などの工事を経て現在の形になる前は、大阪平野に入ってから南から北に大きく蛇行、摂津大坂(大阪城周辺)に至って海に出たという。

下流の流路は、難波宮跡の近くだ。最初はヤマト王権は海近くにあった。しかし大和川に沿ってより内陸に移動した。

政庁機能=都市を臨海部から内陸に移し、海運でもたらされた交易品を、最後は河川水運や陸運で都市中心にもたらす。

海運=通商と、消費&政治を分離する都市機能の配分は、すでに古代ヤマト王権期に形成されていたといえ、京都はその延長上で、後者の機能が遷都を繰り返した末に定着した場所といえる。

首都を福原に移そうとした清盛は、その強引な政策と後白河を中心とする院の勢力、さらに荘園管理者層の支持を調達しきれずに挫折した。それまでの「政商分離」というべき長年の間に定着した構造の大転換を迫るような、海運から政治までを一拠点で掌握する体制には、抵抗が大きかったことだろう。

東京はといえば、港湾都市であり政治都市でもある。日本の富と人口が吸引され続けるという、持続可能性のない状態がある。いよいよ人口減少下でその破綻の入り口が見えてきたか、そろそろ入ったか、という状況である。

 

4.港湾と政治の都市機能

世界的に見ても、通商・港湾機能を備えた「首都」(=領土国家の政庁都市機能)というものはあまりない。

ローマは、古代から外港としてオスティア港をもち、そこへは「塩の道」サラーリア街道がアクセスしていた。

都市国家であったがアテナイにも、外港ピレウスがある。今でも貿易港として健在である。尤も、ピレウス港の経営権を中国企業に渡してしまったがために、今外交問題になっているようだが。

ロンドン(ローマ帝国の軍事都市ロンディニウムが起源)もテムズ川を介して海とつながっており、ロンドン市内まで小型の航空母艦ならば入ってくることができる。

古代都市でいえば、ネアポリスナポリパレルモカルタゴなどは、(いずれもローマによってであるが)征服を受け、独自の政治都市機能は失った。

中世に目を転じると、イタリア四大港湾都市アマルフィ・ピサ・ジェノヴァヴェネツィアは、いずれも独立した政治機能を持つ通商都市として成立したが、領土国家として精強を誇ったのはヴェネツィア共和国くらいといっていい。アマルフィルネサンス謳歌することなく早々に没落し、ピサはフィレンツェの外港に収まった。ジェノヴァ都市国家としては存続するが、クレタバルカン半島アドリア海沿岸諸都市を抑えたヴェネツィアほどの勢力圏を維持することはなかった。

欧州を見ると、外港と都市中核が分離しているものは、多くは古代からの都市であり、港湾都市として独自の発展を遂げた都市は、中世以降の都市国家である場合が多い。

難波津を外港とした大和の朝廷や平安京は、日本における古代体制の領土国家の首都であった。頼朝により滅亡させられた奥州藤原氏の首都平泉は、古代大和朝廷のありようと似ていて、内陸の北上川沿岸に都市を築いたものだ。中世末・近世になって都市化された港湾(といっても港湾都市としてどの程度の機能を持っていたのかは不明だが)江戸・東京などより、成立した時代が段違いに古い。

都市の成立時期が古いほど、交易を重要視しながらも、外港と都市中心を分けるという都市づくりが一般的だったのかもしれない。

 

5.中世期の交易

他方鎌倉はといえば、臨海都市である。

三代将軍実朝の時代に、日宋貿易を見据えた大型船を建造、進水式に失敗してあえなくとん挫した巨大プロジェクトの存在は、吾妻鑑にも記されているという。

歴史家は非常に遠慮がちな物言いをするようだが、根拠のない想像としては、頼朝は当初より海運を行うことも考えて鎌倉を起点にしようとしたのではないか。

平氏政権が福原で日宋貿易を行い、巨万の富を得てるのを横目で見ていたのである。

同時に、奥州藤原は、間違いなく自分たちが目の前にしている太平洋を航路として、渥美・知多、紀州、瀬戸内、さらには大陸の文物を入手していたのである。

さらに言えば、頼朝はもともと伊豆→鎌倉→房総→鎌倉と、一貫して関東の沿海部に居続けている。これは、三浦・北条・和田などの沿海部の豪族を側近としたからに他ならないが、それはすなわち沿海部に対して強い権益を持っていたということでもあると思われる。目前の海運の益を、指をくわえてみているはずがない。

中世初期において、政治機能を持つ港湾都市とすることを狙ったのが鎌倉と思われる。

実際に、鎌倉の由比ヶ浜には多くの船着き場が用意され、西国の文物が入ってきたという。中世都市国家、ではなく、中世の領土的支配力を有する権力機構の政庁機能が、同時に港湾都市としての機能を有していたという例といえる*1

 

6.まとめ

古代と中世で都市形成やその性質に違いがありうることはわかった。

古代都市は、特にローマ帝国を始めとした領土国家が成立すると、その首都は多くの場合外港と都市中心をそれぞれ有するか、あるいは純然たる内陸都市であった。例としては、ローマであり、セレウキア(セレウコス朝シリア)、ペラ(マケドニア王国)などである。例外としては、プトレマイオス朝エジプトのアレクサンドリアがあろうか。

領土国家として内国の生産力で食料を賄っていた国においては、都市だけでは成立せず、農業生産地を「面」として維持する必要がある。交易のみならず、面の支配に適した立地、攻撃されにくい立地を要したと考えられる。

他方、中世は権力が分散化した時期であり、領土国家という概念が崩壊した時期でもある。ヨーロッパにおいては都市が自立した権力となり、海港都市は貿易を収益の頼みとした。内陸の都市は、こうした複数の港湾都市と交易をするハブとなることで存続した。中世のローマやパリ、ウィーンなどがそうである。

日本においても、中世において京都や南都は、こうした港湾都市のハブという機能があったとみられる。日本海側の小浜、敦賀、瀬戸内の大阪・福原、さらに琵琶湖の大津、坂本などである。

鎌倉は、港湾都市としての機能と、防衛上の要害という要件を満たしたがゆえに、港湾都市・領土国家政庁機能の両義性のある都市であったとみられるが、津の規模、都市後背の面積の狭小さから、発展には限界があったようである。

 

飛鳥寺

平泉と同じく東西を山に囲まれた奈良盆地に都市が築かれた経緯を考えるにつけ、こうしたとりとめのないことが頭をよぎった。

 

*1:中世に北欧のヴァイキングが侵略して占領、シチリア王国の首都とした、シチリアパレルモなどに似ているかもしれない。この国際都市は後に、5か国語を操り中世にありながら神を意に介さなかった神聖ローマ帝国の大帝フェデリーコ2世(フリードリヒ2世)を生む。

雨の日の花撮り NIKKOR Z 24-70mm F4.0

雨の日でも、雨だからこそ、撮れる写真があることは、平泉で撮影してよくわかった。

雨の日の野外撮影で最も手頃なのは、花だ。

というわけで、庭の花を撮影した習作を掲載する。

 

カメラはNIKON Z6/NIKKOR Z 24-70mm f4、定番のZ6のキットレンズだ。

雨の日の庭

24-70mm f4のレンズの強さは、接写できること。これは24mmに限らず、テレ端70mmでも同じだ。ハーフマクロ的な撮影ができる。

しかし今回掲載した写真は、基本的に24mmワイド端で撮影したものだ。

これは、パースペクティヴが強めに出るワイド端で接写することで、雨の庭の静物をより動態的に、庭のごく一部であるにもかかわらず空間的広がりがあるように撮ろうという意図だ。

セージ

こちらも24mmでの撮影。

しずくのついた花弁や葉の質感こそが、雨の日の被写体の美しさだと思う。

そういえば、新海誠のアニメ作品の中に「言の葉の庭」というものがある。

雨の日の庭園に建つ庵での、静かな二人の対話を描いたもので、「君の名は。」で大ブレイクする一つ前の作品だ。

あれこそは、アニメーションで雨の質感、美しさを表現した佳作だった(エンタメ性よりも文芸的な性質の強かった「静かな」新海作品の一つの集大成として、好きな作品でもある)。

 

雨の日の庭、奥に倉庫

ちょっと現像時に明るさを上げすぎたかもしれない。

ところで、今回掲載の写真は、全て雨の日で暗かったことから、ISO感度を上げている。

上の写真でISO250くらいか。

Z6などの最新のフルサイズセンサーは、花撮影のように質感の滑らかさが欲しい対象でも、ISO600やISO1000では全くへこたれない、きれいなノイズの少なさという印象だ。

 

雨の日の庭 ラストショット

多少陰影がついてくれたので、立体感も出る。

あえて24mmワイド端縛りで撮った。

ワイド端は、風景写真だとともすれば茫洋とした写真になるが、意外と狭いスペースに区切って(=被写体に寄って)花などの静物を撮るときに、効果的だと思われる。

北海道~近畿縦断 その4

E5系やまびこ一ノ関駅に入線

自治体の名称は一関だが、JRの駅名は一ノ関らしい。

三宮と三ノ宮の関係と同じようだ。

2日目午前中に晴れの平泉を廻り、昼過ぎ1時10分ころに一関から新幹線に乗った。

本当は、達谷窟毘沙門堂などもまわりたかったが、車がないと行くのは難しい。

hiraizumi.or.jp

一ノ関で乗った東北新幹線から見える風景は、順番に栗駒山くりこま高原駅付近)、蔵王山(仙台を過ぎたあたりから)、吾妻・磐梯(福島)、那須(栃木)と、1500メートル以上の高峰名峰が目白押しで、東海道新幹線より見ごたえがある。

ニセコアンヌプリは1200メートル台だから、同じ連峰・山塊で標高が1.5倍ともなると、体積は4倍以上にもなり迫力がある。

仙台ではやぶさに乗り換えて、15時に東京駅着。

30分後、東京駅から再び新幹線の長旅である。

次は乗客を物資又は輸送コストか何かとしか考えていないフシのある悪名高い東海道新幹線である。

東京・京都間の2時間20分は慣れたものだが、北海道に住む身で、去年4月から約一年で再びその座席に身を置いたのには感慨深いものがあった。

普通、北海道の住民が東海道新幹線に乗ることは、あっての十数年に一度、ほとんどの人は乗ることがない。

見覚えのある風景が続く。

異常な高層ビルが忽然とあらわれる武蔵小杉、最大の政令指定都市でありながら異様に殺風景な新横浜駅

牧之原の茶畑、弁天島・舞阪の浜名湖、そして豊橋の旧実家近く。

人が誰一人いないことが当たり前の三河安城駅や岐阜羽島駅を目にもとまらぬ速さで駆け抜けていく。

米原駅には、なぜかホンダレーシング"HRC"のレースカーのトランスポーターが何台も止まっていた。サーキットなどないはずだが。。。

3年前まで住んでいた、今は売却された旧宅のある滋賀県南部、「かがやき通り」や、その近辺のフォレオ里山など、かつての生活の風景が車窓を流れていく。

大津トンネルを抜け、狭隘な山科を経て再び入ったトンネルを抜けたら、京都市街だ。

京都駅新幹線コンコース

いやぁ、懐かしい。

幼少期から、ここは到着駅・出発駅だった。

帰ってきた、たどり着いたという感じがする。

ここから先、特急の合間にしか走らない不便な近鉄急行に丹波橋まで乗り、乗り換えた京阪特急はぎゅう詰めの満員だった。

この二日間の電車移動で一番きつかったのがこの最後の区間かもしれない。

樟葉駅に到着したのは、2022年4月30日18時25分だった。

 

北海道~近畿縦断 その3 平泉・一関後編

平泉で雨の中半日歩き回って、宿を取った一関に移動。

平泉にはいい旅館があるようだが、GWのため満室or高い部屋しか空いていない。

一関ならば、ビジネス客向けの旅館やホテルがある。

ichinoseki-hotel.com

駅から近いのが何より助かる。

設備は古いが、親切でいいホテルだった。

部屋でかけた岩手のローカルテレビは岩手の話題で持ちきりであり、これほど話すことがあるものなのかとある意味感心する。

tabelog.com

定食のある居酒屋などが休みだったため街中華に入ったが、意外というより案の定、美味しくいただけた。

きちんとコロナ対策の認証を取得し、間仕切りがあり、客の連絡先も聞くなど、まじめな対応で好感が持てた。

 

季節外れの雪と躑躅

翌朝目が覚めると雪が降った後だった。

4月最終日に、岩手といえどもさすがに季節外れの雪である。

ニセコでもこの時期に降るのは見たことがない。

大変珍しいものを見せてもらった。

朝、平泉の寺があくまでは時間がある。

一関の市街地を散策した。

一関城から望む栗駒山

一関の南西には、奥羽山脈の名峰栗駒山がそびえる。

朝、市街地のは南外れの小高い山城、一関城の城山を登り、本丸近くの曲輪跡から、山を望むことができた。

雪が降った朝だったが、青々としている新芽が、正しく春の訪れを示している。

 

散策し終えたら、予定より1本=1時間早い電車(東北本線は電化されている。しかも二両連結の列車)で平泉に戻る。

雪の解けて屋根より滴る

毛越寺は、藤原三代の時代にはその敷地内に複数の平等院のような浄土庭園に面したシンメトリカルな堂宇が建っていたという。

今も、本堂以外にもいくつかの後世に建てられた堂宇が遺る。

その一つで、昨晩降った雪がかやぶきの屋根から解けて滴り落ちていた。

躑躅と菖蒲の葉と浄土庭園

惜しくも菖蒲はまだ咲いていなかった。

これが咲いて、赤い躑躅、紺の菖蒲、緑の庭園となれば、より映えただろう。

それにしても、ネット上に上がっている写真などで見るより、実際の浄土庭園ははるかに立派だった。

多くのネット上の写真は、スマホ特有の広角レンズで撮られているせいか、茫洋として締まりのない画が多いように思う。

対して、実際に歩くとその規模は、池など平等院鳳凰堂などより大きく、浄土庭園とはこれほどの壮観であったのかと、改めて往時の規模の大きさを想像し圧倒される。

 

浄土庭園と新緑の楓

日本の有史以来だけでも、幾度かの寒冷化と温暖化を繰り返しているという。

その中で、奥州藤原三代が栄えた時期は温暖期だったともいわれている。

寒冷地であるにもかかわらず、相対的温暖期に入ればこれほどの経済力と文化を花開かせたという潜在力には驚かされる。

(もっとも、奥州藤原三代の時期は温暖期の上に砂金ゴールドラッシュでもあったわけで、そのピークを越えた三代秀衡以降は、頼朝に滅ぼされずともいつまで持ちこたえたのかはわからない)

 

雨上がりの空(平泉世界遺産ガイダンスセンターにて)

毛越寺を出て、平泉世界遺産ガイダンスセンターへ向かった。

www.sekaiisan.pref.iwate.jp

タッチパネルやサラウンディングスクリーン、ARなどを使ってわかりやすく展示がされている。

また、出土品の常滑や渥美の焼物、中国や朝鮮の青磁白磁そのた豊富に保管されており、見る価値がある。

藤原清衡が己を蝦夷の棟梁と名乗って、朝廷から自立して仏国土を作り上げたことを寿いだ巻物とその翻訳などが展示されているのもここだ。

 

兵どもが夢のあと

ガイダンスセンター自体が遺跡の真ん中に立地している。

かつての政治機能があった柳之御所史跡である。

今は平原になっており、遠くこれも奥羽山脈の名峰、焼石岳を望むことができた。

奥州の東西の山脈に囲まれた地であり、奇しくも東西の山々に囲まれた国のまほろば、大和を想起させる地形・風景でもあった。

他方、平泉は資料館の仕立てなどからも、中央に対するカウンター、あるいはアナザーの勢力としての自己認識を持ち、中央権力を相対化して歴史を見る視座を持っていた。

温暖で黄金を産した時代の豊かさこそが、そうした相対性の視座を与えた。

交易の痕跡からも、太平洋を介して東海、紀州、さらに遠くは朝鮮半島や中華との縁もあったことも再確認できた。

夏草というには早いが、まさに兵どもが夢のあと、であった。

北海道~近畿横断 その2 平泉 中編

雨に濡れるツバキ

午後1時20分。

平泉についたとたんに雨が降り出した。

平泉のおもだった遺跡は毛越寺中尊寺観自在王院跡、無量光院跡などで、資料館も町立平泉文化遺産センターと、岩手県立平泉世界遺産ガイダンスセンターがある。

いずれも歩いて回れる。

 

雨になるのはわかっていたし、翌日は晴れの予報だったため、まずは中尊寺に向かった。

中尊寺には林があり、雨が映える。

他方、毛越寺の庭園は広々と開けており、晴れてこそ映えるから翌日にまわす。

文化遺産センター向かいの熊野神社

中尊寺に向けて、駅前通りをまっすぐ数ブロック歩いて無量光院跡を横目に見ながら左折、さらに数百メートル行くと文化遺産センターがある。

↓地図とパンフレット

https://hiraizumi.or.jp/info/pdf/hiraizumi_sekaiisan_jp.pdf

 

その向かいに、熊野三山を勧請した熊野神社がある。

奇しくも、あるいは必然か。

後に南朝方として奥州に蟠踞した北畠顕家も、熊野と同じ太平洋側の伊勢を根拠地とする。

太平洋側の伊勢から奥州へのつながりを想起させる。

 

平泉は、前九年・後三年の役を経て台頭した、秀郷流藤原氏を名乗る藤原清衡により開かれた。

このように名乗って入るのだが、中尊寺の建立の経緯を示した巻物には、自らを蝦夷と名乗り、朝廷からの独立を寿いでいる。

後の日の本将軍安藤氏や、蝦夷地に影響力を行使した蠣崎氏=松前氏と同様に、蝦夷に対する顔(あるいは蝦夷としての自己認識や権威)と、朝廷に対する顔を使い分けていたのかもしれない。

文化遺産センターでは、朝廷に服属させられた被支配者としての奥州、という認識を明確に示しており、書物ではなく直に現場でみせられると、面食らうと同時に非常に興味深い視点であった。

中尊寺の参道にて

雨の中尊寺を選んだのには、ビジュアルな要素以外にも理由がある。

芭蕉は、

五月雨を降り残してや光堂

という句を遺している。

この平泉の堂宇は五月雨などの風雨で朽ちていったとしても、この金色堂だけには降らなかったのだろうか、今も光り輝いている。

といったほどの大意である。

この風情は、雨だからこそ感じられよう。

芭蕉は、奥の細道で奥州平泉をフィーチャーしているが、無類の木曽義仲のファンでもあったという。滅亡したものの声なき声に寄せるノスタルジーであり、安定した江戸時代だからこそ可能であった歴史回顧かもしれない。)

中尊寺参道

案の定、雨だからこその良さがある。

 

 

中尊寺参道、雨に濡れる堂宇

 

ところで、平泉の資料館などをのぞいてもわかるのは、藤原三代は当然としても、その他には芭蕉に対して言及するのみで、他の歴史的事象への言及はあまりない。

この他にも、例えば歌人であれば、同じ秀郷流の出であることから平泉と交流のあった歌人西行を忘れてはなるまい。

政治・戦争の歴史でいえば、南北朝期に後醍醐天皇南朝重心として、欧州に勢力圏を形成して京都進撃を画策した北畠顕家がある。

彼は、国守として奥州に下行して勢力圏を気付いて以来、本拠地である伊勢と奥州を股にかけて足利など北朝勢力を挟撃しようとしたのである。

こうした資料への言及もあればより面白かったかもしれない。

中尊寺 花散らしの雨

雨に濡れる桜

北海道は桜が咲き始めるか否かであったが、平泉は桜が散り際であった。

新幹線などの鉄道で南下すると、季節の移ろいが感じやすく風情がある。

中尊寺本堂

中尊寺の本堂である。

中尊寺は特殊な寺のようで、本堂が寺の本体のようではあるが、中世期には、「金色堂別当」なる職があったようだ。

金色堂だけで独立した荘園経営主体だったようで、一関市に今でも原型を残す旧荘園、骨寺村などを有していたという。

www.honedera.jp

本堂の門前の桜

金色堂覆堂

金色堂の撮影はできない。

しかし、見て損はない。

わざわざ平泉に寄り道してでも見るべきである。

漆の上に金箔を張り巡らせた外観はもちろん、内装の螺鈿細工と仏像群は必見である。

あれほど全面に、それも東南アジア産のヤコウガイ螺鈿細工を施す。平安末期の物流の繁栄ぶりを感じずにはいられない。

平泉からは、多くの瀬戸常滑や渥美の焼き物が出ている。青磁白磁の類もある。

後の北畠の動員力などを考えても、太平洋側航路がかなり昔から活発に開発されていたことがわかる。

中尊寺の牡丹桜

 

北海道~近畿縦断 その1 平泉 前編

自宅から実家への帰省をすべて鉄道でする試み

1日目は、函館本線倶知安駅から長万部を経て、函館~平泉へと向かう。

倶知安駅にて 新型ディーゼル

長万部までは、朝6時22分の便を逃すと昼12時半ころまでダイヤがない。

無事乗車できた。

ホーム反対側には、小樽経由苫小牧行き(!)の便が止まっていて衝撃を受けた。

そこまで直行便で行く意味あるのだろうか・・・

社内の写真はないが、椅子が固い。背もたれが直角である。レッグスペースが狭い。

長万部までは1時間40分ほどだが、とてもじゃないが長時間乗れたものではない。

ところで、ここでこのディーゼル機関車の呼び方が非常に厄介である。

まず「電車」ではない。

架線などという高等で文明的なものはない。

では「列車」というか?

一両しかないので列車ですらない。

結局呼びなれない、今日日そう呼ぶことなどまずはない「汽車」と呼ぶほかない。

忸怩たるものがある。

ニセコ駅

スマホで撮ったニセコ駅

水平などがたがたなひどい写真である。

カメラから持ち帰るとこれほどまでにひどく撮れるものか。

 

長万部駅

7時55分頃長万部駅到着。

途中倶知安からニセコ・昆布あたりまでは両側に羊蹄とニセコ連峰が見え、非常にいい眺望であった。

JR線が新幹線開業により廃線した際には、是非トレッキングコースにしてほしい。尻別川にも近いことから、トレッキングコースからフィッシングポイントへのアクセスも作れるかもしれない。宝塚の旧武庫川線廃線跡などのように、絶好のレジャースポットになるだろう。

特急北斗

長万部駅から新函館北斗駅までは、特急北斗である。

こちらは1時間に1本。

この日乗った列車の中で一番混んでいたのはこれである。

ちなみに、数日前に駅で特急券を買った際に、わざわざ駅員(見るからに新人の頼りなさそうな男)に、「海側窓側で」と頼んだのだが、乗ってみれば見事に山側窓側であった。

あの駅員は、自社の鉄道が北海道のどこを走っているのかわかっているのだろうか?

 

次いで新函館北斗駅に着いたら、いよいよ北海道東北新幹線である。

八雲名物豚わっぱ飯

E5系新幹線の写真は撮らなかったが、車内は快適だった。

椅子の作りも凝っていて、人を効率的に大量輸送する物資としか認識していないであろうJR東海謹製・東海道新幹線とは違う。

リクライニングの際に座面も連動するもので、さらに北海道新幹線に使用されている最新型のE5系はコンセントの数なども充実しており、窓側以外の客も自分のプラグがある。

カップホルダーもテーブルと別であり、気が利いている。

 

青森県、奥津軽今別

いよいよ本州に帰ってきた。

青函トンネルを抜けると、突如として杉林や松林が見えてくる。

里山の風景が見えてくる。

一目して瞭然に、北海道と異なる風景が展開される。

やはりこちらの方が、まだ東北といえど落ち着くものがある。

盛岡駅から

盛岡駅から東北本線で平泉へ。

本当は、一ノ関駅まで新幹線で行き、平泉に引き返した方がよかったかもしれない。

東北本線に揺られること1時間半である。

平泉到着は午後1時20分頃。

電車待ち時間はそれぞれ10分ほどのため、ほぼ7時間電車まるまる移動だったわけだ。

平泉についてからの記事は、回を改める。

アニメ「ハコヅメ」レビュー

hakozume-anime.com

 

1.アニメーション技術面 51 60
1)キャラクター造形(造形の独自性・キャラ間の描き分け) 9 10
2)作り込みの精緻さ(髪の毛、陰影など) 8 10
3)表情のつけやすさ 10 10
4)人物作画の安定性 8 10
5)背景作画の精緻さ 8 10
6)色彩 8 10
     
2.演出・演技    
声優 137.5 170
1)せりふ回し・テンポ 10 10
2)主役の役者の芝居(表現が作品と調和的か・訴求力) 10 10
3)脇役の役者の芝居(表現が作品と調和的か・訴求力) 10 10
映像    
4)意義(寓意性やスリル)のある表現・コマ割り 8 10
5)カメラアングル・画角・ボケ・カメラワーク 8 10
6)人物表情 10 10
7)オープニング映像 5 10
8)エンディング映像 7.5 10
音楽    
9)オープニング音楽    
作品世界観と調和的か 7.5 10
メロディ 7.5 10
サウンド(ヴォーカル含む) 7.5 10
10)エンディング音楽    
作品世界観と調和的か 8 10
メロディ 8 10
サウンド(ヴォーカル含む) 8 10
11)劇中曲    
作品世界観と調和的か 7.5 10
メロディ 7.5 10
サウンド(ヴォーカル含む) 7.5 10
     
3.ストーリー構成面 67 70
1)全体のストーリー進捗のバランス 9 10
2)時間軸のコントロール 8 10
3)ストーリーのテンションの保ち方のうまさ(ストーリーラインの本数等の工夫等) 10 10
4)語り口や掛け合いによるテンポの良さの工夫 10 10
5)各話脚本(起承転結、引き、つなぎ) 10 10
6)全体のコンセプトの明確性 10 10
7)各話エピソードと全体構造の相互作用 10 10

 

255.5 300 0.851667

Aランク

SSランク・・・95%以上

Sランク・・・90%以上95%未満

Aランク・・・75%以上90%未満

Bランク・・・60%以上75%未満

Cランク・・・45%以上60%未満

Dランク・・・30%以上45%未満

Fランク・・・30%未満

 

1.概略

2022年1月から放映されていた、アニメ「ハコヅメ」のレビュー。

爆笑必至の作品である。

警察の交番勤務の女性警察官の日常を、あまりに生々しく(苦笑)描いた快作。

アニメ化の前に、戸田恵梨香、永野芽衣主演でドラマ化もされていた。

同じシーンを見比べればわかるが、圧倒的にアニメ版の方が面白い。

ドラマ版は、ゴールデンだかプライムだかの時間帯に放送されるためか、セリフの毒が抜かれすぎている。あと、芝居のディレクションのせいか編集のせいか、掛け合いの間が悪かった。

 

2.特徴

アニメ版は、普段アニメを見ない層でも十分に楽しめると思われる内容で、かつ前述の通りドラマより質の高い原作再現度と思われる。ドラマが好きでよく見る人ならば、間違いなく満足できるだろう。

よくある「刑事モノ」とは全く違う、警察組織のリアル(リアルすぎる・・・)な警察のお仕事が描かれる。

ちなみに仕事柄、たまに警察にも行くことがあるが、この作品で描かれる警察と現実に横目で見る警察署内、あまりに似ている気がする・・・

この前私の職場に、地元地域で自動車ラリー大会を開催するための挨拶に、運営団体の方がお越しになったことがある。

その際、ボランティアで運営事務局をなさっている男性が、「今日は非番なんですけど、僕の勤務先、日本最大のブラック企業なんです・・・」といいながら手渡してくれたのが、警察の名刺だった・・・

警察に名刺があることにも驚いたが(失礼)、ハコヅメを見ていたら、そうだったのねぇ、と名刺交換時のことを思い返した。

この作品は極めてリアリティが高いと推測されるが、その最大の根拠は、原作者の漫画家、秦三子氏が、元勤続10年の女性警察官だった、という一点だろう。

 

3.内容

主人公で「署内きってのアホ」と定評のある新人警察官「川合麻依」の指導係に、県警屈指の美人やり手警察官で、部下にパワハラをしたカドで刑事課から交番勤務に転属させられた巡査部長「藤聖子」が就くところから始まる。

のっけから交通違反切符を切るシーンで・・・

川合が「とりあえず公務員になりたかったが他の試験全部落ちて仕方なく警官になった」というロクでもない志望動機を披露したり、

藤部長は態度の悪い違反者に小声でボロクソ悪態ついて「事故れ」と呪ってみたり、

それを川合に突っ込まれるとあろうことか藤は「私だって気分よく切符切りたぁいっ!!」と切実な表情で嘆息してみたり・・・

なんだこれ・・・アクセル全開じゃねぇか(笑

この作品で特筆すべきはこの掛け合いの「間」だ。

これを作り出しているダブルヒロインの役者が素晴らしい。

川合役の若山詩音は、若手ながら劇団ひまわりなどを経た舞台の経験も豊富な役者で、アホの川合をのびのびと演じてくれている。長井龍雪監督のアニメ映画作品「空の青さを知る人よ」で主演デビューした際にも、吉沢亮吉岡里帆と共演しながらまったく食われることなく、ナチュラルな芝居で印象を残していた。

藤役には驚かされた。「中の人」は、あのヴァイオレット・エヴァーガーデンを演じた石川由衣である。彼女も舞台俳優だ。ヴァイオレットで魅せた、瑞々しいが抑制された感情、繊細な心の動きはどこえやら。毒舌・パワハラ・狡知策謀のオンパレードである。

痴漢被疑者の「再現検分」のシーンでは、被疑者にわざわざ「ここで勃起した性器を被害者におしつけたんですねー?」といいながら嬉々として検分写真を撮り、被疑者を追い詰める。。。

声音は聞き間違いようもなく彼女だが、表現一つでここまでも変わるものか。

 

他にも、刑事課の脳筋鉄砲玉コンビの「源と山田」や、女子高出身なのに新撰組オタクゆえに(?)どういうわけか警察に就職してしまった変人「牧高」など、強烈すぎるメンバーが脇を固める。

作中の随所で、おそらく「業界あるある」なのだろうトピックが描かれる。

刑事課がマラソンの交通整理に駆り出されるシーンでは、「道交法ってどんなだっけ?」などと、交通規制場面での役立たずっぷりが描かれたり、

刑事課とやくざの見分けがつかなかったり、

刑事がやくざと街中で口論するシーンで「うろ覚えの暴対法」などと描かれてみたり、

機動隊は出動時間以外は筋肉ダルマになるまで訓練して、筋肉で鍛えた脳みそ(?)で試験勉強するから微妙に出世が早かったり、

まぁ、さもありなん。

 

4.問題意識

警察組織そのものに対する風刺も込めた必笑コメディだが、組織そのものや 社会に対する問題意識も根っこにしっかり存在する。

例えば、女性は男性に比べて出先で用を足すのが難しいことから、女性警察官はどうしても水分を取りづらく脱水症状になりやすい、とか

女性警察官が任されやすい非行少女の取り調べで意味が分からなくならないように、風俗やAVの知識を身に着けておけ、とか

非番でも平気で呼び出される、とか

長年の介護の末に自宅でみとられた高齢者の検死、とか

警察の仕事の、本当の意味での大変さが痛いほどよくわかる。

そりゃ、あのラリー事務局氏が「ブラック企業」と自己紹介したわけだ。

 

5.総評

こうした、現場のリアルに根差した形だからこそ、「交番勤務」という刑事モノと一線を画する警察モノが生まれたといえる。

さらに、それを風刺として面白く描くだけでなく、それぞれのエピソードにその仕事の大変さや大切さが織り込まれている。

技術的に言っても、一話ずつのエピソードがコンパクトにまとまっているのみならず、エピソード間のつながりもよく、キャラクターも立っている。

もっと世間によく知られるべき、隠れた佳作である。