手軽な一揆の起こし方

エセ評論家の生活と意見

日本の衰退の原因のどれくらいが日本人自身にあるのか

 

1.ニセコにルイヴィトンのポップアップストアができた件についてのForbesの記事

forbesjapan.com

久々によくまとまった記事を読んだ。

この記事は誰か記者が書いたものではなく、識者の対談を文字起こししただけなので、残念ながらよくまとまっているのはForbesの記者が優秀だからではない。対談した識者が、特に後半の安西氏が、非常にフェアな見識をお持ちであったことによる。

繰り返すが、文屋が誉められているわけではない。

まぁ、連中の実力はあいも変わらずだね、といったとこか。

凋落著しい文屋(凋落する前の栄華があったかは知らん)へのとばっちりはさておき、記事の内容に戻る。

指摘されているのは、

外資が、

日本で、

外国人富裕層相手に商売すると、

結局日本に富は残らないんじゃね?、場所貸して搾取されてるだけなんじゃね?、

という話である。

実はこの論点、過去記事で私も指摘している。

 

maitreyakaruna.hatenablog.com

 

外資が外人相手に日本で商売するのは結構だが、問題はそこで生まれた付加価値のどの程度が日本に残るのか、である。

この点中国は改革開放以降伝統的に、自国に富を残すために、外資系メーカーに合弁事業を要件として求めてきたわけである。

 

2.日本人はアホなのか?

付加価値を日本国内に残すために、政策によらずに取れる方策といえば、せいぜい労働分配率を上げることだし、まず初めにこれをやるべきである。

しかしここで問題が生じる。

日本人が、労働条件闘争をやらないのである。

実際、私の周りを見ても外国人経営者やセールス担当者がサラリーを持っていき、日本人は下働きという外資系企業は非常に多い。

宅建業者における宅建取引士のように、法令上の資格者として必要とされている職種も、相対的に安く使われている印象である。

アホなのか?と思ってしまう。

雇用するは外資系企業で、欧米のスタイルで転職していくのが前提で雇っている。であれば、雇われる側は条件交渉をして、安ければやめてよそに行けばいい。それで会社が困ろうが知ったことではなかろう、迷惑をかけてやればいいだけである。

しかし、それを日本人の被用者はやらない。

実直といえばそうだが、はっきり言ってナイーブ過ぎはしないか。

 

3.日本の正社員の実態

社会学者の小熊英二氏が、興味深い指摘をしている。

【社会学】小熊英二「日本社会に隠された 「二重構造」を見抜け」by LIBERARY(旧名称:リベラルアーツプログラム for Business) - YouTube

2000年前後のいわゆる就職氷河期から非正規雇用が爆発的に増えて以降も、実は正社員の総数自体は大きくは変わっていないというのである。

農業従事者や自営業者が減り、それとほぼ同数の非正規雇用者が増えたという。

尤も、世代別の正規・非正規の割合には触れていないため、就職氷河期の世代の正規採用が集中的に抑制されていたか否か、という点については、脇に置いている点は注意を要する。

ただ、以上からまず推測されるのは、特に大企業を中心とした正社員は、若年層が新しく正社員採用されるのを抑制することで、自らの地位を守ってきたであろうことである。

実際に、90年台の不況以降、労使は強調して賃金の抑制をしてきた。

運命共同体である正社員が自らの賃金の抑制に積極的になるのは、雇用に流動性がなく、正社員はその会社にしがみつく傾向が強いからであろう。

日本には労使間の対立というものは、特に大企業には実質的には存在せず、実態は「正社員」という運命共同体でしかなかった。

メーデーなどは、結局ただのセレモニーに過ぎない。

官公労国鉄労組などはじめ、大企業労組なども伝統的に政治闘争うつつを抜かし、末には労働貴族なる謎の身分まで生まれ、多くはまともな条件闘争をしてこなかった。

こうしたことが労使協調、もとい正社員運命共同体の独断による賃下げ、非正規の劣悪な労働条件を生み、安値競争のアクセルをふかしてしまい、デフレを進行させてきたとの推測は成り立つ。

労使の条件闘争をしない「正社員運命共同体」ともいうべきぬるま湯の労使関係が続いたことが、「労使交渉などするものではない」という空気(=日本人が大好きな同調圧力)を産んできたのではないか。

近年は安値競争を産んだ「少ない需要と多い供給」というパワーバランスが崩れ、供給が細ってきた。

安値で働き付加価値を生まないことが常態化した日本企業の判断の鈍さ、品質の劣化、革新性の乏しさなども目につくようになってきた。

いい加減、労使で熾烈な交渉をしてでも賃金を上げられる状況を作らなければならないが、結局それを阻んでいるのはこうした諸々の日本の慣行や制度だということに行き当たる。

 

4.追い打ちをかけるように「低度外国人材」を呼び込もうとする政府

 

で、

人手不足になる→賃金上昇圧力がかかる→経団連老害どもが嫌がる→安い外国人雇えばいんじゃね?となる→どうにもならん外国人の単純労働者を招き入れ始める(イマココ)

という状態である。

外国からの人材は迎えるべきだが、それは日本社会に今までなかった知見を入れて、活性化するためにこそあるべきであろう。

そもそも、今現在程度の外国人在留者数で拒否反応を示すような世間知らずな日本人ごとき(まぁ私も日本人なのだが。なんなら家系図によると清和天皇藤原氏の両方の血を引くらしいが、まぁようはゴリゴリの日本人ですらある)に、今以上に労働者階級の外国人流入に耐えうる耐性も寛容性もなかろう。

そんなこんなで、低度外国人材(非熟練外国人労働者)の受け入れは、賃金上昇の阻害要因であるのみならず、社会的にもトラブルを(日本人のアレルギー反応などもね)招きかねず、悪手というほかない。

なお、この点についてはさほど心配に及ばないかもしれない。

というのは、現在の日本の物価は購買力平価ベースで比較すると1970年と同等、1ドル360円時代に戻った、とのことである。

大阪万博の夢よ、もう一度!である。

気になった人は↑でも見ればいい。

当時の栄光をもう一度と言うのがいかに馬鹿げた話かよくわかるというものである。

監督がアニメ界屈指の名監督、原恵一だけあって、クレヨンしんちゃんなのにめっちゃ泣ける。

話が横に逸れたが、言わんとするところは、1970年代の日本みたいな貧しい国に、誰が好き好んで出稼ぎにくんの?って話である。

逆の立場を考えればいい。

例えばカンボジアミャンマーに日本人が出稼ぎに行って、「1000円持って帰ってきました」って、それもうただ人生詰んでるだけじゃん、という話である。

つまり、残念ながらというか安心なことにというか、どうせ外国人労働者の呼び込みには失敗する公算が大きい。

 

5.何事も場当たり的に「済ませてきた」日本人

基本的に日本人は、諸課題を解決するのではなく、なんとなく済んだことにしてきた、場当たり的に済ませてきた、というだけである。

本来、整理解雇の要件や最低賃金などは、労働政策であり、これはすなわちマクロ経済政策でもあるわけである。

同時に、外国人材の受け入れも、当然マクロ経済政策としての側面がある。

さらに上記に加えて、豪州などは積極的に外国から良質な労働者を受け入れるために、豪ドル高を意識的に許容する為替政策などすら取っている。

つまり、一見関係なさそうなバラバラな諸政策を、マクロ経済、社会政策などさまざまな切り口から総合的に見て判断している国が多い中、日本は、まぁお察しの通りだということである。

整理解雇要件など、経済政策の「け」の字もわからん最高裁判例が元になっているのだから、お話にならない。最高裁が悪いというよりも、最高裁判例の整理解雇4要件がマクロ経済政策的にまずいというなら、政治がそれを立法で是正すべきであったものを、そうはしなかったということである。ここに、正社員運命共同体の岩盤があるといえよう。

いまさら始まったことではないが、改めていろいろ非常に残念な日本社会である。

日本の昨今の閉塞状況の原因は、「非思考」「非決定」「結果追認」を繰り返してきた日本人自身に多く負っているといえよう。

そしてそれは奇しくも、太平洋戦争開戦の際も同じだったのである。

 

 

 

東京に行ったら物が安かった件

 

1.東京に出張

年末のただでさえクソ忙しい時期に、しかも北海道後志地方の山間部では風雪や氷点下の低温で移動が難しい時期に、そういう事情をわきまえない連中がやれ取引だの会議だのを東京でやるから来いという。

いっぺん逆にこっち来てみろ。

で、しゃーなしに今週火曜日から木曜日まで東京に行っていた。

ただでさえ移動や感染症対策に神経を使う今回は、一番小さいOlympusのカメラさえ持っていかなかった。

こういう時に限って、東京は馬鹿みたいに天気が良かったのだが。

しかも、今年は秋に台風が来ず、暖かい日が続いたため、都内の並木や公園の木々はまだ綺麗に色づいていたというのに。

 

2.価格

ホテルは、コロナ禍の頃からかなり上がったが、ハイシーズンの時期のように5倍10倍ということはなかった。

3倍ほどだろうか。

他方で、ニセコ(比べる対象が悪いのだが)に比べて遥かに安かったのが、食べ物である。

ニセコリゾートでは、リゾート地区ではない倶知安町の市街地地区でもランチが1000円では食べられない。

ラーメン屋やカレー屋ですらである。

しかも、目を見張るような素晴らしい味、といいうわけでもない。よくてまぁ、普通のクオリティである。

ちょうど来週、町内では初めての全国チェーンのファストフード店すき家が開店する。これが高すぎる飲食価格にインパクトを与えてくれればと思うが。

ちなみに倶知安町マクドナルドやケンタッキー、吉野家等のファストフードが存在しないのは、小樽などの近隣の都市から距離が遠く、サプライチェーンを維持できないこと、町内の土地賃料が、予想される収益とマッチしない(人口が少なく収益性が高く見積もれないわりに、地価・賃料が不相応に高い)が障害のようだ。

そんな中、今後高速道路が延伸することも見越して、すき家が先陣を切ることとなる。

話を元に戻すと、昼食の外食価格であれば、1000円を切るかどうかが境界線となる。

市ヶ谷で宿泊をしていたため、防衛省や法政大学などの近くで昼食をとった。チキンカツの定食で850円。量は多くも少なくもないが、倶知安町内であれば1200円くらいはするだろう。

夕食を、買い物に出た秋葉原ヨドバシカメラのレストラン街で食べた。アキバのギトギトのラーメン屋やカレー屋などの、油ぎった客しかいないところで油ぎったものを食べる気にはならなかったので、この町ではおそらく一番高い価格帯と思われるところに行った。

ちなみにヲタクには、キモデブかガリヒョロしかいないとされており、筆者は後者である。

蕎麦屋で、温かい蕎麦と天丼の定食を食べたが、1250円であった。

天丼はきっちり一人前で、中位のエビが3尾、キス天などが入っていて、内容はしっかりしていた。

東京の飲食店は、ニセコ地区に比べて、原材料価格が競争により安く抑えられているのかもしれない(大都市である東京の方がニセコより原材料調達費が安く済むという推定自体おかしな話だが)が、それを遥かに上回るくらいの高額の家賃がかかっているはずである。

にもかかわらず、飲食費はおそらく2−3割もニセコより安い。

他店との競合が大都市では激しいのだろうが、それにしてもかなりの差である。ニセコ地区が、やはり競争不在の環境なのかもしれない。

ちなみに、比較対象がもし大阪だったら、と考えると、その差はさらに凄いことになろう。

大阪市内の、梅田から堂島・北浜や天満などを東京の都心部と比べると、感覚的には、値段が同じならば大阪の方が食べ物の量が1−2割多いように思う。

つまり、ニセコは大阪の1.5倍食べ物が高いことになる。

人口が少ない僻地の観光地のため、飲食の値段は高く、かつ全体のレベル自体は決して高くない(腕のいい料理人が一部高級店に入るが、裾野は狭い)。

競争が起こるには市場の人口が必要なのだろう。

10月旅行兼出張 その7 奈良

 

1.奈良町

奈良市内の興福寺東大寺などの観光スポットの南隣にある、あまり知られていないが昔の趣を残す町並み、奈良町を散策した。

新潟→春日山上越高田→斑尾→軽井沢→金沢→京都(岡崎、南禅寺方面)とめぐって、この奈良が締めくくりとなる。

散策スポットとしては、以上の錚々たる面子と比べて全く遜色なく、むしろ締めくくりにふさわしいとさえいえる。

奈良町の街並み

昔ながらの古い町屋や屋敷、寺社が非常に多く残っており、京都の清水や金沢ひがし茶屋街にも勝るほどと感じられる。

全体がかつての大寺院、元興寺の境内地、寺社都市であったらしく、道の細さも近代以前のものを引き継いでいると思われる。

ネパールの窓格子

町家の一角に、大阪万博に出展されたネパールパビリオンの格子窓が移設されたものがあった。

 

2.元興寺

いまから12年ほど前、司法書士試験の1回目の受験が終わって結果発表間近の学生の頃に行って以来の、元興寺を訪れた。

以前も秋の季節、9月25日ころだったと記憶している。それまで厳しかった残暑が、ウソのように急に25度の快適な日本晴れの日だった。

今回は10月初旬だったが、同じく過ごしやすい、一点の曇りない日だった。

元興寺

以前訪れた時に撮った写真と、あえてほぼ同じ位置から撮った。

12年前の写真

上下とも、萩の葉が繁っているのがわかる。

下の写真のexif情報を見ると、2011年9月23日撮影とあった。ほぼ記憶通り。

当時はまだ、シャープのガラケーだった。

他方で、上の写真はNikon Z6/NIKKOR Z 24-70mm f4.0で撮影したもので、焦点距離約35mmである。下の写真はおそらくもう少し画角が広く、フルサイズ換算24mmくらいかと思われる。

まぁ、おんなじモノを同じようなコンディションで撮っても、色乗り、透明感(抜け)の良さ、コントラストの大きさなどは全く違う。

というか違ってもらわなくては困る。

思えば件のガラケー、この1年前(2010年)にアメリカのロサンゼルスにも持って行ったのだった。ただのケータイ電話だけれども、当時の写真はすべてこれで撮っていたのである。

思い出や思い入れというのはやっぱり、機械の性能とは関係ない。他方で同時に、もし当時からカメラを持っていて、いまと同じ現像技術(といってもショボいけど)があれば、もっときれいに記録を残せたのになぁとも思う。

萩の花と、天平の甍(知らんけど)と、蒼穹

少しずらしてもう一枚

寺といえば花である。私の印象では、寺の方が神社よりも花を植えたがるように思う。

牡丹の長谷寺、椿(五色椿)の白毫寺などなど。

彼岸花

季節も季節ということで、写真に撮るのが難しいことで有名な被写体、そして日本のアニメーターが絵に描くのが大好きな花でもある、彼岸花が見ごろだった。

彼岸花の撮影が難しいのは、おそらく花弁の真ん中に光沢があり、かつ色合いがかなり紫寄りの赤(クリムゾン系)のため、露光調整や色相調整が難しいことが原因だろうと、撮ってみて思い知らされた。

 

3.最後に

街並みの中にある千年前の建造物

奈良の街中は、これが普通の街並みである。

京都にも八坂の塔などあるが、建造物の古さでいえば奈良の方が古いものが多い(東大寺大仏殿などは頼朝の寄進のため比較的新しいが)。

まだ観光客に見出されていない、のどかな雰囲気の残った古い町並みは、今や円安で観光ブームとなった日本では貴重な風景である。

ガチの町屋なローソン

何かと思えばローソンである。

京都や金沢で、景観条例に合わせて作られた町屋風のローソンなどとはワケが違う。

マジのガチの町屋でローソンをやっている(扉も手動っぽい)。

しかし中身はただのローソンである(当然)。

面白いような残念なような。

この後は、週末に滋賀県草津で講演(そもそも当初はこのために関西に帰ってくると訂だった。ずいぶんいろいろ寄り道をした)、新大阪で一泊、翌日は伊丹空港から北海道に帰った。

 

今回の旅行で、NIKKOR Z 24-70mm f4.0は、描写能力、計量コンパクトさともに相変わらず申し分ないものの、焦点域が70mmまでしかないのがしんどく感じた。

よって、つい昨日NIKKOR Z 24-120mm f4.0を買うことに決めた。

10月旅行兼出張 その6 京都市内

 

1.岡崎

ロームシアター

ロームシアターに蔦屋書店とスターバックスが入っている。

いかにもインスタ映え狙いのスポットで、いかにもな感じが強い。

ここの蔦屋書店はアート系の本を中心に取り扱うとかで、函館のそれのようなフルスペックの書店ではない。そのせいか、陳列も10年近く前に行った時の枚方の蔦屋書店のようにテーマ別で並べられ、検索性が低くわかりにくい。書店員のキュレーション能力が問われるが、果たしてどの程度しっかりできていたのかは詳しくみていないので何とも言えない。

平安神宮

岡崎あたりに来るたびに、平安神宮には寄ろうかどうしようか迷って結局入らない。

素晴らしい庭園があるが、中に入ったのはもう15年以上も前のことだと思う。

 

2.哲学の道

哲学の道に通じる道

2年ほど前にも行ったが、再び。

行きやすくて散歩がしやすいところとなるとここら辺になる。

哲学の道

以前は猫がいたが、今回は綺麗な音を奏でるアーティストがいた。

黒い金属製の打楽器で、カリブのスチールドラムみたいな感じのものである。

澄んだきれいな音で、木琴や鉄琴よりも柔らかい音がする。

高音のメロディも低音のリズムも一つのドラムで奏でていた。

ヒーリングミュージックのような感じで、平日の昼前で人が少ない哲学の道では雰囲気的に合っていた。

花と笹船

哲学の道の大豊神社の入り口の橋のあたりで、笹船を作って観光客に無料で振る舞っている人がいた。

他しか、以前ブラタモリでも写っていた人である。

自分で笹船をこしらえて、それを端から疎水に投げるように観光客に振る舞っている。

ただの趣味でやっているので無料で、危ないわけでは全くないが、外国人観光客はかなり警戒していた。

まぁ、日本以外でなら何かのぼったくりだわな、普通。ロスのサンタモニカビーチとベニスビーチの間にあるサンタモニカ・ピアにいる、勝手に人の写真撮っておいて高額で売りつける奴とかの方が、世界的には普通である。

で、世界標準からすれば怪しいが人畜無害なことを知っていた私は、写真を撮らせてもらった。

大豊神社鳥居

 

3.泉屋博古館

泉屋博古館

京都市内、特に岡崎から南禅寺、北白川にかけては、私立美術館が多い。

住友財閥系の泉屋博古館は、東京丸の内にもある。

京都のこれは、古代中国の青銅器の博物館として有名である。

館内 内庭

明り取りの窓

3000年以上前の青銅器などが多く収集されており、当時の制作技術の高さ、また殷周時代をピークに、春秋戦国を経て青銅器制作技術が低下し、当時のものに戻ることがなかったことなど、非常に興味深い。

2000年以上前に、既に中国は技術水準の衰退というものを経験しているのである。

現代科学文明が未だ経験していない未曽有の事態である。

 

4.禅林寺永観堂

入り口

紅葉のシーズン前の永観堂は、嵐の前の静けさのような状態だった。

永観堂自体いった記憶がなかった。

紅葉以外にも

紅葉がなくとも、庭の手入れの細やかさや、基底にある立体的で視線誘導を計算しつくした均整の取れた美しさは、やはり数々見てきた諸地方の城址や寺社の庭園とは「次元」が違う。

大名庭園などとでは、まず草木の手入れが違う。永観堂などの大寺社の庭園は、明らかに無駄なものがない。

これぞまさに、という感じの石庭

そして、「次元」が違う。

近世の回遊式庭園などでは築山などで立体的な造形をしてはいるが、その「立体感」が全くと言っていいほど違う。

背後に東山を背負っている地形を存分に生かして、深山の古刹という「雰囲気」の演出をしている。

ランドスケープそのものが計算されている

本堂から

本堂から阿弥陀堂に到る渡り廊下のあたりに、ガラス窓が嵌め込まれたところがある。

敢えて現代のきれいな板硝子ではなく、古く光が屈折するようなガラスが使われていて、これも視覚的な楽しみを提供している。

意匠の一つ一つが膨大な時間と手間のかかるものだと想像される。

阿弥陀堂の柱

仏教独特の極彩色で彩られていた。

苔のむした瓦

他方でこれは演出ではないと思われるが、こうした湿度の高い質感が京都らしい。

これは雪の多い金沢にはない風情である。

山の方へ

東山の中腹まで境内のため、登っていくことに。

舎利殿(多宝塔)からの眺望

永観堂の最上部である仏塔の近くでは、モミジが色づいていた。

葉の間から除く建物は京大病院か?

遠くに西山が見える。

南の方を望む

画面左側が蹴上方面、真ん中が京都市中心部である。

下山したら、蓮が咲いていた

蓮がちょうど綺麗に咲いていた。

上越では花が落ちてハスの実ができていたが、こちらは満開である。

平安神宮へと戻る

ぐるっと歩いて、平安神宮に戻って来た。

永観堂は、11月後半の紅葉のシーズンともなると、東福寺と並んで人の頭しか見えないの混みあいとなる。

浄土を思い描いた庭園が地獄絵図の混雑というのは何の冗談か。

ど真ん中のシーズンを外しても、十分にいいものが多い。

落ち着いて見られるだけ、むしろ時期を外した方がいいのではとさえ思う。

まぁ、京都の近くに足場がある人間だからこそ言えるのだろうが。

 

軽井沢から金沢経由で近畿に帰る旅

 

1.軽井沢

軽井沢で一泊してからの近畿地方へのルートは、二つある。

殆どは北陸新幹線で東京まで行き東海道新幹線で帰るルートを通るだろう。

しかしそれではなにも面白みがないため、北陸経由で帰ることに。

ちなみに軽井沢駅は3連休で大混雑

軽井沢駅南側直結のアウトレットモール

新幹線駅である軽井沢駅も、そのそばのアウトレットの駐車場も大混雑で、東京に近いリゾート地の強みは圧倒的に大きいと感じた。

駅南側

デマンドバス

交通マヒ一歩手前の軽井沢で、面白かったのがデマンドバス「よぶのる軽井沢」だった。

ネットでアカウントを登録すると、来てほしい時間に来てほしいバス停でバスを呼ぶことができる。

路線バスのようにルートが決まっていない(寄るバス停のみが決まっている)ので、タクシーのように裏道も通れると運転手の方が言っていた。

軽井沢町西武鉄道JR東日本の取り組みらしく現在は試験運行段階とのこと。

こうした二次交通はますます必要になるだろう。

軽井沢駅ホーム

下り線金沢行き。

軽井沢駅の待合室

ホームの待合室が気密性が高く快適で、寒い地域ゆえに非常によくできている。

JR北海道には無理だろう。。。

 

2.金沢

ひがし茶屋街

金沢に数か月だけ住んでいた時にも、結局茶屋街にはロクにいかなかった。

混んでいてクルマが止められないためだ。

今回は公共交通のみを使った旅行のため、金沢駅での電車待ち時間を使ってバスでひがし茶屋街に行った。

ちなみに、今回は北陸新幹線で金沢についてから、大阪行きのサンダーバードまで二時間半ほど空けた。

ひがし茶屋街の灯篭

灯篭などを各町家に設置して、道に柳の木を植えるなど、街の魅せ方に工夫と努力が凝らされている。

この点は京都などと同じで、「自分が美人だとわかっている美人の自分の見せ方」がわかっているハイレベルな観光都市である。

軽井沢は、こういう方向性のレベルの高さではない。あちらは、富裕層の別荘地というブランド力と、大手デベロッパーによる資金力に物を言わせた開発が主導している感がある。散策する観光客の相手をするという優先順位は、あくまでその次といったところか。

やなぎ庵

相変わらず天気は悪かったが、街中でカメラを持っていると撮れ高が自然と上がるのが、こうした上級観光都市の特徴である。

適当に歩いていても勝手に絵になる写真が撮れるように、工夫が凝らされているということだ。

路地

北陸の瓦

金沢の建物の瓦には、釉薬が塗られている。

雨が降ると特に光沢がよくわかる。

雪で割れにくいようにという工夫で、京都にはない風情である。

浅野川大橋

観光客向けに様々な工夫が凝らされていて、京都でいうと清水近辺に近い印象がある。

実際に、お茶屋置屋ではなく、ほとんどがレストラン、小物屋、カフェなどで、もともとの「茶屋街」という感じとは異なる。

他方、祇園などの現役の花街などは「うっとこは観光スポットとちゃいまっさけ、観光客の方々は来はらへんでもかめしませんえ(=来るな、の意)」という感じで、観光客誘致のための努力などしていないのだが勝手に観光客が来てしまう。これがいかに異質かがよくわかる。

他方で、後日掲載する奈良市の奈良町である。

率直に言って、奈良町の潜在能力であれば、金沢ひがし茶屋街のレベルには十分に達し得る。それだけの街並みと、在所の商店が多く残されている。

金沢と同じか、それ以上のレベルの「美人」であるが、どうも当人が気づいていないようでもある。

おそらく後は、ひがし茶屋街における灯篭や柳のような、ちょっとした見せ方の工夫と努力で大化けすると思うが、これはまた後日。

野尻湖テラス、斑尾から軽井沢への行き方

 

1.東急タングラム斑尾、野尻湖テラス

ホテルからリフトで野尻湖テラスへ

宿泊客には無料のリフト往復チケットがある。

リフトは朝9時運行開始。チェックアウトは11時まで、飯山行のバスの11時発ということで、朝の散策がしやすいように設備の時間が設定されている。

リフトを降りると案内が

展望テラスの他に喫茶店がある。

展望テラスへ

標高11メートルなので、グランヒラフスキー場の上の方と同じくらいの高さである。

コース図

コース数は結構多く東側尾根と西側尾根で別れているらしい。

いまいるのは妙高山と向かい合う西側尾根でこちらを登ってきてタングラムに着いた。

反対の東側尾根は飯山に向かっており、後でそちら側に下りていく。

どちらも北西、北東斜面で、雪質はいいのだろう。

よく見ると初心者級の斜度でも結構上まで行けるようになっているようで、見た感じは良心的である。

野尻湖テラス、Z NIKKOR 24-70mm

AF-S NIKKOR 70-300mm

野尻湖から西南方向を見ている。奥に見えるのが白馬三山や後立山連峰と思われる。

今回は望遠ズームのAF-S NIKKOR 70-300mmと標準のZ NIKKOR 24-70mmを持って行き両方で撮ったが、後者の方が発色はいいように感じた。

妙高山

妙高は頂上が冠雪していて、これは北海道の羊蹄山などより早い。

標高が3000メートル級のためである。

集落

妙高山と集落

北東方面

さすがにびわ湖テラスなどのような手の込んだ作りのインスタスポットではないが、喫茶店などで1時間ほどは滞在できるように作られていた。

 

2.飯山から軽井沢へ

飯山駅

ガラス張りの立派な駅で、中には休憩できる喫茶店などもある。

ただ、エレベーターやエスカレーター、階層の作りがわかりにくく、重い荷物を持って移動するには難儀だった。トイレも1階にしかないなど、ややわかりにくかった。

ハルニレテラス

軽井沢は視察のための訪問で、ほとんど掲載する写真はない。

ただ駅南のアウトレットモールは高級店が並び大盛況で、ほとんどが南関東のナンバーのクルマだった。

夜の空き時間に、中軽井沢の星のリゾートが手掛ける商業施設を見に行った。

遊歩道や日帰り温泉など一帯をすべて星野が開発しており、星のリゾートの発祥の地での強さを感じた。

上越から鉄道・バスで斑尾へ

 

1.上越市から三セク鉄道で信濃町

越後トキめき鉄道妙高はねうまライン

よくわからん名前の三セクだが、北陸新幹線の開業と同時にJRが三セクに落とした並行在来線である。

ここから品野町の黒姫駅まで、妙高山を西に仰ぎながら進む。

 

2.黒姫駅

途中スイッチバックをしながら標高を上げていき、気温は北海道と変わらないくらい涼しくなっていく。

黒姫駅

駅前はものすごくレトロな雰囲気であった。

ここから、バスで野尻湖を横切りながら山を登り、東急タングラム斑尾に宿泊する。

 

3.タングラム斑尾

入り口はスキーインアウトの設計

バブル期の団体客の大人数収容を基本とした設計

バブル期の需要を前提とした作りのため、古く感じる。

フロントも広い

いまはあまりメジャーではなくなった団体旅行というものを意識した設計なのがよくわかる。

野尻湖テラスの映像を映すモニターのあるロビーとカフェラウンジ

レストランはビュッフェスタイルで混雑いていたが、採った食べ物を部屋に持ち帰れるテイクアウトサービスがあり、便利だった。

部屋はサイクリストルーム

サイクリスト向けの部屋しか空いていなかったのでこれにした。

自転車を持ち込めるように広々していて、テイクアウトで飲食をするにももってこいだった。

他にもウィズペットルームなど、近年の旅行目的の多様化に合わせてニーズを汲み取ろうという経営努力が見られる。

消毒

消毒とペーパータオルを用意してくれている点など、気が利いている。

什器備品、上段の氷を入れるバケツなどには黒いカバーの色紙がまかれており、古いものを何とかつい会い続けているのがわかる。

リノベーションされた内装

水回りなどの大物はそのままだが、壁紙やスイッチ類などは新しいものに更新されている。

設備が古くなり、資本的支出がかさむ状況が想像される。

そうした中でも、何とかできる範囲で古臭くならないようにしようとしているのがわかる。

東急はもっぱら渋谷の再開発以外には興味がないようで、ニセコ以外のリゾートの収益は芳しくないそうだ。

爪の先に灯をともすような中での現場の努力が垣間見られる。

現場が頑張りすぎると、ますます上が無能になるというのが日本の組織のダメなところなのだが。