手軽な一揆の起こし方

エセ評論家の生活と意見

コロナ禍の中東京に出張

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7月が麦秋

どうやらここら辺は7月が麦秋らしい。

羊蹄山のふもとで麦が作付けされている地区があり、今は金色に実っている。

 

今回はこの緊急事態宣言下にやむなく東京出張。

宣言で人手が多少減ってくれているかと思いきやまったく減っておらず、ただ単にホットスポットに乗り込まされる羽目になった。

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江戸城和田倉門
北洋銀行東京支店の真向いは、写真の江戸城和田倉門。

丸の内からこれほどまじまじと江戸城城郭を見たのは、思えば初めてだ。

都心部で用があるときでも、市ヶ谷や飯田橋など北側から見たりすることが多かった。
 

丸の内側から見て改めて感じるのは、やはり江戸城は「関東の城」だということだろう。

これは石垣を見ればわかる。

江戸は谷が多く高低差がある。自然地形を利用して、防御力の高い城郭形成ができる。

そのためもあってか、大阪城名古屋城に比べて石垣が低い。

高石垣を見たければ、半蔵門付近まで回ればいい。

さらに城郭北辺に行けば、土塁と石垣により複合的に形成されているのがわかる。

このように、石垣による城郭形成が中心の西日本の城に比べ、江戸城は、石垣にこだわるわけではなく、様々な技術とその大規模な組み合わせで防御力を調達していることがわかる。

その城郭の異様なまでの巨大さは、写真の和田倉門を見てもわかる。

曲輪としては、西の丸下という城郭形成領域で、これの機能は「馬出し」と思われる。しかしその規模は通常想定される「馬出し」あるいは「馬廻し」のそれをはるかに超えており、もはや独立した曲輪とみて差し支えない。城内に大軍勢を駐留させることを想定していると思われる。
さらに和田倉門自体は大きな枡形虎口を形成し、侵攻してきた敵兵力を滞留させ、効率的に迎撃することが企図されている。
江戸城は全体に渦郭式城郭であり、この馬出の後に西の丸(現皇居)、二の丸、本丸と、寄せ手は迂遠な侵攻を余儀なくされる。

丸の内側は平坦で、2次元的な構成であり、それゆえに上記のような城郭のトラップを巨大化・技巧化して対処していることがわかる。

一方、赤坂・永田町方面などは、赤坂見附櫓跡を見てもわかるように、グランドレベルの変動が激しい。城郭西辺はこの複雑な地形を防御に駆使している。

 

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羽田空港から

今回は、出張なのでカメラはOlympus PEN EP-1にした。

PENでRAW撮影するのは初めての試みであったが、RAWで撮ると、マイクロフォーサーズといえども10MB前後のデータ量になるのには驚いた。

Olympusは、JPEG撮って出し撮影をするときには、カメラ側でかなり色を調整してくれるようで、写真映えする画を吐き出してくれる。

RAWだとそういった処理はされないので、このカメラ本来の、撮ったまんまの画が出てくる。

Lightroomで現像してみても、特にNikonと比べて特性がどう違う、というのは数枚現像しただけではわからなかった。

特段Olympusお得意の「青」が引き出しやすい、などということもない。

羽田からの写真は、Olympusのブランドカラーである青を、勝手に自分で意識して強めている。

ただ全体通して感じたのは、もう10年以上も前の、それも入門機種(宮崎あおいのCMを見て買った人も多いという)、さらにはマイクロフォーサーズでありながら、非常によく映ってくれる、ということ。

これの次のモデルのPEN LITEなんて、さらにきれいに映るからね。

感心しました。