手軽な一揆の起こし方

エセ評論家の生活と意見

アニメ「平家物語」視聴完了レビュー前編

本作の正体は、「The Making of Feiqe Monogatari」だ!

 

heike-anime.asmik-ace.co.jp

 

小説家の古川日出男による現代語訳の平家物語を底本として、山田尚子監督、吉田玲子脚本、制作Science SARUで作られた本作のレビュー。

 

評価スコア

1.アニメーション技術面 53 60  
1)キャラクター造形(造形の独自性・キャラ間の描き分け) 8 10  
2)作り込みの精緻さ(髪の毛、目の虹彩、陰影など) 8 10  
3)表情のつけやすさ 9 10  
4)人物作画の安定性 10 10  
5)背景作画の精緻さ 8 10  
6)色彩 10 10  
       
2.演出・演技      
声優 161 170  
1)せりふ回し・テンポ 9 10  
2)主役の役者の芝居(表現が作品と調和的か・訴求力) 9 10  
3)脇役の役者の芝居(表現が作品と調和的か・訴求力) 9 10  
映像      
4)意義(寓意性やスリル)のある表現・コマ割り 10 10  
5)カメラアングル・画角・ボケ・カメラワーク 10 10  
6)人物表情 10 10  
7)オープニング映像 10 10  
8)エンディング映像 10 10  
音楽      
9)オープニング音楽      
作品世界観と調和的か 10 10  
メロディ 8 10  
サウンド(ヴォーカル含む) 8 10  
10)エンディング音楽      
作品世界観と調和的か 10 10  
メロディ 9 10  
サウンド(ヴォーカル含む) 9 10  
11)劇中曲      
作品世界観と調和的か 10 10  
メロディ 10 10  
サウンド(ヴォーカル含む) 10 10  
       
3.ストーリー構成面 68 70  
1)全体のストーリー進捗のバランス 10 10  
2)時間軸のコントロール 10 10  
3)ストーリーのテンションの保ち方のうまさ(ストーリーラインの本数等の工夫等) 10 10  
4)語り口や掛け合いによるテンポの良さの工夫 8 10  
5)各話脚本(起承転結、引き、つなぎ) 10 10  
6)全体のコンセプトの明確性 10 10  
7)各話エピソードと全体構造の相互作用 10 10  
       
  282 300 0.94

得点率94%でランクS

当然といえば当然の結果。

 

批評

1.基本情報

本作には、平家物語に存在しない者が登場する。

主人公の琵琶である。

主人公がオリジナルの登場人物という、驚くような内容だ。

しかし、あたかも本作は「初めからこうだった」かのように何の違和感もなく溶け込んでいる。

琵琶は、琵琶法師であった父とともに流浪の生活を送る中、都で平家のかぶろ(密偵)に父を惨殺される。

平家に恨みを抱いていたが、運命のいたずらにより小松殿平重盛に拾われる。

琵琶には自分が触れた者の行く末(未来)が見える異能があり、重盛には自らが死に至らせた人々の姿が見えるという異能があった(これもオリジナル設定。念のため)。

平家の世の行く末を憂う重盛と、死別した父・生き別れた母を追う琵琶は互いをなぐさめ、支えあいながらともに時を過ごす。

そんな中、殿下の乗り合いに端を発し、叡山強訴、鹿ケ谷事件を経て平家政権の将来に暗雲が垂れ始める。先を憂えた重盛は、熊野詣で得た病がもとで他界する。

琵琶は、重盛の死者を見る目を授かり、平家の悲惨な未来の行く末を知りながら、それでもなお見つめ続け、後代に語り継ごうと琵琶を手に取る。

 

2.「琵琶」という視点~The Making of 平家物語

平家物語は、信濃前司行長の作とされるが、語り物としての原作者は不明。多くの語り手の手を経て完成に至った名もなき多くの声のポリフォニーであろう。

今作の琵琶の語りは、そんな平家の運命の最初の語り手、いわばグラウンド・ゼロにいた者の声である。

平家の人々の中にありながら、彼らとは異なる第三者の視点で、彼らが見えない未来と過去(死者)を見る俯瞰的な視点を持つがゆえに、平家物語が生まれた=語られ始めたという、そのプロセスを描くように語られる。

面白い事に、ストーリーはまさに平家物語のままで、現在放映中の「鎌倉殿の13人」などの近年の中世史研究の成果を基にした新解釈などを投入することは一切ない。エポックや歴史事象の解釈は100%平家物語(=フィクション)のそれである。にもかかわらず、琵琶の視点から、つまり「こうして、平家物語は生まれた。」的視点から描くことで、あたかも平家物語が生まれるまでを描いたドキュメンタリー映画のような視点をも兼ね備えている。しかし、ドキュメンタリー映画的視点であるにもかかわらず、「平家」の生成プロセスには、未来を見通す異能と、死者を見る異能という「魔術的」な要素が深くかかわっている。

いくつものメタ的な視点が重ねられている=「歴史的事実」の上に「平家物語」というフィクションのレイヤーが被せられ、その上にさらに本作独自の「メイキングムービー」的視点からの語りが被せられる。こうした現実性と幻想性の混交が、まったく違和感なく成立しているところが本作の異例な点である。

なぜだろうか?

 

3.魔術的リアリズム

幻想的=魔術的な要素が、こうしたドキュメンタリー的視点と溶け込む理由は、一つには中世という時代背景があるように思われる。中世は、魔術の時代である。

平家が東大寺の焼き討ちを行った数か月後、高倉上皇と清盛は相次いで亡くなる。当時は、東大寺を焼いた仏罰であると強く信じられた。

南都北嶺を始めとした巨大寺社には、「呪詛」の力があると信じられていた。武士はおろか、天皇ですらも彼らの意に染まなければ、「調伏」「呪詛」の対象となった。そして彼らの大規模な護摩行などの後で対象が病を得でもすれば、それはすべて寺社の魔術的実力の成果として疑われなかった。

 

魔術に近い時代とは同時に死に近い時代でもある。

死が近いからこそ、魔術に頼ったともいえる。

こうした時代背景においであれば、運命を見通す魔眼、死者と交感する魔眼などは、当然あり得たかもしれない事象として、魔術的世界の中に落とし込むことができる。

魔術的リアリズム(あえて南米文学のそれと同じ言葉を用いよう)の世界として「メイキングムービー的視点」で描くー魔術的リアリズムの世界で、現実と幻想が混交するーことを考えた山田・吉田コンビは、やはり途方もない天才だと思う。

 

4.女性の視点、描かれ方

物語前半で特に印象深かったのが、つま先をさすり、あるいは日向で寝転がりながら猫のようにのんびりと琵琶と語らう入内前の徳子の姿である。山田が「けいおん!」のころから得意とする、「かけがえのない日常」の一風景である。彼女が今までこだわり続けて描いてきたこの日常が、その先を知るすべての視聴者の目に、これほどにも悲しくはかないものとして写ることがあろうとは思わなかった。我々後世の人間はここで、「先を見通す」主人公=語り手=琵琶と、この日常のはかなさと愛おしさを共有するのである。語り手と鑑賞者の間での、まるで純正律でのハモりのような美しさが生まれる。

もう一人象徴的な女性は、物語前半に登場する祇王である。

祇王」のエピソードは、元来平家物語においても出色の繊細なエピソードとしてファンが多く、戦が少なく地味な平家物語第一巻中では最も印象的な話である。

清盛に気に入られて屋敷に部屋を与えられた白拍子祇王が、仏御前に心が移った清盛から追い出されるも、仏御前が話し相手を求めたことから無神経な清盛により追い出された屋敷に呼びつけられる。自らの権力者に翻弄される運命を嘆いた祇王は、落飾(出家)して嵐山に庵を編み、そこに同じく出家した仏御前が加わり、ひっそりと仏道に帰依する静かな日々を送るに至る。

強き者に翻弄され、自身の好むと好まざるとによらず栄華と没落を味わわされたはかなき者たちの、声なき声を描く異色のエピソードであった。山田監督ならばたぶんこれは映像化するだろうと思っていたが、やはり映像化された。おそらく彼女が最も得意とするタイプのエピソードであろう。

ちなみに、祇王が庵を編んだ祇王寺は嵐山にある。

www.giouji.or.jp

祇王の出身地は近江の中主(現滋賀県野洲市中主)とされ、そこにもまた妓王寺(字が違う)がある。

genpei.sakura.ne.jp

 

長くなりそうなので、以下後半に続く。