手軽な一揆の起こし方

エセ評論家の生活と意見

北信越巡行 その2 妙高赤倉

一日目は富山を経て糸魚川のビジネスホテルで泊まった。

翌日は、糸魚川から妙高を経て長野を周り、白馬に至った。

朝7時半に出て、昼1時過ぎに白馬に至った。

本当は、上越高田などゆっくり見てまわりたかったが、時間がなく駆け足で早朝の妙高を見た。

 

1.早速やべー廃墟発見

温泉街から離れた場所にある廃ホテル?

赤倉温泉の温泉街&スキー場に行く途中、早速イイ感じにヤバいバブルの残滓に出会った。

バブルの豪壮(=悪趣味)な建物の廃墟を、バブルとバロックをかけて「バブロック様式」と呼称している私だが、ここは悪趣味さにおいてはあまり大したことはない。おとなしい方である。
お化け屋敷か?

道のザラザラ感もイイ感じだ。

廃ホテルの名前は

いかにもバブル。

全国各地の温泉地にある怪しい廃墟の一つである。うーん、そそられる(笑

で、望遠ズームで覗くと(←変質者

中から人が・・・

なんか玄関に車止まってるし、

しかも人出てきたし!!!

ホテルとしてはやってないはずだが、いったいどーなっとるのか?

調べてみたらこうでした↓

haikyo.info

現在はサバゲ―施設として利用されている模様。

もしかして、アニメのコスプレ撮影用のスタジオとしても結構いいんではないだろうか。

冬にやってたコスプレをテーマにしたアニメ「その着せ替え人形は恋をする」でも、廃墟スタジオでのコス撮影というトピックがあったし。

アニメの廃墟での戦闘シーンの再現とかね(コードギアスルルーシュ覚醒のシーンとか、Darker Than BlackFate/Zeroの戦闘シーンとか、かなりイケる気がするぞ!知らんけどw)

廃墟とは、ヲタクホイホイなのかもしれない。

コロナ禍の移動規制が緩和されていったら、世界中からコスプレガチ勢を呼ぶがよろしい。

てか、「廃墟検索地図」なるサイトがあるのねン。

お気に入りに入れとこ

ちなみに↓みたいな、さも現在もホテルとして営業中であるかのようなことをぬかすサイトもあって紛らわしい。

www.akakura-resort.com

廃業してるんだったら載せるなよ・・・

ここは温泉街の外れも外れ。

果たして温泉街の中はどうなっているか???

 

2.んで、赤倉温泉街へ

温泉街にも閉業旅館が

うーん、温泉街に入っても一緒だったわ(汗

www.joetsutj.com

このネットニュースによると、4年前に破産してます。

この業界の隠語で「飛んだ」というやつですな。

さて、建物は取り壊されず当時のままだが、果たして物件の買い手はついたのか?

他も見ていこう。

絶賛取り壊し中

さっきの「大丸」のはす向かいは、ぶっ壊してました。

ぶっ壊しているというのはネガティブなことではない。

なぜか。

壊す金が見つかったからである。

つまり、誰かが古い物件を買って、再建築のために取り壊している可能性が高い。

閉業中のホテルにつては判断がつかないが、こうした取り壊し中の物件については、資金注入がされたという可能性が高いのである。

買い手は外資か?

赤倉温泉は、後に行く白馬の栂池などと同じく、スキー場の山やその下の温泉街などが、「入会地」(「いりあいち」と読む。「にゅうかいち」ではない)になっているのかもしれない。

前近代からの村落による共有=惣有である。

そこ地がそうした土地の場合、土地利用者は建物だけを所有することになる。

こうした古来の権利関係の形態は、外国人にはまず理解できない(日本人、それも法律専門家でもにわかには理解できない)。

こうした土地の利用権はそれゆえに、忌避する外資と、訳も分からずに取得するアホな外資に二分されることになる。

後者は、訳が分かっていないがゆえに、単にリスク選好しているだけで、従来の伝統的な仕組みを理解する意思も能力もない。

そうした人間に利用権が渡って、地域との軋轢が生まれるようなことがないように、きちんとコントロールする主体が必要である。

赤倉かどうかは知らないが、実際に顧客からの伝聞で、こうしたトラブル物件を抱えて、半ばほかの投資家をだますようにして押しつけ、売り抜けようとしている外国人投資家がいるとは聞いている*1。こうした者が噛むと、地域にとっても将来のためにも何の利益も生まない。日本人が、外資と渡り合ってきちんとコントロールをせねばならない。

朝のすげーガスってる赤倉温泉。さらに幽霊屋敷感が増し増し

朝なんだけどなぁ。

十分怖いんだよなぁ。

お化け屋敷感が半端じゃねぇんだよなぁ。

ここはやっているのか・・・

ここは営業中か否かわからなかった。
ネットで検索してもはっきりとした情報がない。

上記で調べてきたホテルなどでも、閉業中でもじゃらんなどのページがそのまま放置されていることもあり、はっきりとした状況がわからへんのである。

 

先が見えねぇ(物理)

すんごいガスってました。

それがまたこの赤倉温泉街に対する自分の印象をだいぶ捻じ曲げてしまってますw

ここは、ニセコなどと違ってもともとは「温泉街」で、そこにスキー場ができたという、バブル当時で考えたならば「もともと温泉街なうえにスキー場までできて無敵だぜヒャッハー」な状態であったことは想像に難くない。

しかし、バブル崩壊とその後の長い低迷、ニセコ二匹目のどじょうを狙う外国人開発者の乗り込み、その直後のコロナ禍の再びの打撃、という経緯を経て今に至っていると思われる。

しかし、先述のように、北海道などと違い信州や越後は古来の山岳宗教や林業の伝統があり、そこには惣村、惣有などの近代民法典の権利規定の埒外にある「慣習法的物権」が存在する。

これらをまず、法律の専門家自身がとらえなおす必要がある。

そうしたものをきちんと説明し、合意できる点を探る作業を経て初めて、海外も含めた多くの投資家と地元民双方にとって益となる再開発や復興ができると思われる。

スキー用品やスキースクールに関しては、すでに外国人事業者が活動している

彼らが地域の活性化に役立つのならば歓迎されるべきことである。

しかし、こうした不動産資本を必要としない形態の事業者と、不動産そのものを対象とする事業者=不動産屋やホテル事業者などについては、街づくりそのものに甚大な影響を持つため、きちんとした対話と包摂が特に必要である。

このホテルは果たして

楽天トラベルで昨年3月口コミが最新のものとして残っている。

ということはやっているのか、それとも今年はやっていなかったのか?

なにせ、街そのものを見る限り、コロナ禍の大打撃もあってかなり苦しい状況なのかという印象を受ける。

しかし、街が活動し始める前の時間帯の訪問だったため、この状況で判断することはできない。

いずれにしても、外資を導入するにしても、特に従前の分厚い歴史的文脈のある地域であれば、より一層「統合」や「包摂」という、歴史的文脈にいかになじませ、かつその中でいかなる化学反応を起こさせるかの制御への意志が極めて重要であることは言を俟たないだろう。

*1:ちなみにこうした話をすると、すぐそうした外資は本土中国系ではないか、と推測臆断する人があるが、私が聞く限り彼らはこうしたリスク資産には手を出さない。菅見の限りではあるが、こうした物件に手を出して、さらに別の人間を巻き込もうとしているのは、さる西側先進国の出身者たちが多い。訳の分からんモノを安く買いたたいて、訳の分からんまま高く売りつける、有り体に言えば転売ヤーである。どこの国々とは言わんのでご想像に任せたい

北信越巡行 その1 富山

先週は土曜日から富山入りだったため、ここ2週間近くずっと動いていた。

あー疲れた。

行った先の写真を順に載せていこうと思う。

まずは富山から。

 

 

1.富山城

富山城とハンギングバスケット1

富山城は昔小学生の頃に行ったことがあるはずである。

確か小6くらいで、金沢、富山とお城巡りをした時だ。

しかし、まったく記憶に残っていない。

なぜか。

再び行ったらわかった。

ショボすぎたからである。

元・城マニアで現・城評論家の私に言わせれば、城としての公園化の仕方が、全国的に見てもかなりずさんな部類である。

まず、天守閣「風」のなにかは、完全にでたらめなただの資料館である。

いわゆる「模造店主」、あ違った「模造天守」である。

石垣は一応往時のものらしい。

ここに大問題がある。

するってぇと何かい、古い時代の価値ある石垣の上に天守閣こと出鱈目なReinfoeced Concreteの模造品を建てたってぇのかい?

富山城本丸枡形 鏡石

ご覧いただけばわかるが、築城時の普請で嵌め込まれた、普請した大名の権威を見せつけるための鏡石がある。

ただの復元石垣でこのような無駄なことはしない。実際この石垣は、江戸初期の築城時のものと、天守閣こと出鱈目なReinfoeced Concreteの資料館に書いてあった。

河村たかしチャンが名古屋城天守閣を木造完全復元すると言ったら、今の出鱈目な復興天守を壊すだけで石垣が痛むからダメと専門家からおしかりを受けていらっしゃった。

当時は無神経にも天守閣こと出鱈目なReinfoeced Concreteを立てておきながら、オリジナルに忠実に建て直すと言った途端デリケートだから取り壊しすらもするなという世の中になっている。時代は変わるものである。

ちゅうことは、今の基準でいえば、そもそも貴重な石垣の上に天守閣こと出鱈目なReinfoeced Concreteのそそり立つクソ*1を建てるなど、およそ市中引き回しの上打ち首獄門となること必定の蛮行である。まぁ実際そんなことにはならない。刑法上規定されていないからである。

開発主義の時代の軽佻浮薄でテキトーなことをやると、結局後世顰蹙を買うか、よくて城評論家を鼻白ましめる程度のゴミが聳え立つだけである。

 

だがしかし石垣はいいぞドゥフフフフ

変態である。

見ると妙な石垣である。

笑い積みか?

大きい石の隙間にこうした小石を入れる整形は、あま目にしない。

江戸初期に金沢前田家の支藩高岡藩」を廃止し、高岡城を破却した後、10万石をもって前田家の分家として独立した富山藩が成立した。

築城年代は江戸初期である。

よって築城技術は絶頂期にあったはずである。

通常であれば、打ち込みハギなどの整然とした石垣が、城主の威光を示すために採用されることが多い。

本事案でこうした石積みが採用された理由がいかなものであったのか、理由がわからぬ。

こうした疑問に、天守閣こと出鱈目なReinfoeced Concreteの資料館は無論答えをもたない。

富山城とハンギングバスケット2



 

2.富山県美術館

打って変わって富山県美術館は予想にたがわず立派である。

tad-toyama.jp

北陸には、金沢21世紀美術館がある。

この強大な存在感の陰に(富山全体が)隠れている感がないではない気がしないでもないように気がそこはかとなくするかもしれないのだが、この美術館はもっと世に知られるべき存在である。豊橋でいうのんほいパークみたいなもんである*2

館内1 24mm画角相当

特別展は絵本原画展で、「ぐりとぐら」やら諸々のヒット作の原画が並んでいた。

特筆すべきは施設そのもので、幾何学的かつ木材を多用したインテリアは美術館そのものが鑑賞の対象という、美術館のトレンドをきちんと踏まえている。

館内その2 35mm画角相当

最近はこのほかにも、青森県立美術館など、府県立美術館が改修等を経て、いいものが増えている。あえて「道」を入れなかったのは、道立美術館は美術館のハコも特別展の中身も驚吃すべきほどにつまらんからである。都立は知らん。なお、滋賀県立近代美術館のように、金沢21世紀美術館をデザインした建築家ユニットSANAAにデザインまでしてもらいながら、鋼材価格の高騰で工事入札不調、結局現行の建物を継続使用することとした残念な例もある。頼むよ三日月ちゃーん。

 

屋上

屋上には遊歩道と遊具があり、子供が遊べる公園になっている。

ここが市民に人気の場所である。

美術館ファサード

この美術館は、「富岩運河環水公園」なる公園に隣接している。

美術館より環水公園を望む

ご覧の通り曇天である。

環水公園その1

この環水公園は、世界一景色のいいスタバがあることで10年程前に一世を風靡しない程には話題になったあのスタバがある公園である。
なぜ不味いコーヒーを高い金を出して買わねばならぬのか。私は反スタバ民である。

Brook'sのコーヒーを家で淹れる方がよほど効率的ではないか。家に引きこもって何が悪いか。

環水公園その2

だんだんリア充の巣窟であるスタバに近づいてきた。

リア充の波動に抗いつつ懸命に前進を敢行する。

環水公園その3

あれ、この写真二つ前のとあんまり変わんねぇな。

出た。敵の巣窟スタバである

手前端の立ち入り禁止の立て札が心地よい(錯乱)

なに?結局お前はスタバに行きたいのだろう行きたいのに入る根性がないから遠くから指を咥えて変質者よろしく望遠で写真を撮っているのだろう、だと?

近代建築の遺産

近くに運河があり、そことの間の閘門である。
明治期くらいの貴重なものらしい。

イイ感じにガリガリの写真が撮れた。曇っているからこその質感でもある。

 

3.文苑堂

文苑堂豊田店(ここからはスマホ写真)

富山は本屋の街でもある。

明文堂書店は、金沢でも旗艦店Beans*3を運営する富山の書店界の雄だ。

双璧をなすもう一角が文苑堂だ。

せっかくなので、金沢在住時によく行ったこの文苑堂の、富山の店に立ち寄った。

店内はこんな感じ

いい。

かなりいい。

点数高いよこれ。

書店評論家である私からすると、低くはない評価となる。

「高い評価となる」と言わない理由は一階に「無知の殿堂」の誉れ高いTSUTAYAが蟠踞しているためである。

文庫書棚の陳列が秀逸であった。

ご覧いただこう。

文庫・小説の棚

小説の棚である。

最近はやりの、完全五十音順である。つまり、出版社ごとに分けず、著者名五十音で完全に統一陳列している。

これは、来店客が本を探す手間が省けるため、最近一部の大型書店等でも採用がされ始めている。しかし、このシステムには重大な欠陥がある。それは、同じ文庫は文庫でも、「講談社学術文庫」や「岩波文庫」「ちくま学芸文庫」「角川ソフィア文庫」などのような、学術系文庫の取り扱いに困るからである。

学術系文庫は、著者名で買う、という性質とは少し違う。本を著者名で売るのではなく、「テーマ」で売るのである。つまり本のテーマの企画があり、それを核にふさわしい学者等が書いている、といった具合で、どちらかというと性質が新書などに近い。

そうなると、来店客は著者名で本を探さないわけで、タイトルを探すことになる。さらに中公文庫などにある「日本の歴史」シリーズのような叢書の文庫版ともなると、共同執筆や編者がいる作品も多い。

これらの本には、作者別五十音順はすこぶる相性が悪いのである。

私がかつて住んでいた滋賀県も大きな書店が多かったが、その中で地場資本の「SUN MUSIC」というTSUTAYAの地元版のような書店が、例外的に書籍に力を入れた店舗を草津市に持っていた。SUN MUSICは先述の五十音陳列を徹底している店であったが、悲しいかな、上記「角ソフィ」やら「講学」、「ちく学」果ては「岩波」まで、全て五十音で並べる暴挙に出て、結局どこに何があるのか壊滅的にわからぬという状況が出来していた。

こういう時に、普段からどの程度の書籍を扱っているのか、その書店の知性のほどが見えるのである。

翻って、文苑堂はどうであったか。

素晴らしいの一言に尽きた。

ご覧いただこう。

学術系文庫だけ別の棚!!!

いやぁ、小躍りしたね。これ見て。

文苑堂さん、わかってらっしゃる!

ッコレやで橋本クーン、わかるかぁ??(誰)

作者買い」しない本のレーベルは、全て摘出して彼らの安住の地を与えるのである。

そのためには、書店員自身が「作者買いじゃないレーベルは何か」をきちんと理解していないといけない。

残念ながら、本屋ならば本好きの店員がいるだろうというのは幻想で、事実SUN MUSICの陳列を見れば、書店員が本を「分かっていない」のは一目瞭然であった。

各レーベルの存在(早川ならば早川ミステリ、早川SF、早川ノンフィクション、など)とその意味を理解し、「キュレーション」のできる店員に恵まれた書店は少ない。

しかし、文苑堂にはそれができた。

ライバルの明文堂とともに、ここまでのハイレベルな書店が富山に存在することに、改めて感服した。

ついでに、せっかくなので町田康の小説を買っていった。

表紙がすでにだいぶヤバい。

目がイっとる。

 

帰りの飛行機で引き笑いしながら読んでいたら、近くの席のオバハンに怪訝な顔をされた。

 

*1:ネタ元は富山が誇るアニメスタジオP.A.Worksのオリジナルアニメ「クロムクロ」です。

*2:のんほい某なる珍妙な施設が何か知りたければググるよろし。知りたくなければ放っておいても何ら問題はない

*3:

www.kanazawa-beans.com

響け!ユーフォニアム 続編決定

 

1.朗報!


www.youtube.com

 

2015年春シーズンに第一期放送が開始された、京都アニメーション制作のテレビアニメシリーズ、ついに完結編を迎える。

2019年の痛ましい放火事件のあと、果たして今後どうなるのかと思い、もう続編が作られることはないのかもしれないと半ばあきらめていた。

しかし、2020年のヴァイオレット・エヴァーガーデン劇場版、今年のFree!劇場版完結編と制作は進められ、ついに近作品の完結編が、テレビシリーズで放映されることが告知された。

 

2.概要

高校吹奏楽全国コンクール、いわば吹奏楽の甲子園を目指す部活モノ。

20年ほど前に、所さんの「笑ってコラえて!」の企画で一般にも注目されるようになったのが、吹奏楽全国大会、通称「普門館」だった(今は会場だった東京の普門館は解体され、名古屋のナディアシティあたりで行われているらしい)。

弱小吹奏楽部が、気鋭の若手指導者を得て成長していく姿を描くが、決して勝負に勝つことを軸に据えたスポ根というわけではない。

どちらかというと、一人一人が音楽に乗せる思いを描く群像劇だ。

主人公が1年生で入部してから、今回発表された完結編で3年生を迎え部長となり、フィナーレを迎えるまでを描き切ることで、1年生編・2年生編(劇場版で公開済み)・3年生編と、彼女を中心とした複層的な群像劇となる。

 

3.京アニの現状

上場企業ではないため、株主向けの報告書等が公開されているわけではない。

しかし、公開ペースはかつてほどではないものの、着実に作品をひとつずつ世に出していってはいる。

今回発表された「響け!」シリーズは、昨年の「小林さんちのメイドラゴンS」以来のテレビシリーズであるだけではない。

「メイドラゴン」やその前の「ツルネ」などは、若手スタッフを多く起用した次世代のクリエイターたちの才能を開花させる場のような位置づけと思われる。作品自体の作画のカロリーは、特に背景などは京都アニメーションにしては低く抑えられていた(といっても丁寧に作りこまれているが)。

他方「響け!ユーフォニアム」は、監督:石原立也、シリーズ演出:山田尚子と主軸が指揮を執り、背景作画や人物作画も、目の虹彩やら陰影やらまで極めて細かく描きこまれた、いわば「フルスペック」の作品だ(もっとも、本作のシリーズ開始後に作られた「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が作画のクオリティでさらに上を行ってしまったようだが・・・)。

そうした作品がテレビシリーズで復活するとなれば、京都アニメーションの回復の一里塚といえるのかもしれない。

OLYMPUS PEN E-P1を使ってみての評価

E-P1の写真を振り返ってみ用と思う。

 

1.写真その1

麦秋羊蹄山

まずはRAW撮りしたこの写真。

ちょっと全体が青に転んでいるような感じがする(特に緑の中に青が混じっている)が、これは現像がややまずいためか。

Nikonに比べて、現像時に特定の色(例えば青)を引っ張り上げると、他の色(例えば緑)の中に混じっているその色(=青)が連動して、全体的に色が崩れやすいかもしれない。

以前から、カメラ内の水準器が1−2度狂っていて、水平がなかなか取れない問題がある。

 

2.写真その2

東京丸の内

こちらもRAW現像後。

これもホワイトバランスの調節がおかしい。これは現像した人の問題。

江戸城の堀の水がずいぶん緑・茶色っぽい。

RAW現像時に、カラーバランスの付け方はもう少し注意したほうがよさそう。

カメラというより現像の方の問題ばかりだけど・・・

RAW現像耐性が若干弱い=デリケートなのかもしれない。

 

3.写真その3

羽田空港第二ターミナル

先ほどから3つとも遠景の写真だ。

いずれも、こうした無限遠焦点の写真であれば、フォーカシングは問題がない。

昨日の記事のように、近景のもの、特に植物のような合焦が難しいものになると、かなりフォーカシングがあやふやになる。

無限遠であれば、画面中央遠方にあるスカイツリーのようにややあやふやな被写体でもフォーカスを当ててくれている。

雲の陰影は、Lightroomのかすみ除去でかなり炙り出している。

炙り出しすぎて若干不自然になってもいる。

しかし、肉眼でもわかるものだが、こうした晴れた日の雲の陰側の部分は、空と同じように青いのも事実だ。誇張的ではあるが、嘘とまでは言えない表現だ。これは、E-P1のセンサーに刻まれた情報でもある。

 

4.写真その4

一月の朝札幌にて

ホテルの部屋の窓ガラス越し撮った写真。

太陽の光線から、縦にフレア(?)の筋が出ているのが惜しい。

これの原因が窓ガラスなのかカメラレンズなのかは不明。

しかし、目立ったゴーストが出ていないのは意外で、感心する。

太陽のオレンジから、Olimpus得意の空の青さまでの補色間のグラデーションのつき方も悪くはない。

 

5.その他の写真

PEN LITE E-PL2の写真

Olympus PENの第二世代、E-PL2で撮った写真がこちら。これもホテルの窓ガラス越しであるが、かなりゴーストもフレアも抑えられている。(これは撮影したホテルニュー淡路の窓の磨かれっぷりの凄さもある)

JPEG撮って出しのため、画像解釈はOlympusのものである。

グラデーションは大人しいが、10年前のここ機種でも、その前のE-P1から大きな進化が見られる。

 

6.まとめ

Olympusは、色の付け方は派手で、ケレン味がかなり強い。これはメーカーの特色というのもあろうが、特にPENという入門機ゆえのことでもあろう。

ドラマチックな表現をするのは意外と得意で、そこは彼らの美点でもある。

他方、色が転びやすくかなりセンシティブでもある。これは、13年前の古いセンサーゆえの耐性の弱さかとも思われる。

また、フォーカシングに関しても、流石に時代を感じさせる。

遠景では問題がないが、近景の複雑な形状のものには対応が難しい。

さらに、近景のもので如実に出るのが、手振れ耐性の弱さだ。

これは、カメラ自体のホールド性の悪さも関連しているかもしれない。

いずれにせよ、かなり時代を感じさせるカメラではある。

スマホが高性能化した現在、一眼んガジェットとして独自の良さをアピールできるかと言われると難しいか。

E-P1、ついに限界か・・・!?

 

1.Olympus E-P1とは

ウチの一番古いカメラは、Olympus E-P1というマイクロフォーサーズ(MFT)センサーのミラーレス一眼だ。

発売はなんと2009年。

もう干支が一回りして二回り目ですな。

www.olympus.co.jp

比較的に小型のセンサーサイズで、かつレンズ交換式一眼として必要な性能を満たす規格として作られたのがMFTシステムで、OlympusPanasonic Lumixシリーズが共同で立ち上げた。

OlympusE-P1を初代とするデジタルカメラ"PEN"シリーズを売り出し、宮崎あおいをCMに起用して、若い女性世代にカメラを訴求し一世を風靡した。

ちなみに今でも、メーカー別デジカメ売上ランキングではOlympusが一位を獲っていたりする。

Olympusは、PENのようなEVF(Electronic View Finder、カメラの覗き穴)のない小型一眼を中心に据えた薄利多売方式らしい。

なお、同じMFT規格のLUMIXはあまり売れていない・・・。

 

2.んで、試写してみると

先週再び実家に帰った際に、重くて煩わしいNikonの一眼レフや、フルサイズミラーレスを持っていくことに嫌気がさして、Olympus E-p1を持って行った。

で、撮った写真がこちら。

試写例1モノクロ

黒から白までのレンジは、まぁこんなもんかな、という感じ。

それにしても驚いたのは、手振れのひどさだった。

25mmの焦点距離で、SS1/160で撮った。

にもかかわらず、手振れが出まくって歩留まりが約半分。

つまり、半分の写真は手振れで使い物にならない(手振れ判定はやや厳しめです。)

上記の写真のカラー版と、手振れ気味のカラー版を掲載する。

試写例1カラー版

試写例2手振れ気味?

試写例2の方では、拡大すると、ちょっと幹や葉にいい加減なところがある、ような気がする。

2枚ともいえることだが、近距離の植物などを撮ると、どうしてもフォーカシング自体がいい加減なところもある。

試写例3

これなど、SSを1/40まで遅くしたので、歩留まりは3分の1くらいになった。

結構キツイ。

入門機種らしく、色のりはこってり気味で(Olympus全体の傾向なのかどうかはわからん)、彩度調整などしなくても派手に現像される。

ここら辺は、Nikonの中級機種(Z6やD7500)とははっきりと違う印象。

 

3.物撮りはどうか?

物撮りは光源が命なので、ほとんどやったことがない(光源持ってない)。

とはいえせっかく、自身の旧家没落の大逆風(当主の死、戦争、農地改革・・・ヒキ強すぎやろ^_^;)の中でも陶芸家の道を突き進んだ曽祖父が遺した清水焼があるのだから、物撮り練習として使わないわけがない。

試写例4

羽衣?とかいう能?の一場面?か何かを描いた清水焼の人形である(←全く知らない)。

いや、でも焼き物でこれやるってすごいわね、確かに。

さすが、家つぶしかけただけのことはあるわ。

合掌。

よく見たら、能面と顔の間にきちんと色の塗分けがされていて、「これ顔面ちゃうで面でっせ」と主張しているのがわかる。

衣装の色も模様も手が込んでいる。

藤色と淡いピンクと水色がよく合っている、ような希ガス

躍動感などについては、是非「羽衣」本編を鑑賞してから検討してみたいと思う。

 

カメラの話に戻るならば、三脚を立てたため手振れとフォーカスアウトはかなり防げた。

他方、センサーが小さいこともあって、ノイズはかなりのる。Lightroomでノイズを簡単に除去できるため、これはさほど問題ではないが、それにしてもやはりノイズが大きいとオールド感は出る。

試写例5

こちらは高砂とかいう能の一場面らしい。

全くわからん。

無教養である。

でもこれらの人形って、要するにアニメキャラのフィギュアでアニメの名場面を再現しているようなものなわけで、そういう意味ではこれら清水焼の作品も現代のフィギュアの造型師の作品もやってることの根本は同じなんだなぁと思う。

曾祖父も現代に生まれていれば、「Fate/stay night」やら「涼宮ハルヒの憂鬱」やら、最新作なら「SPY×FAMILY」のヨルさんやアーニャちゃんやらの名場面を再現する造型師とか、あるいはよくわからん芸大出て謎のポップアートの立体作品創る作家か何かだったのかも知れない。

さらに、聞くところによると鼓や尺八、謡(うたい)までやったという御仁である。現代に在ったならば、ボカロPやりながら「歌ってみた」を配信する歌い手でもあり、MVのアニメは自分で描きつつ本業はフィギュア作家などという、設定盛り過ぎのニコニコ界隈の帝王・人気歌い手系YouTuberだったやもしれない。ニコニコ超会議など当たり前のように出ていただろう。

そんなイカれたヤツが親戚だったならば、私は歓喜したことだろう。

「明治」という頑迷な時代の、「山科」という閉鎖空間に生まれ、せいぜい都の没落貴族の分家筋程度の「家」に縛られた、その時代と場所が悪かったのかもしれない。

その中で好きなことをやって生きていくのは、相当な代償を伴うことだったのではないか。

世が世ならば、曽祖父もより自由を謳歌し多くの支持を集めたのかもしれない。

合掌。

 

緑の部分はシャドーが強かったので、明るさを引き上げた。

ダイナミックレンジもキツイ。

いずれにしても、このカメラ、撮っているうちは「こいつの限界を引き出すぜぇ」くらいに思っていたが、いざPCで現像してみると「もぉ限界や・・・(´;ω;`)」となる。

出張時に持っていけるような、比較的小さくて高性能なカメラねぇかなぁ・・・

 

花と庭の写真 その2

実家の庭とガーデンミュージアム比叡で撮った写真の中で、二線級のやつをあさっていたら、現像処理すればまぁそこそこになるか、というものがいくつかあったので、掲載していこう。

 

1.実家の庭

その1

名前がわからんww

花の奥に養生の糸が映り込んでいるのが惜しいが、まぁ仕方がない。

その2

フォーカスが手前にきすぎているきらいがある。

 

その3

花壇の切れ目を入れない方がより奥行き感が出たと思われる。

あと、写っている花の強さが、際立ったものがないため視線誘導ができていない。

 

その4

奥の納屋、ジューンベリーの木、セージの花などはいいが、手前の日が当たっている葉っぱが絵的に強すぎるのが難点か。

 

2.ガーデンミュージアム比叡

ガーデンミュージアム比叡は、京都アニメーションとタイアップしているようで、ミュージアムのコンセプトである印象派とともに、ヴァイオレット・エヴァーガーデンの作中に出てくる花をイメージしたガーデニングを展開しているらしい。

その1

しおれた花が混じっているのが難点だが、まぁ許容範囲か。

同系色だけでまとまらず、黄色と紫という補色関係の花を配するというところが、色彩として際立たせやすい。

デイジーか?

劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンで、50年前に一世を風靡した自動手記人形ヴァイオレット・エヴァーガーデンの足跡を追う1人旅に出たティーンの少女、作品の語り手は、デイジーマグノリアだった。

 

その2

蜂が蜜を吸いに来ている白い花がやや白飛び気味である。

手前から奥にかけて低い花~高い花となっており、全てがエグジビットされるように工夫されているのがわかる。

菫(ヴァイオレット)も下の方に顔をのぞかせている。

その3

よくわからんぼんぼんのような花。奥にベンチがあることで講演らしい雰囲気がわかる。

これは、高い花同士で高さにさらに行程がついており、さらにやはり青~紫系統の色と黄色系統の色の補色関係のものが配置されている。

その4

木蓮マグノリアだと思う。

モネの池のほとりに咲いている。

マグノリアは、作中でも重要な登場人物の一家の姓だ。

クラーラそのその娘のアン、さらにその孫デイジー

過去から未来へと受け継がれていった思いをつなぐ一家が、マグノリア家だった。

その5

ハンギングバスケットを広角で撮影した。

黄色、白、青、オレンジと配色もよい。また花弁の大きさを計算して小さい花と大きい花がペアになり、真ん中に大きい花、それを挟んで小さい花がたくさん、という配置になっていることもわかる。

その5

ネモフィラ畑。

遠景で撮ると何が何だかわかりにくいのが反省点だ。

その6

色合いのばらけさせ方が細かく計算されているのがわかる。

 

3.おまけ

琵琶湖遠景

曇っていたのでいい加減な写り(あと水平も怪しい)が、久々に見下ろした大津だ。

10年ほども住んでいたので、どこに何があってというのが、手に取るようにわかる。

京都遠景

さらに霞んでいていい加減な写真だ。

しかし洛中の大寺院の大屋根などは、見ればだいたいどれが何かわかる。

拡大して観察してみるのも面白い。

ちなみに、石清水八幡宮の山&大山崎くらいまでは判別できる。

 

アニメ「平家物語」視聴完了レビュー後編

heike-anime.asmik-ace.co.jp

 

小説家の古川日出男による現代語訳の平家物語を底本として、山田尚子監督、吉田玲子脚本、制作Science SARUで作られた本作のレビューの後編。

前半はこちら↓

 

maitreyakaruna.hatenablog.com

 

 

 

評価スコア

1.アニメーション技術面 53 60  
1)キャラクター造形(造形の独自性・キャラ間の描き分け) 8 10  
2)作り込みの精緻さ(髪の毛、目の虹彩、陰影など) 8 10  
3)表情のつけやすさ 9 10  
4)人物作画の安定性 10 10  
5)背景作画の精緻さ 8 10  
6)色彩 10 10  
       
2.演出・演技      
声優 161 170  
1)せりふ回し・テンポ 9 10  
2)主役の役者の芝居(表現が作品と調和的か・訴求力) 9 10  
3)脇役の役者の芝居(表現が作品と調和的か・訴求力) 9 10  
映像      
4)意義(寓意性やスリル)のある表現・コマ割り 10 10  
5)カメラアングル・画角・ボケ・カメラワーク 10 10  
6)人物表情 10 10  
7)オープニング映像 10 10  
8)エンディング映像 10 10  
音楽      
9)オープニング音楽      
作品世界観と調和的か 10 10  
メロディ 8 10  
サウンド(ヴォーカル含む) 8 10  
10)エンディング音楽      
作品世界観と調和的か 10 10  
メロディ 9 10  
サウンド(ヴォーカル含む) 9 10  
11)劇中曲      
作品世界観と調和的か 10 10  
メロディ 10 10  
サウンド(ヴォーカル含む) 10 10  
       
3.ストーリー構成面 68 70  
1)全体のストーリー進捗のバランス 10 10  
2)時間軸のコントロール 10 10  
3)ストーリーのテンションの保ち方のうまさ(ストーリーラインの本数等の工夫等) 10 10  
4)語り口や掛け合いによるテンポの良さの工夫 8 10  
5)各話脚本(起承転結、引き、つなぎ) 10 10  
6)全体のコンセプトの明確性 10 10  
7)各話エピソードと全体構造の相互作用 10 10  
       
  282 300 0.94

得点率94%でランクS

 

批評

5.重盛と死

作中、重盛には死者が見えるといった。重盛が死に至る病を得たのは、「熊野」である。以前の記事でも書いたが、熊野詣には死出の旅の意味がある(一度死んだことにして、人生をやり直すというような意味合いもある)。

 

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そんな「死の影」を背負った重盛に「死者を見る目」を与えたのは、やはり武将として、また賢明な指導者として、目の前の現実=死と隣り合わせの危うい現世を見つめざるをえなかった存在という彼の本質を、アニメ制作陣が汲み取った結果だろう。

こうした原作理解度の高さは、彼らのレベルであれば当然なのだが、改めて感服する。

 

6.色使い

山田尚子の最大個性は、色の使い方である。

本作では、様々な花が出てくる。椿、躑躅、梅、桜、蓮華、木蓮、などなど。

中でも椿は、花が丸ごとボトリと落ちる姿が不気味でもある。

彼女はこの花に、平家の運命を託した。

椿にはさらに、白椿や赤椿がある。

平家物語原作においても、紅白は物語を象徴する色である。

紅は、平家の旗印「紅の揚羽蝶」であり、白は源氏の旗印である。

ここから山田は、赤と白に象徴的な意味を持たせることにした。

赤には平家・現在・栄華・傲慢・鮮血を、白には源氏・未来・滅亡・儚さ・悲しみ・涙を。

赤い椿に雪が積もり、ボトリと池に落ちるカットは頻繁に描かれるが、あたかも源氏により滅ぼされる未来を負った平家を暗示するようである。

蝶が空を儚く舞いゆく姿は、あの世へと旅立った平家の公達を暗示するようである。

 

7-1.物語構成(登場人物)

石母田正氏の上記批評によると、平家物語には3人の主人公がいるという。

上巻では清盛、中巻では義仲、下巻では義経、というように。

本アニメは、そこをも換骨奪胎し、琵琶という少女を語り手として、前半は重盛、後半は徳子をその語り手の話し相手とするように進行する。

 

7-2.物語構成(時間軸)

本作で最も秀逸であったのが、時間軸の使い方である。

ここで絶賛されるべきは、脚本家の吉田玲子氏であろう。

 

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以前、東京芸術大学を目指す創作者の奮闘と成長を描いた「ブルーピリオド」のレビューでも触れた。これの脚本を手掛けたのと同じ、吉田玲子氏である。

アニメ「平家物語」の驚くべきところは、その時間配分である。

まず、本作はわずか1話30分(本編は正味21分ほど)×11話という、驚くべき少なさである。地上波民放ドラマであればわずか5話分くらい、1クールの前半で終わってしまう。

その中で、あの日本を代表する戦争文学を描き切ろうというのである。通常であれば無謀と呼ぶほかない。しかし、彼らはこれをやってのけた。そのやり方がまた、驚くべき奇策であった。

まず、前半5話ほどは丸々、平家物語上巻―もっとも地味なパートで、平家の横暴や祇王の悲運が描かれる巻―で占められる。

重盛と琵琶の邂逅から死別までを丁寧に描き切り、人の負う運命の理不尽さと儚さという、平家物語の核心とされるテーマ(最も山崎正和氏は、「諸行無常」は後付けのテーマではないかと指摘している。石母田氏は通説的見解で、諸行無常こそが大テーマであるとする)を時に朗々と時に悲しく歌い上げる。

清盛の死、義仲の進撃、そして義経による残忍な殲滅戦は、全て音楽家牛尾憲輔テクノサウンドを含んだオリジナルサウンドトラックの下で進んでいく。以前の記事で述べた徹底した「ディエーゲーシス」である。

一人一人の運命のはかなさを克明に描く(ミメーシス)と同時に、多くの人の命が散る戦場を身も蓋もない、抗しようもない巨大な運命として描くこの対比は極めて鮮やかで、この緩急の差が明確であることでより強く、双方(ミメーシスとディエーゲーシス)が説得力を持つに至った。

 

8.音楽

OPもEDも劇中曲も極めて現代的なポップスやテクノである。

これがなぜかマッチしている。

特に、オープニング曲とともに流れる映像(いわゆるOP映像)の中で優しい日差しの中で笑いあう人々の姿のかけがえのなさと、それが奪われると知って見せられる悲しさは、OP 曲が歌い上げる何気ない日常のかけがえのなさと相まって胸に迫るものがある。

https://youtu.be/qknDI1k39Ic

9.演者たち

制作はScience SARUであるが、監督が京都アニメーションの山田氏であるからか、役者たちの座組は「チーム京アニ」の面々である。

主人公の琵琶は悠木碧。彼女は山田監督の過去作「聲の形」でもヒロイン西宮硝子の妹・結弦を演じた。

realsound.jp

こうした興味深い関連性も指摘される。

平家物語の主だった合戦のシーンは、牛尾氏の音楽とともに、琵琶法師となった後の琵琶の声で詠われる。このシーンの琵琶の歌唱が、彼女が本当に琵琶法師なのだ、と思わせるように強い存在感を持つ。子役時代から芸歴があり、天才的な演技力を有する。「まどか☆マギカ」の主役・鹿目まどかな数々の大役を演じてきた役者ではあるが、こうした器用さも持ち合わせていることには驚いた。

平重盛を演じたのは櫻井孝宏。「コードギアス」のスザクから「PSYCHO-PASS」の槙島に至るまで、少年から壮年、英雄から悪人まで何をやっても様になる。京アニ作品では、山田がシリーズ演出を務めた「響け!ユーフォニアム」の吹奏楽部指導者・滝先生役が印象的だった。平家物語中で平家の唯一の希望として描かれた、英邁にして勇猛な指導者、小松殿平重盛を好演した。自らの賢さゆえに先が見えてしまう(未来を見る能力を持つ琵琶に惹かれた要因でもある)ゆえの、精神的な強さの中に見える脆さ、実直さゆえの弱さをうまく表現していた。

建礼門院徳子を演じたのは早見沙織。山田作品では、「聲の形」ヒロインの西宮硝子を演じた。「響け!ユーフォニアム」では吹奏楽部部長の小笠原を、他にも「無彩限のファントムワールド」など京アニ作品の常連である。徳子という役柄は、彼女の声が最も活きる分野の一つである聡明で芯の強い女性という役どころとして、ぴったりハマっていた。また安徳をもうけて母となって後、義経に追い詰められ落ち延びるなか、わが子の命一つ助かればよいと艱難辛苦に耐え続ける強さは印象的であった。これが彼女の役者としてのトップパフォーマンスならば、現在主演している大人気作「SPY×FAMILY」のヨル役も、今後どのように魅せるか楽しみだ。

 

10・最後に

ラストは、オリジナルの平家物語の通りに、建礼門院徳子を後白河法皇が訪れるところで終わる。数々の散りゆく運命を目にし、全てを投げ打ってでも守ろうとした自らの子(安徳天皇)すらも入水した渦の下において生きることを余儀なくされた徳子の、全ての悲しみを背負ってなお生き続けるその姿は、侵すことのできない慈悲と尊厳を湛えたもの~「聖性」~であった。