手軽な一揆の起こし方

エセ評論家の生活と意見

パリピ孔明視聴完了レビュー(辛口)

paripikoumei-anime.com

 

1.採点表

1.アニメーション技術面 50 60  
1)キャラクター造形(造形の独自性・キャラ間の描き分け) 8 10  
2)作り込みの精緻さ(髪の毛、目の虹彩、陰影など) 7 10  
3)表情のつけやすさ 7 10  
4)人物作画の安定性 9 10  
5)背景作画の精緻さ 10 10  
6)色彩 9 10  
       
2.演出・演技      
声優 153 170  
1)せりふ回し・テンポ 8 10  
2)主役の役者の芝居(表現が作品と調和的か・訴求力) 8 10  
3)脇役の役者の芝居(表現が作品と調和的か・訴求力) 8 10  
映像      
4)意義(寓意性やスリル)のある表現・コマ割り 8 10  
5)カメラアングル・画角・ボケ・カメラワーク 8 10  
6)人物表情 7 10  
7)オープニング映像 10 10  
8)エンディング映像 8 10  
音楽      
9)オープニング音楽      
作品世界観と調和的か 10 10  
メロディ 10 10  
サウンド(ヴォーカル含む) 8 10  
10)エンディング音楽      
作品世界観と調和的か 10 10  
メロディ 10 10  
サウンド(ヴォーカル含む) 10 10  
11)劇中曲      
作品世界観と調和的か 10 10  
メロディ 10 10  
サウンド(ヴォーカル含む) 10 10  
       
3.ストーリー構成面 27 70  
1)全体のストーリー進捗のバランス 5 10  
2)時間軸のコントロール 3 10  
3)ストーリーのテンションの保ち方のうまさ(ストーリーラインの本数等の工夫等) 3 10  
4)語り口や掛け合いによるテンポの良さの工夫 4 10  
5)各話脚本(起承転結、引き、つなぎ) 4 10  
6)全体のコンセプトの明確性 5 10  
7)各話エピソードと全体構造の相互作用 3 10  
       
  230 300 0.766667

総合評価・・・Aランク

 

SSランク・・・95%以上

Sランク・・・90%以上95%未満

Aランク・・・75%以上90%未満

Bランク・・・60%以上75%未満

Cランク・・・45%以上60%未満

Dランク・・・30%以上45%未満

Fランク・・・30%未満

 

2.分析

1)語りの視点

英子・孔明・KABEの、各人のストーリーラインごとに各人の1人称視点で語られる。

三人称視点ではない。

 

2)ストーリーラインの本数

序盤は英子が見出される1本のストーリーライン。

代々木公園のライブを経てKABE太人が登場後、彼がラッパーとして復帰するまではKABEのストーリーライン1本。

KABE合流後、再びほとんど英子のストーリーライン1本。

英子が七海と決別後に、英子・KABEのストーリーライン2本。

さらに七海のストーリーラインを追加して最終話へ。

 

3)時間軸の流れ

ミメーシス一本。

ミメーシスとディーエーゲーシスの往還や、過去現在の時間軸操作なし。

 

4)語りの技法

上記の通り一人称での描写のみ・時間軸操作なく、セリフで多くを語らせている。

 

3.総評

総じていえば、「P.A.Worksって、こんなにお話作るのヘタだったっけ?!」となる。

いや、確かにAランクなので悪くはないんだわ(ただしギリギリAランク)。

採点表見ればわかるが、点数を稼いでいるのは音楽。まぁ音楽をテーマにした作品だから当然っちゃ当然なんだけど。

他方、点数ボロボロなのが「3.ストーリー構成」である。

よくこんな点数で、Aランクに踏みとどまったと思う。

細かくみていこう。

1)孔明の登場回数が減るのが悪いのか?

ネット上でも、本作品は中盤以降テンポが悪くなったと言われている。原因として、「孔明の登場回数が減ったから」という意見が出ているようだが、本質はそこではない。以下、中盤以降テンポ感が悪くなった原因を見ていく。

 

2)無駄なトピックの多さ~第4話から第6話を中心に~

英子が代々木公園のフェスで小さな成功をおさめ、大物プロデューサーに見初められるところまではよかった。そのあとの、大型フェス出場をかけた「10万イイね!」獲得企画への参加が決まって以降、一気にストーリーバランスが崩れた。

原因の一つとして挙げられるのは、無駄なトピックの多さだ。

第4話冒頭で「10万イイね!」企画を言い渡されてから、英子の新曲づくりが始まり、同時に彼女の相方となる新しい力を孔明は探し始める。相方になるのが、KABE太人という、心が折れてラッパーをやめたもう一人の主人公だ。

しかしこの第4話、後に英子が大ブレイクする発端となる「DREAMER」の原曲となる自作曲「六本木うどん屋(仮)」が披露されはするものの、KABEの登場はお預け。タメを作られる。

「KABEの話に入る前に、第4話で英子側の布石を打ちたい」という意図なのだろう。しかし、そのストーリー構成上の都合が先に来てしまい、第4話で語るべきことが少なくなりすぎた。このため、第4話がただの「溜め回」となって、内容的に薄いものとなってしまった。

英子が楽曲づくりに精を出す姿が「止め画」などで描かれ、孔明は六本木のクラブなどに足繁く出入りする姿が描かれるが、これらはあくまで「振り」でしかない。

無駄に「止め画」で英子の楽曲作成の努力を描く割には、楽曲制作の経験がほとんどない彼女が、いきなり将来的にスマッシュヒットとなる曲をものしてしまうという展開にも、やや無理がある。本来であれば、複数のストーリーラインを組んで、その中の一本として、トータルでは2話以上かけつつ、彼女の作曲の苦闘と成長を描きこんでいった方が説得力があった。

そう、楽曲作成の場面において、彼女の成長がいまいち描かれていないのである。

以上のように、大事な部分をきちんと描かず、他方「シリーズ設計の都合上」KABE登場までに英子側の「カタをつけておく必要があった」としか思えない。

KABE登場後はどうか?

第5話で彼の心理的葛藤が描かれる。しかしこれも、通りいっぺんをなぞるような描写が何度も繰り返されるのみで、一度でパシッと描いてメリハリをつけてしまった方がよかったように思う。

有名実力派ラッパーでKABEの復帰を願うライバル、赤兎馬カンフーに絡まれるシーンや、母親からの贈り物のシーンなどで、うだうだと何度も彼の逡巡を描く必要はない。他方で、KABEがラップの世界に戻ることをこれほど頑なに拒んでいるにもかかわらず、第5話後半から第6話にかけて、孔明にホイホイ乗せられてステージに上がり、ラッパーとしての復活を果たす。公明の何が彼の心の壁を崩したのか、いまいち理解しにくい。

総じていえば、「無駄なことは延々描く一方で、大事なことをすっ飛ばして描く」というバランスの悪さがある。これは、この作品の序盤以外のすべてに言えることだ*1

 

3)話のつなぎの悪さ~第7話から第9話を中心に~

4-5話の時点で、KABE登場を4話終盤の引きとして使い(4話後半を孔明によるKABE探索と邂逅に充てる)、5話でKABEの葛藤と英子の作曲の苦闘を、それぞれシンクロさせて描写する2本のストーリーラインを組んだ方が、物語として意義があったように思う。

ストーリーラインが英子に戻って来た第7話で、彼女のライバルとなる七海と出会う展開以降も同様だ。

第7話は二人でストリートで歌い始めたところで終わり、第8話前半で、七海が実は新進気鋭のガールズバンド「AZALEA」のボーカルであることが示唆される。本来であれば、第7話末の引きで使う方が効果的だろう。

第8話では、ここでも無駄な話が延々と続く展開が用意される。

英子と七海が風呂屋で歌うシーンや、KABEが地元に戻って駅前で後輩に声をかけられるシーンは、およそなくてもストーリーの進行に支障はなかったはずだ。一見あってもよさそうに見えるが、こうした無駄の積み重ねが、ストーリーのぜい肉となって、ひいてはテンポの悪さになるという好例だ。

 

4)楽曲の使いどころの悪さ(第8話)

なんといっても、音楽をテーマにした作品でこれは致命的だ。

英子と七海をつなぐ曲として、作中に登場するアメリカの有名シンガー「マリア・ディーゼル」の"I'm Still Alive Today"という曲がフィーチャーされる(フューチャーではない。念のため)。

二人をつなぐ大事な楽曲で、第7話から第9話にかけて何度も何度も歌われる。これが問題である。

私が数えたところ、第8話でこの曲は4回も歌われる。歌いすぎなのである。

歌いすぎると聞き飽きる。聞き飽きると感情移入できなくなる。特に第8話冒頭でストリートでデュエットするシーン、お風呂屋で二人で歌うシーンは削ることができたはずだ(デュエットは第7話末に繰り越しできたはず)。

何度も無駄遣いされたために、この曲のここ一番でのパワーがかなり減殺されるのである。

KABEの登場などに無駄な溜めを作った割に、こうした楽曲使用に溜めを作れていないのは、全体の設計を俯瞰してみられていないためではないだろうか?

 

5)KABEと英子の試練を乗り越えるシークエンスのバランスの悪さ(第10話)

第9話の、七海が友達とAZALEAを結成してから現在までの来し方の語りは悪くはなかった。さらに渋谷ヒカリエ空中庭園で、英子が七海にささげた"I'm Still Alive Today"も、きちんと意味のある展開だったと思う(英子が何のために自分は歌うのか?という問いに答えを出した瞬間でもあるから)。

先述のように、このカギになる曲の使用を前話でもう少し抑制していたなら、ここでの一発が強く効いただろうと思うとややもったいない。

再びバランスが崩れたのは、第10話だ。

KABEは赤兎馬とのMCバトルに臨み、英子は有名DJ(プロデューサー?)スティーブ・キドに編曲・レコーディングを認めさせる。

4話以降長く長くため込んできた溜めを、一気に乗り越えるフェーズだ。

本来、このシークエンスは、無駄を削っていけば第8話くらいに持ってこられたはずだ。さらに、第4話以降第8話までの間に、「英子の楽曲完成」「七海との邂逅と決別」「DJキッドとの作曲の完成」という英子のストーリーラインと、「KABEのラッパー復帰」「赤兎馬とのリターンマッチ」というトピックを、互いに呼応させつつリズミカルに展開できれば、ここまでだらだらとなることはなかっただろう。

さらに悪いことに、肝心の二人による「山を乗り越える」シークエンスが、けっこうおざなりであった。

KABEはいきなりMCバトルに挑み、ラップバトルは編集版のように一部だけの描写(KABEのラッパー復帰戦では孔明とのバトルを丁寧にノーカットで描いたのに、である)で、しかも結末はオーディエンスの支持ではなく、赤兎馬がKABEを勝者と認める、という、どうも尻のすわりの悪い終わり方である。MCバトル中は両者互角のいい勝負をしていたように見えるわけで、それならば赤兎馬があくまで個人的に「かなわないなこりゃ」と思った何かがあるか、でなければ両者接戦の末引き分けもやむなし、というストーリー選択をするかしかなかったのではないか。これではせっかくのライバル、赤兎馬カンフーが、タダのKABEの成長のステップ=ストーリー上の道具に成り下がっており、互いに高めあうライバルとしてのキャラクターの価値が毀損されている。

英子のレコーディングについても、ここで使えばいいものの、答えを見つけた彼女が歌うべき"I'm Still Alive Today"が聞こえてこない。無駄遣いし続けた挙句、肝心なところで使わない。さらに、彼女の完成した楽曲"DREAMER"のイントロの使い方、孔明の過去を回顧するシーンとの組み合わせ方の順番も、やや疑問が残る。

 

6)クライマックスの違和感

第12話のクライマックスは、評価が高かったため安心してみられると思ったが、期待したほどではなかった。

ライバルAZALEAは、大手レーベルの金に物を言わせる興行で、ゲリラライブ中にイイねした人に抽選で、100名様に100万円という企画をぶち上げる。

英子とKABEは孔明の計略で、AZALEAがゲリラライブをする予定の渋谷109前に先に乗り込み、AZALEAの曲のイントロを歌い上げ、偽のQRコードを大型スクリーンに映して、AZALEA(の100万円)を目当てにやって来たオーディエンスから7万ものイイねをかすめ取る。

そこに本物のAZALEAが登場し、偽物であるとバレるのであるが、さらにそのあともKABEがあAZALEAを挑発するラップを展開、炎上したところに英子が"DREAMER"を鳴り響かせ聴衆は一気に英子にイイねを送る。

非常に無理がある。

現地で英子側が炎上して、KAMEが火に油を注いだ状況で、それをいくら英子が素晴らしい才能を持った歌姫といえど、一気に消して英子への支持に転じさせる(しかも現地にいないSNS上のオーディエンス込みで)というのは、展開として視聴者の承認を得にくいのではないか?

現実の世界でなら駆け出しの英子ならば歌手生命が終わるくらい炎上してしまうだろうに、という強い違和感が、頭をよぎった。要は、ここが妙にご都合主義的展開なのである。

せめて、オーディエンスには「あらかじめ仕込まれた対バン(バンド同士のパフォーマンスバトル)込みのゲリラライブだ!」と思わせるギミックを用意して、KABEのラップも対バンでお決まりの程度の挑発にとどめ、「シナリオがないはずなのにシナリオがあるかのように魅せる」「ショーアップされた闘い」というプロレス的な展開として、観客を誤認させるという展開であれば、「さすがは孔明」となったであろう。

さらに、このせっかくの対バンという状況下で、七海と英子をつないだマリア・ディーゼルの曲が一度も使われなかったのもやや物足りなかった。

流れとして、

英子がAZALEAの曲のイントロをうたいイイねを「欺罔とは言えないぎりぎりの線で」かすめとりつつ(霧で見えにくい中で「煽るため」という名目でAZALEAイントロをうたい、やや紛らわしい感じで自分たちのQRコード出しつつ、霧が少し晴れたところで対バンを申し込むぎりぎりの綱渡り的ストーリー展開を要するが。。。*2)、KABEが「AZALEA出てこい!対バンしろ!」などと煽る

 ↓

(偶然ではあるが孔明の読み通りのタイミングで)AZALEA登場、パフォーマンスでオーディエンスを惹きつける

 ↓

英子、満を持して"DREAMER"でAZALEAを食う→先にかすめた分と合わせて10万イイね達成

 ↓

自身の仮面をつけた音楽活動に我慢しきれなくなった七海らAZALEAメンバーが、仮面をとり、昔の自分たちの曲を歌い、オーディエンスの支持を得る

 ↓

対バンチーム同士でマリア・ディーゼルをうたい、大団円。

例えば、こんな感じにはできなかったのだろうか?

 

7)一般的視聴方法との違い

動画配信などで、消費的流し見をするのであれば、以上のテンポの悪さは十分許容できる。しかし私のような変態は、力を入れている作品は各話2回見ることにしている。すると、テンポの悪さ、構成の悪さがより苛立たしく、粗がよく見えてしまう。

以上、非常に長文になったが、これほど一作品の問題点・改善点を突っ込んで分析したこともない。

駄作であれば批評するにも値しないが、この作品は駄作として放置するにはもったいないレベルの作品であった。それゆえに、以上のように問題点もまざまざと見えてきたのである。

 

4.最近のP.A.Works作品

もともとP.A.Works作品は、作画もストーリーも丁寧な作品が多い。

母親が夜逃げをしたため祖母の経営する金沢の旅館で仲居仕事をすることになった高校生を描いた「花咲くいろは」、アニメ制作会社の仕事のリアルをポップにかつスリリングに描いた「SHIROBAKO」などの代表作の他にも、「レッドデータ・ガール」「クロムクロ」「サクラクエスト」などの佳作も多い。「TARI TARI」、「凪のあすから」や「色づく世界の明日から」などは、知名度は低いものの傑作といって差し支えない。

他方、アクションやサスペンスになると、どうもコンセプトがあいまいだったり、テンポが悪かったりする作品がよく見受けられる。「Fairy Gone」「Sirius the Jaeger」などだ。

他にも、「グラスリップ」のように観念的な性質の強い作品(私小説系や純文学の作家が習作として書く作品に近い匂いがある。観念的に言いたいことはあるのだが、ドラマとしての目鼻のつけ方がまだ定まっていないような。)などもあったが、本作の問題点に一番近いのは、直近の作品である「白い砂のアクアトープ」だろう。

 

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この作品も、ストーリーテリングの技術における練磨が足りなかったように思う。

全体の物語構成として、本作ならば12話でどこまでを映像化するのか?そのためにどのようなテンポで薦める必要があるのか?ということは、いわゆる「シリーズ構成」という、脚本家の花形の仕事であろう。

また、本作においては、楽曲の使いどころや引きと溜めの使い方という、監督や演出の担当分野に及ぶ物足りなさもあった。

こうした点では、何度も言及するが、やはり吉田玲子の脚本術は秀逸といわざるを得ない。

 

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また、作品のテンポ感やストーリーラインの本数という意味では、以前「86」についても同様の言及をした。

 

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しかし、86は原作のしっかりした熱量を映像化してはいた。あの作品において問題は、「小説作品」と「映像作品」では語りに求められる手法やテンポ感が異なるのであり、小説から映像に表現媒体を転換するにあたって、映像としての最適化、というよりもはやプラスアルファをどうやって付加するか、という、かなり高度な問題点であった。

しかし、本作パリピ孔明では、そうしたプラスアルファを付加するための挑戦のレベルではなく、作品の基本として、きちんと勘所を抑えて描き切るという点が未熟であったように思われ、この点が先の「アクアトープ」と共通する問題点なのである。

京アニMAPPAあたりは、それぞれ制作体制は違う*3とはいえ、こうした点を外すことは少ないように思う。

P.A.Worksは、もともとあまり外すことのなかったドラマツルギー的なレベルで、特に最近躓きが見られ、今後の改善が期待される。

 

 

 

*1:ほかにも前の記事で述べたが、ラッパー復帰戦も彼が再びステージに上がる強いきっかけに欠ける展開だった

 

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*2:こうした綱渡り的ストーリー展開は時として必要となる。例えば「SPY×FAMILY」でロイドとヨルがお互いの秘密を隠しつつ、仮面夫婦として同居することを決める展開(そう、あの手りゅう弾のピンを結婚指輪に見立ててはめつつ、後ろで祝福の花火よろしく手りゅう弾が炸裂するあのシーンだ)などは、これを見事にやってのけた。

*3:京アニはP.A.Workの手本ともなった、脚本・音響以外ほぼ全て内製で完結できる体制であり、いわば兄貴分的先行者だ。MAPPAは体制としてはフリーランス外注が多い一般的な制作体制に近いとされる。